第一幕 玉髄と青玉 三


 さてこの極彩異形座ごくさいいぎょうざ、舞台だけが活躍の場ではない。
 武家や公家、有徳かねもちの家から誘われて、宴席を盛り上げることもある。
 宴席は古来より「どれだけ盛り上がるか」が重要だった。そのために珍味が並び、美女が侍り、無礼が許され、滑稽が求められた。異形座は、舞も楽も美女も滑稽もカバーできると評判だった。
「なんでおれが文使いなんだ……」
 玉髄ぎょくずいはぼやきながら、帰り道を急いでいた。
 異形座のほかの者は、体格や髪色が目立ちすぎる。玉髄はというと、髪は黒褐色、背格好も普通の人間と変わらない。瞳の色さえ見えづらくしておけば、雑踏を行くにも支障は少ない。おまけに、相手方の屋敷についたときには、顔さえ見せれば異形座の者だと証明できる。
 ――要するに、座で一番都合のいい使いっ走りをさせられているのだ。
 水干を着て、笠を深くかぶり、足早に道を歩く。
「ん?」
 玉髄は足を止める。
 辻から、特徴的な声音が聞こえてきた。経を誦む声だ。
 乞食坊主が、道ばたに立って経を誦んでいる。ぼろぼろの僧衣、小汚い格好。粗末な鉢を手にしているところからすると、托鉢だろう。読経して、銭や米などを乞うている。

  爾時仏告長老舎利弗
  従是西方過十万億仏土
  有世界名曰極楽
  其土有仏号阿弥陀


  そのとき仏は舎利弗尊者に告げておっしゃる
  ここから西方に十万億の仏国土を過ぎたところに
  世界があって名を極楽という
  その土地にほとけがいて、「無限の命」――阿弥陀仏という名である

 経は、阿弥陀如来がいる極楽浄土の様子を述べるものだ。
「ん〜〜……!」
 玉髄は渋い顔になった。すっぱいものを噛んだ顔のようでもなる。
 やがて経が終わると、玉髄は坊主の側に寄った。懐の小袋から銭を取り出す。坊主の鉢に滑らせる。
「かたじけのうございます」
「御坊、このあたりでは見かけぬお顔ですが」
「拙僧は諸国を放浪する、見てのとおりの乞食坊主にございますゆえ……」
「旅はよいものですか?」
「よい、わるい、を考える旅ではございませぬ」
 坊主はおだやかに答えた。
「しかしやはり憂き世にあっても――」
「危ない!」
 玉髄はサッと笠を脱ぎ、盾のようにかざした。笠にガッガッと衝撃が走る。坊主の前に立ち、笠を下げる。玉髄の足元には、石つぶてが転がっていた。
印地打いんじうちか!」
 道の角に、若者が数人立っていた。石つぶてや刀剣を持ち、へらへらと笑っている。
 印地打ちとは、「石投げ」をおもな遊戯とする輩だ。遊びといっても、石や武器でやりあうのだから、当たり所が悪ければ死人が出る。
 おおやけもこれを問題視し、古来から禁止令を何度か出している。しかし禁令はことごとく破られ、今も武勇を持て余した男らが興じていた。
「印地打ちども、なにをするか!」
「目障りな乞食坊主に、施しをしようと思ってなぁ」
「貴様こそ、こんな坊主に銭を取られて、情けないとは思わぬか?」
 玉髄は怒りに顔を歪めた。
「印地打ちども、おれの顔を知らぬか! わが翡翠のまなこを!」
 カッと目を見開き、玉髄は腰刀に手をかける。
 印地打ちたちがざわめいた。
「貴様、異形座の者か!?」
「わかったならね! 剣鎧童子けんがいどうじの名は飾りにあらぬぞ!」
 玉髄の言葉は賭けだった。こちらはひとり、相手は多数だ。
「剣鎧童子……護法の名か」
「やめだ、やめだ。あの一座は祟るというぞ」
「おぞましい者の集まりというぞ」
 印地打ちたちは口々に異形座を忌む。喧嘩を売るにはまずい相手と判断したらしい。ひとり、ふたりといなくなり、やがて全員消えた。
「異形座の剣鎧童子様……」
 貧民が集まってきていた。彼らは餓えている。痩せた体にぼろぼろの衣、汚れたむしろをまとっているのはまだマシな方だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
 玉髄はあせった。彼らにしてやれることはない。
「いま、そこの御坊に施してしまった! お前たちにはなにもしてやれん!」
「舞をひとつ。極楽浄土も見える舞だと聞いてます……」
 痩せこけて落ちくぼんだ眼窩で、貧民たちは舞を乞うた。
「はー……」
 玉髄は腹を決めた。笠を下ろし、持っていた扇を広げる。
 記憶の中から覚えている歌を引き出し、みずから歌って舞う。

  あかつき静かに寝覚めして 思へば涙ぞ抑えあへぬ
  儚くこの世をすぐしては いつかは浄土へ参るべき


  夜明け前に静寂の中、目を覚まし 過去を思って涙を抑えられない
  むなしくこの世で命を保って いったいいつ極楽浄土へ往けるというのか

 古い歌だ。老いた者がふと人生をかえりみて、暁に涙を流す。仏の浄土への夢と、生に対する慟哭のような問いが籠められた歌だった。
 舞が終わると、貧民たちがワアワアと玉髄をたたえた。無理もない。彼らにとって、もう一度見られるかどうかわからぬ娯楽だ。
「まこと見事な舞。浄土にある天人のごとき所作に、世を捨てた拙僧の心も動きもうした」
「御坊……」
「今のが、答えのひとつでございます。世にあるもむなしきこと。しかし美しいものを見れば、この濁世にもいまだよいことのあると、思わずにはいられぬのです」
 玉髄はもうすこし話が聞きたかった。
「なんと見事な舞……」
「ありがたや、ありがたや……!」
 しかしできなかった。貧民が玉髄の周囲をとりかこみ、身動きできなくなる。
 坊主はすこし悲しそうに彼の様子を見つめた。
「今の御歌、あなたのお心の悲鳴にも聞こえました」
 坊主は一礼した。
「あなたに御仏のお導きがありますよう……」
 玉髄が気がついたときには、坊主の姿はなかった。
「やっべ、もうこんなに陽が!」
 陽がかなり傾いている。
 玉髄をたたえる貧民をかきわけ、一座の屋敷へ急ぐ。
「……ハア、また銭がなくなった」
 玉髄は肩を落とした。わずかな給金を、求められればすべて布施に使ってしまう。さらに求められれば、芸を披露してしまう。望んではいないが、せずにはいられない。
 ――夢のために。


「ずいぶん遅かったですね、玉髄」
「申し訳ありません」
 座長――朝日殿あさひどのの前で、玉髄は冷や汗を流していた。
 彼女は、玉髄をこの一座に迎え入れてくれた。行くあても食い扶持もなかった玉髄にとって、頭の上がらない恩人だ。ただ、どこか得体の知れないところがある。出身の国も、座長になった経緯も、玉髄は知らない。
「また、舞をタダで舞ったのですね」
「……いえ、あの」
「上下の区別なく芸を披露することは、われらの上客には嫌われるでしょうね」
 身分の高い者にも、卑しい者にも、等しく芸を見せる。
 いかに人気といえど、「極彩異形座」といっただけでさげすむ者もいるご時世だ。妙な噂が立って、客を逃すのは得策ではない。
「だがわれらは公界くがいの者。誰に芸を披露しようと、かまわないと思います」
「朝日殿……」
「さしずめ、仏の化身を恐れているのかしら?」
 神仏の化身――彼らは時として、人の姿をとって世にあらわれる。願いを持つ人間の志をはかるため、僧や貧民、病人の姿をとり試練を課すのだ。化身の願いや言いつけをクリアできなければ、志は折れ、願いは永遠に叶わない。
 逆に、試練に打ち勝った者は、ついに念願成し遂げるといわれる。徳の高かったといわれる人々の伝聞には、仏神の化身からの試練話がつきものだ。
 そういう話が、世の中にはいくつも伝わっている。
「意外と信心深いのね」
「……だって、おれは」
「そうね。あなたの夢はそうだものね」
 朝日殿はわかったようにうなずいた。一座の人間で、彼女だけが、玉髄の夢を知っている。
「にー!」
 突然、甲高い声がした。柱の影から小龍が飛び出してくる。青玉せいぎょくだ。青玉は一直線に玉髄に突進した。
「こ、こら、青玉!」
「あらあら、ご主人を引きとめすぎたかしら? 留守番はさみしいものね」
「申し訳ありません、すぐに……」
「いえ、あなたももう下がってもいいわ」
 朝日殿はクスクスと笑った。
「玉髄、寄り道はほどほどになさいね」
「はい……」


 自室に下がった玉髄は、物思いにふけっていた。
「寄り道はほどほどに、か……」
 青玉をなでながら、玉髄はつぶやいた。
 使いの帰りに寄り道するな、というだけの意味ではない。夢を叶えるために、もうすこしなにか考えなさい――朝日殿はそう言ったのだ。
「青玉、おれは夢を叶えたい。お前は、どう思う?」
 答えを返さない相手に、玉髄は問いかける。
 そう――青玉にも夢は話してある。いつか叶えたい夢があると。玉髄の夢を知っているのは、朝日殿と青玉だけだ。
「夢を叶えるとき、お前はついてきてくれるかな……」
「に?」
「いや、連れていく。お前はおれの大切な宝物だもんな」
「にー」
 青玉は玉髄に頭をすりよせた。彼の言葉に応えるように。
「青玉、もう寝よう。明日は宴席に招かれてる……」
 玉髄は寝床にもぐり込んだ。青玉が続く。
(儚く、この世を過ごしたくはないんだ)
 思いながら、玉髄は眠った。


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初出:2012年壬辰10月20日
古典参考:『阿弥陀経』、『梁塵秘抄』