第一幕 玉髄と青玉 二


 舞台を退いたあと、一座は京で拠点としている屋敷に入った。もとは貴族の屋敷だったらしい。主人がなくなったあとは、幽霊屋敷といわれて、買い手もなかったところだ。
 そこを一座が安く買い取り、修繕をして拠点としたのである。一座に属するは、外見や能力ゆえに世間から慮外された者たち。幽霊なんぞは恐れはしない。
「さあさ、食事めしだよー!」
 厨房をまかされている白女しらめが、陽気な声を上げた。
「はぁー今日も疲れたなぁー」
 ガヤガヤと一座の者たちが広間に集まり、夕食が始まる。
「皆、今日もご苦労様。さあ、いただきましょう」
 座長の朝日殿あさひどのが皆をねぎらい、夕食が始まる。
 この朝日殿こそ、座一番の美女にして、今日の最後の演目で舞った天女である。歳は二十とも三十ともつかない。年齢不詳の座長だった。
「いただきますー」
「いただきまーす」
 雑穀や汁物、それに今日は焼いた魚が膳に上がっている。
「お、今日は魚かー」
「……俺、この菜は苦手」
「やぁ、それにしても今日もよく客が集まった!」
「途中のアレはどうかと思うがな」
「いいンじゃない? どうせ異形座なンだからサ、アレくらいイイじゃない」
「あー酒呑みてー」
 食事や今日の舞台の話が雑多に交わされる。
 もちろん玉髄ぎょくずいもその中にいた。
青玉せいぎょく、おいで」
「にー」
 玉髄が座ると、肩に乗っていたケモノが、彼の足元に降りた。
 ケモノは細長い体をしている。小さな手足にはトカゲのような爪がある。全身は白い毛におおわれ、頭頂から背筋にかけての毛は青い。
 トカゲではない。蛇でもない。それは――小さな龍だった。
 当たり前に接しているが、龍は相当珍しい存在だ。本来なら神のごとき強大な能力をもち、変幻自在で、高僧や勇猛な武士でなければ滅多に出会えない。
 小龍こりゅうの名前は、青玉。玉髄が一座に入る前から、連れていた龍だ。玉髄になつき、いつも彼のそばにいる。今は、彼の手から食べ物を待っている。
「にっ」
「待て待て、今ほぐしてやるから」
 玉髄は自分の魚を細かくほぐし、小皿に乗せて、青玉に差しだす。
 青玉は小さな口でアムアムと魚を食べる。
「うまいか?」
「にー」
「そーかそーか」
 玉髄は青玉の耳元をクニクニとかく。
 青玉がころころころ、と喉を鳴らす。
「親子か、お前ら」
 玉髄の隣に座っていた大男が笑う。
 男の名は土雲つちぐもという。昼間の舞台で弁慶を演じた男だ。あの時は僧兵の頭巾をしていてわからなかったが、髪は胸元あたりまで伸ばしてある。しかも紅い。まるで紅花で染めたような赤毛だ。
「いや、むしろじじと孫だな」
「だーれが爺だ!」
 玉髄がムッとしてツッコむ。
「からかっちゃダメよ、土雲。玉髄はおチビさんが一番なんだから」
 朝日殿が言う。
「ね、おチビさん?」
「にー?」
 朝日殿の問いに青玉が顔を上げる。
 皆がドッと笑った。


 夕食が終われば、自由な時間となる。
 玉髄は肩に青玉を乗せ、廊下を歩いていた。
「玉髄」
「おう、土雲」
「ちょいとつきあえよ」
 土雲がくいっと杯をかたむける仕草をした。
「別にいいが……酒は?」
「俺のおごりだ。感謝しな」
 土雲は酒瓶を片手に持っていた。
「にっ!」
 青玉が玉髄の肩から飛び降りた。廊下から庭へ下りる。
「あんまり遠くへ行くなよ!」
 青玉はしっぽをフオン、と振って茂みに入っていった。
 男二人は廊下に腰を下ろし、酒を酌み交わす。
「あいかわらず、不思議なヤツだな。お前の言葉がわかってる」
「どうだろうな?」
「いや、お前の仕込みがなけりゃ、昼間の演出はできなかった」
 土雲が空を見上げる。
 月夜だ。これから満ちるであろう半月が、紺碧の空に浮いている。
「松の上でアイツが鞘を受け止め、絶妙の頃合いで投げ落とす。んでお前が受け取って……と、普通できることじゃない。うまくしつけたもんだ」
 玉髄は黙って杯の酒をながめる。
 たしかに、青玉は不思議な生き物だ。やれることは少ないが、教えれば必ずできるようになる。玉髄はひそかに、猿曳さるまわしが使う猿よりも賢い、と思っているほどだ。
「アラ、男だけで呑むなんて不粋じゃないのサ。アタシも混ぜとくれよ」
「おう! こっち来な、紅那火くれない
 土雲と玉髄のあいだに、紅那火と呼ばれた女が座った。
 朝日殿とは、また違った雰囲気の美人だ。妖艶で、瞳の色が常人とは違う。赤色から金色へのグラデーションで染められている。まるで燃える炎のようだ。
「玉髄、あのおチビちゃんはどうしたの?」
「なんか、遊びにいった。すぐ帰ってくるさ」
「うン、つまんない。さわりたかったのにサ」
 玉髄への酌を止め、紅那火は口を尖らせる。
「ところで……今日、宴席にいた侍。アレは仕込みじゃないンだろう?」
「ああ」
「思わず笑っちまったが、ありゃ感心しねぇな。悪いことが起こるぞ」
 土雲がわずかに眉をひそめる。
 相手は仮にも侍、こちらは芸人。身分から言えば、あちらの方が上だ。身分卑しき芸人どもに恥をかかされた、と報復されるかもしれない。
「一時、身を隠すか?」
「朝日殿からお咎めがあったってんならな……」
「ん? ああ、そういやなかったな」
 なにか問題を起こした者は、食事のあと、すぐに朝日殿に呼び出される。玉髄も土雲も、過去に舞台でヘマをやらかして呼び出され、お叱りを受けたことがある。
 しかし今日はなかった。
「朝日殿も、あんな客は追い出して正解って思ったってことか」
「それに、舞台を休んだら、銭の分け前がなくなる」
 玉髄はキッパリ言った。――「銭が欲しい」と。
「まーた銭か。お前けっこう、銭に執着するよな」
「おれには夢があるんだよ」
「どんな夢だ?」
「言わない」
「なんでサ?」
「言ったら、お前ら……絶対笑う」
「アラ、つれないじゃないのサ」
 紅那火が苦笑する。
「ン、でも銭を貯めて叶える夢ってンなら、ゆくゆくは……この一座を出ていくのかい?」
「そうなるかもしれないな」
「出ていくったって、玉髄。お前、大丈夫なのか?」
「たしかに……ここはこの目の色でも珍しがられない。逆に飯の種にできる」
 この日本くにの人間は、ほとんどが黒から茶色の瞳をしている。髪色も同じだ。
 玉髄の瞳の色は、翡翠色。玉髄は目の色ゆえに珍しがられ、気味悪がられたこともある。
「この座は、師匠とはぐれて、放浪してたおれを拾ってくれた。飯も銭もくれる。でも、やっぱりおれは、やりたいことがあるんだ……」
「銭くれるったって、少ないもんだけどなー」
 酒を呑んだらすぐになくなる、と土雲がぼやいた。
「てっとりばやく銭を貯めるってンなら、やっぱ『宝奪会ほうだつえ』に出るのが一番サね」
「『宝奪会』か……」
「あーダメダメ、こいつじゃ出れないって。玉女ぎょくじょがいねぇからな」
「う」
 玉髄が固まる。
 『宝奪会』――とある儀式の名称だ。会へ参じる者は、必ず二人ひと組――『王男おうなん』と『玉女ぎょくじょ』と呼ばれる役割を負わなければならない。多くは男と女が対となり、会へおもむく。
 紅那火がため息をついた。
「玉髄ってば色事の方向はまるでダメだねェ。仮にも座の花形なンだから、イイ仲の女のひとりやふたり、いるんじゃないのかい?」
「…………」
「その顔は、いねぇって感じだな」
 土雲がケラケラと笑った。
 玉髄はむくれる。
「ま、イイ仲の女がいたとしてだ。『宝奪会』に出てくれるような、強い女じゃなけりゃぁな」
「いっそ、朝日殿に頼んでみたら?」
「ハッハッ、あの座長様がこんな小僧を相手にするわけないだろう」
「土雲! お前なあ……」
「くやしかったら、この紅那火みたいな女を見つけるこったな!」
「アラ、やだよ、この人ったら。もう酔っちまったのかい?」
 土雲ががっぱと紅那火の肩を抱く。
 紅那火も言葉では呆れているが、まんざらではなさそうに笑う。
「ハア、どうやらおれは、お邪魔になってきたみたいだな」
 玉髄は立ち上がった。


 玉髄は自室へ戻る。
「はー……」
 屋敷の北側にある小部屋だ。広さは方丈(三メートル四方)もない。三方は壁で、明かり取りの窓があるだけ。調度ちょうどは寝床に文机、それに質素な唐櫃だ。
「あ、いけない」
 玉髄は窓を開けた。月明かりが射し込む。部屋がわずかに明るくなる。
「にー」
 窓から青玉が顔を出した。にゅう、と首を伸ばして玉髄の様子を見ている。
「ほら、もったいぶらずに入ってこいよ」
「にっ」
 トン、と青玉が床に降りた。
「よしよし、いい子だ」
 玉髄は青玉を抱きあげる。
 青玉が一番の友達だ。一番優しい顔ができる。
「玉女……か」
 青玉の背をなでる。
「お前が俺の玉女だったらなぁー」
 青玉の頭を指でなでる。
 青玉はコロコロと喉を鳴らす。小さな耳がピコピコと動く。
「かわいくて、強くて、かしこい玉女になるだろうなぁ」
 玉髄はなでるのをやめて、つぶやいた。
「にー?」
 青玉が首をかしげる。つぶらな青い瞳が、玉髄を見上げる。
「はは、わかんないか。いいよ」
 実を言えば、青玉がオスなのかメスなのか、玉髄は知らない。だが戯れに言ってみたくなった。酒のせいだろうか。
「もう、寝よう。今日は酔った」
「にー」
 玉髄は寝床に入る。彼によりそうように、青玉が体を丸めた。
 屋敷のどこかから、笛の音が聞こえる。楽人たちが、月に誘われて興に乗ったのだろう。
 ここは本当に居心地がいい。「異形」と忌まれた玉髄も、ここでは物珍しくもない小僧だ。華やかな衣装に身を包み、舞台に上がれば褒めそやされる。衣食住にも不自由しない。一座の仲間も、気がいい奴ばかりだ。
(だけどいつか……)
 いつか、いつか、と考えて。いったい、いつ来るのだろうか。
 いつか夢を叶える、と思い続けて。
 ずるずるとこの一座に居続けている。

  ませに咲く花にむつれて飛ぶ蝶の うらやましくも儚かりけり

  ませ垣に咲く花に親しみなつくように飛ぶ蝶は
  うらやましいかぎりであるが、同時にむなしくも感じることよ


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初出:2012年壬辰10月08日
古典参考:『山家集』雑(西行)