龍は吟じて虎は咆え
伍ノ四.王都帰還


 玉髄はその日、死んだように眠り――そして翌日、出立した。「急げ」とも言われたので、夜を昼に継いで、王都に向かった。早舟や馬を乗り継ぐその強行軍に、またかなり消耗することになるのだった。
 王都に到着するなり、玉髄は参内し、晃耀に書簡を奉った。晃耀はそれに目を通すと、すぐさま王都に残っていた将軍らを呼び寄せ、相談を始めた。彼らが知るべき事項はすべて書簡に記されていたらしく、玉髄は一足先に、屋敷に帰ることを許された。
「やっと……帰ってこれた……」
 屋敷に到着した時、外はすでに夕暮れに沈んでいた。主人の帰宅に、召使たちが喜んだのは言うまでもない。彼らのあたたかい出迎えに、玉髄は思わず涙ぐんでしまった。
「今日は……もう寝よう」
 部屋の中には、すでに夜が侵入している。夕餉もそこそこに、疲れ切った表情で、玉髄は寝台に突っ伏した。すぐに睡魔が襲ってくる。もう、しばらくは起きたくない。
 その時。
 コン、と窓の格子を叩く音がした。
「!?」
 玉髄は飛び起きた。そして、窓を開けて――。
「や」
 その瞬間、玉髄は思いっきり前につんのめった。
 茜色の光に照らされた庭にいたのは、青玉。蟠大湖の兵舎で、幽閉されていたはずの彼女が、にこにこと笑って立っている。
「ど、ど、どうしてここに……!」
「ふふ、応龍の気配は、よくわかるわ」
「応……?」
「あなたに与えた、翼のある龍よ。応龍と言うの。前にも言ったでしょう?」
 玉髄は混乱したい気持ちをグッと抑え、頭の中で状況を整理する。
 彼女がいた蟠大湖から王都までは、数日はかかる。いまごろあちらでは、青玉(セイギョク)がいなくなったことが露見して大騒ぎになっているだろう。
 その少女はいったい何をどうしたか、城壁に囲まれ城門を経ねば入れぬ王都の中に入り込んでいる。
「わたしは、応龍の龍師よ。あなたのそばにいるのが、いちばんいい」
 玉髄にはすでにわかっていた。どう説得しようと、この少女は折れないだろう。自分のそばから離れないに決まっている。
 ならば、ここは追い払うよりも――。
「わかった! もう腹をくくった! 青玉、お客としてもてなすから、僕の屋敷でおとなしくしてて!」
「ありがとう、玉髄」
 こうして、ふたりの奇妙な生活が始まった。


 数週間ぶりに、玉髄は文官の服に身を包み、侍従として参内した。すぐさま国王から、二人きりで会いたいとお召しがかかった。
「玉髄、お帰り!」
「晃耀……?」
「ほら、このあいだは言えなかったし」
 御前に参上したとたん、幼馴染が笑顔で出迎えてくれた。ふとそれに懐かしさを思い出し、玉髄は思わず涙を目に浮かべそうになった。
「昨日会ったときは、あのまま倒れるんじゃないかと思ったよ……。騎龍の調練は、辛かった?」
「うん、すごく辛かった。でも……」
 敬語もなしに、玉髄は答えた。晃耀にいらぬ心配はかけたくない。玉髄は、辛かった事実をあっさり認めて、そして笑った。
「僕は、もっともっと頑張るよ。頑張って、この国のために戦える者になる」
 玉髄の笑顔に、晃耀も微笑んだ。
「なんだか、すごく逞しくなった。見違えたよ」
「そうかな?」
「うん。これからは、玉髄が護ってくれるんだね」
「僕はまだ未熟だよ。自分をどうにかするだけで、精一杯さ」
 玉髄は苦笑した。
「そうだ、晃曜。大事な話がある」
「なあに?」
「……あの、青い髪の仙女を、僕の屋敷に迎えたんだ」
「青い髪の仙女って……あの、龍師!? 本当なの!?」
「本当は、朱将軍のところにいたほうがよかったのかもしれないけど……ついてきちゃって。仕方ないから、いまは僕の屋敷から出ないよう言いつけてあるよ」
 玉髄は真剣な表情で、だが内心ドキドキしながら報告する。どんなお咎めがあるか、それが心配だった。
「彼女の目的も聞き出した。覚えてる? 断京を消滅させた、あの虎符(こふ)のこと」
「ああ。あの金色の光を出した、割符だね」
 晃耀は怒りもせず、玉髄の報告を冷静に聞く。王者の鷹揚さだ。
「あの子が断京のもとにいたのは、彼が持っていたその虎符を破壊するため。あれは、本当は琥符といい、すべてを破壊する力を秘めているらしい。彼女はいままで、あの琥符の行方を追っていたそうだ」
「確かな話?」
「本人がそう言っていた。たぶん……そうなんだと思う」
 晃耀は、その話を聞き終わると、キッと表情を引き締めた。
「玉髄、軍師やほかの者とも相談しなければならないけれど……彼女に特赦を出せるようにしよう」
「晃耀、それは……!」
「彼女は、この国に必要な人だ。罪には落とせない」
 少女の顔が、王になっている。年は若くとも、その風格があふれていた。
「ありがとう、我が君」
「だけど玉髄、特赦を出せる時まで、しっかりその仙女の身柄を預かっておいて。誰に何を言われようとも」
「御意」
 玉髄は臣下として、覚悟をこめて、しっかりと拱手したのだった。


「玉髄様、お帰りなさいませ」
 屋敷に帰ると、若い侍女が玉髄を出迎えた。女茄(ジョカ)という名で、ぽっちゃりした体つきの侍女だ。容貌も十人並みで、けっして美人とは言えない。しかし変に気を張らないで済む。玉髄にとって、よい家人だった。
「それ、夕食の?」
「はい」
 侍女は、食事の用意の途中だったのだろう。手には、生きた魚の入った水桶を抱えている。
「青玉は?」
「いまは、おやすみになっておられます」
 家人たちのほとんどは、青玉を畏れていた。多分、気味悪がってもいるだろう。
 そんな中で、玉髄はこの女茄に、青玉の世話を頼み込んだ。彼女は快くそれを受けてくれたが、心中では相当迷惑しているのかもしれない。
「すまない、無理言って」
「玉髄様は、無理など仰らない方ですわ」
「いや、でも……青玉のことはさ、気が張るだろう?」
「いいえ!」
 女茄は、強い調子で否定した。その顔が笑っている。
「女茄は、平気です! それどころか、ワクワクします!」
「わ、ワクワク?」
 急に意気が上がった侍女に、玉髄は思わず呆気に取られた。
「青と白は、神聖な色! その二色をそなえた龍をお持ちの、青き仙女様! これはもう、峰国と玉髄様によきことの起こる前触れですわ!」
 瞳にキラキラと星をきらめかせて、若い侍女は力説する。
「ああ……女茄は、この幻想的な運命に立ち会えるのですね。嬉しゅうございます〜」
 うっとりした口調で言いながら、侍女は両手を頬に当て、乙女全開のポーズをする。微笑ましい気はするのだが、容姿が容姿なのであまり似合っていない。
 玉髄は、口元に引きつった笑みを浮かべた。この侍女が、伝説や幻想的なことが好きなのは知っていたが、ここまで狂信的だったとは。頭を抱えそうになる。
「お腹すいた……」
 ぽや〜っとした声がした。青玉がぼーっとした顔で佇(たたず)んでいる。寝起きはいつもそうなのだろうか、フラリフラリと玉髄たちのほうに歩いてくる。
「青玉様! よくお休みになられましたか?」
「うん」
「よろしゅうございました。お食事の用意、いたしますわね」
 女茄が桶を軽く上げて、示した。魚が、生きもよく跳ね上がった。
「それ……」
「今晩の食材ですよ。生きがいいでしょう?」
 女茄は桶を地面に下ろした。澄んだ水の中で、魚の鱗が銀色に光る。よく見れば、底の方にはカニもいるようだった。
「これっ、食べていいの?」
 青玉は急に目を光らせた。まるで子供だ。
「うん、今夜の晩ごはんだよ。いま調理させるから――って、もう食べてるーッ!?」
 玉髄は、思わず悲鳴を上げた。
 青玉が桶に手を突っ込んだかと思うと、次の瞬間には魚を頭から貪っていたのだ。ボリボリと容赦無い音が響いてくる。
「駄目だよ! 僕たちの分もあるんだから――って、言ってるそばから蟹を殻ごと食べないの!」
 モリモリ食う、とはまさにこのこと。硬いはずの甲殻はたやすく噛み砕かれ、青玉の喉がゴクリと鳴る。
「青玉! おあずけ!」
「ええー?」
「ええーじゃない! はしたないとは思わないの!?」
 犬から餌を取り上げるように、玉髄は桶を持ち上げた。そして中をのぞいたが、被害は魚一匹、カニ一匹で済んだようだ。玉髄は呆れながら揺れる桶の水を見ていたが、ふとなにかを思いついたように青玉に尋ねた。
「ねぇ、青玉。もしかして、なんでも食べられるの?」
「うん」
「丸ごと?」
「うん」
 とどこおりなく返事が返ってくる。玉髄の眉が大きく寄った。
「ま、まさか……人を食べたりはしないよね?」
「あはは、まさか」
 青玉はコロコロと笑う。一方の玉髄は、ふーっと息をついた。
「ちゃんと、人も食べられるよ」
 その瞬間、玉髄は前につんのめり、危うく桶の中身をひっくり返しそうになった。
「青玉! サラッと怖いこと言わないで!」
「聞いたのは玉髄でしょー?」
 玉髄がまた悲鳴のような声で怒鳴るなか、青玉は悪びれた様子もなく返す。
「言っとくけど、それは可能か不可能かで言った時よ。玉髄を食べたりはしないよ?」
「ああそう……」
「それに、お肉より、わたしは果物の方が好きだよ?」
「それ、口のまわり血みどろにして言っても説得力ないから……」
「さすが仙女様! 俗世のわたしたちとは、違いますね〜!」
「女茄……それ違うと思う……なんか違うと思う……」
 生きる世界が、違いすぎている。その感覚に適応している侍女も侍女だ。
 玉髄は、るるーと涙を流したくなった。

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初出:2010年庚寅6月18日