龍は吟じて虎は咆え
伍ノ三.託宣


「飛んだのね」
 青玉が薄く笑って、小さな鼻をクン、と鳴らした。
「大空の匂いがする」
「余計なことは言うな。また牢にブチ込むぞ」
 青玉はその言葉を恐れもせず、ただ微笑んだだけだった。
「秋が来れば、いずれわかるわ」
「……俺の気は短いぞ?」
 剛鋭が目を細めると、まわりを固めている兵士たちが剣のつかに手をかける。普通の人間ならすくみあがってしまうだろう。しかし、少女は軽く肩をすくめただけだった。
「あれには、意思がある」
 そして、青玉はその知るところを言葉に紡ぐ。託宣をする巫女のように。
「とても単純な意思。多分、これからも方角は変えない」
「と、なると――」
「王都を、守った方がいい」
 剛鋭はふと、青玉の目を見て――ハッと目を見張った。青玉の瞳から、温度が失われている。太陽に照らされた、空の色ではない。月光に浮かぶ、氷の青だ。冗談めかした態度は、そこにない。
「蜚牛がここに降ったのは幸い。災厄のひとつは予想できる」
「また、同じようなことが起きるのか」
「蜚牛が落ちたのは、この湖が初めてだった」
「なぜだ?」
「力は、力に惹かれるから、かしら」
 少女の答えは、どこか漠然としている。
「ある物事の発展する場所には、それなりに理由がある。大きな湖も、大きな城も、そこに力が集まっているから」
「王都には、あの雲の城を、バケモノどもを惹きつける力があるというのか」
 青玉は黙ってうなずいた。獅子のように剛鋭はうなる。彼の緊張が周囲の兵にも伝わり――玉髄たちも、息を呑んだ。


 それから数日間、兵舎はあわただしい雰囲気に包まれたままだった。
 剛鋭はあの雲の塊に、かなり警戒感を抱いたらしい。部下の騎龍五名と、亮季、喜玲、そして玉髄を交代で見張らせた。
 しかし、雲を超えた上空で、日に数里(約二、三キロメートル)動くか動かないかの雲の城を見張るのは、さすがの騎龍たちにも負担が大きかった。数日も経つと、熟練の騎龍たちも疲労の色を濃くした。見習い騎龍――特に玉髄に至っては、半死半生といった態である。

「そろそろ、騎龍が飛べる範囲の限界だよ! 困ったな。正体ははっきりしないから、緊急事態っていうわけにもいかないし……」
 賢歩が頭を抱えていた。
 騎龍は、戦場と所定の場所以外、龍を飛ばすことが禁じられている。雲の塊は、その範囲を超えようとしていたのだ。もちろん視認するだけなら遠目でも可能だろうが、蜚牛がまた落ちた時の地上の混乱には、対応できない。
「あんまり騒いで騎龍総動員、なんてしたら、国内全体に動揺が走っちゃうよ……」
 騎龍が飛ぶには、決められた範囲がある。だが、国王か軍師の許可があれば、どこでも飛ぶことが可能になる。
 しかし、軍師は西方、国王も王都にいる。しかも先の戦の衝撃もまだ残っている。まだほとんどなにもわからない状態では、兵を動かす許可を求めることさえはばかられた。
「だが、部下たちの疲労も、そろそろヤバい。司龍、青山に知らせてくれ」
「青山かぁ……」
 青山は、言わずと知れた騎龍たちの聖地である。騎龍のほかに、方術を会得した神官や巫たちも多くいる。この不可解な怪異に対するには、彼らの助けを借りるのがよいのかもしれない。
「青山は、国防に関与しないのが原則だけど……わかった。ボクがなんとかしてみよう。剛鋭サンは、王都と登紀叔母様に知らせて」
「ああ」
 二人の高官は、急いで書簡を書く用意をさせ、筆を走らせた。しっかり封をし、それが重要なものであることを示す。
「おい、誰か玉髄を呼んでこい」
 呼ばれて参上した玉髄は、必死に立っている様子だった。多少は武の心得があるといっても、軍人として鍛えているわけではない。当然、ここ数日で溜まった疲労は誰よりも濃い。顔色がかなり芳しくない。
「玉髄、手前は今日はもう休み、明日、王都に戻れ」
「なぜ……です?」
 剛鋭は、しっかりと封のされた書簡を一通取りだした。
「こいつを、我が君に渡してほしい。王都についたらすぐに、だ」
 国王に渡す書簡――緊急の用件であることは、容易に想像できた。しかも国王侍従である玉髄ならば、人を使って取り次ぐなどと余計なことをせず、国王に直接、書簡を渡すことができる。かなり急ぎのものなのだろう。
「軍師にも、別に使いを出す。手前は、この書簡をしっかり守れ」
「わかりました」

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初出:2010年庚寅4月25日