「一人ずつ、所定の場所から龍を出して、かかってこい。まずは甘(カン)喜玲(キレイ)、行くぞ!」
「はい! よろしくお願いします!」
湖の浅瀬に、色鮮やかな光が満ちる。そして、龍の咆哮が水面に波紋を描いた。
剛鋭の繰り出す技は容赦なかったが、避けられないものではない。
喜玲(キレイ)は、それを素早く回避し、速さのある彈を繰り出した。
次の亮季(リョウキ)は、彈をかいくぐって剛鋭に肉薄し、剣を叩きこんだ。
「よーし、その歳にしては、いい手並みだ」
「あ、ありがとうございます!」
剣は止められたものの、褒められた亮季が、表情をまた湖のきらめきと同じくした。
二人の若者の調練は、あっという間に終了する。そして――。
「次、虹玉髄!」
いよいよだ。玉髄は表情を引き締める。乾いた喉が鳴った。
「よろしく、お願いします」
「指定の位置についたら、すぐに龍を出せ」
剛鋭には、先程の若者たちを相手していた時とは違う、威圧感が漂っていた。
「もとから力の強い龍だ、全力で制御しろ」
「はい」
短く返事をして、別れる。水の中に入る。冷たい浅瀬をかきわけ、先ほど亮季たちが最初に立っていた場所に、しっかりと足をつけた。
「ふー……」
今度は、ため息ではない。深く、深く息を吐いた。手の中に如意珠を収めたまま、玉髄は瞳を閉じた。
――わかる。
体の奥から、光がわき上がってくる。
そしてそれは、まず喉元からあふれ、翡翠色に光る菱形の紋章を、皮膚に描く。あたかも、龍の逆鱗のように。そして、光とともに、体中に力が満ちる。眼が熱い。
本人にはわからないが、眼の黒は失われ、翡翠色に射しかわった。
「来い、我が龍よ!」
体が弓弦のように弾けた。玉を、空へを放り上げる。ごく自然に、「来い」と叫んでいた。
そしてそれに応えるように、黒くいびつな玉が、翡翠色の光を放つ。その孔から、漆黒の龍が現出する。胸のすくような感覚に、玉髄は心を奪われた。その高揚感で胸を満たしたまま、龍とともに空へと舞い上がる。
だが、高揚は途切れた。
「うわああッ!!」
血紅色の光が、突如として彼を襲った。剛鋭の放った彈だ。黒龍の翼に直撃する。空中で均衡を崩し、玉髄は思わず龍頭にしがみついた。
「は……ッ」
そして、次の気配を感じて顔を上げた瞬間――また紅の彈に襲われる。玉髄は、ただ悲鳴を上げるしかなかった。
その調練の異常さは、地上でそれを見ていた少年たちにも伝わった。
剛鋭は、玉髄が空に昇るなり、容赦なく彈を撃ち込んだ。ギリギリで避けられるように手加減した攻撃のようには見えなかった。戦場で、敵の騎龍と相対したときの、殺気にまみれた攻撃だ。
「玉髄君!?」
黒い龍が空中でもんどりうつのを見て、亮季と喜玲は目を見張った。
「ひっでぇ……朱将軍、容赦ないぞ」
無様に逃げ惑う黒い龍。それを追う、紅の龍。そこには情けがない。
「ね、噂で聞いたんだけどさ。玉髄君って……今日が初めて、なんだって」
「初めてって?」
「玉髄君、にわか騎龍なのよ。聞いたことない?」
「あの噂、マジなのか? だって、あんだけ強そうな龍を持ってるんだぞ。それにあいつ、虹家の当主なんだろ?」
「そう、たしかに……先代の虹家の当主は、伝説的な騎龍だったと聞いてるわ」
先代の虹家当主――玉髄の父、玉仙の龍は、濃灰色の鱗が雄々しい強い龍だった。それを操る玉仙も、龍やその彈の特性をよく理解した天才だった。その力ゆえに、彼は先王の片腕となり、大国の侵攻をも退け、大将軍の地位まで昇りつめたのだ。
「そのご子息なんだもの。私たちが知らない、特別な訓練を受けて、そして騎龍になったと。筋としては、そっちが自然なのかもしれない」
喜玲は眉を寄せた。その視線の先に、必死に彈を避ける黒龍がいる。
「でも、実際は違う。王都から来た騎龍に聞いたの。玉髄君は、先の戦で捕虜にした龍師から、にわかに如意珠を与えられたんだって」
「マジかよ。にわかなのに、あの黒い龍か……かー! 世の中、不公平だよなぁ!」
「そんなこと言わないの。たしかに、うらやましいけどさ」
その時、また大きな水飛沫が上がった。湖面すれすれまで下がった黒龍が、体勢を立て直そうともんどりうっている。風圧で水面が割れて、大きな波を立てる。
「玉髄君は、騎龍なのに騎龍に関してはド素人なのよ。素人相手に、朱(シュ)将軍はやりすぎよ……」
「確かに。見てて気持ちのいいモンじゃないな……」
若者たちの胸に、不条理への不満が渦巻きだしていた。
紅い龍が、黒い龍を追いかけまわす。まるで戦場にいるような攻撃を畳みかける。
黒い龍は、おのれの翼さえも満足に動かせない様子だ。騎龍――玉髄が、龍の動かし方をよくわかっていないからだ。無駄の多い動き、広げた翼は恰好の的だ。
「はっ……はっ……!」
「満身創痍だな」
十数発は被彈して、剛鋭からの攻撃が止んだ。空中で対峙する。
「やはり、にわかはその程度か」
その程度も何も、玉髄は龍についてほとんど知らないのだ。
先程も、龍が動くままに任せ、彼はただひたすらしがみついていた。よくも落ちなかったものだと思う。だが剛鋭にはそれを考慮する気はないらしい。玉髄が未熟なのをわかりきった上で、攻撃を加えているようだ。
「峰国の騎龍は、すべて東の青山より生まれる。厳しい修行に耐え、そして太祝様から玉を与えられる。それは青山にまします、大女神の意志によるところだ。それが正しい騎龍の道。俺たちには、そうして選ばれた者という自負がある!」
剛鋭の口調が、鋭くなる。その顔にあるのは嫌悪だ。
「あの得体の知れない小娘から、安易に力を得た手前とは違う!」
「安易……?」
「手前は、外道だ」
玉髄は、ぐっと口をつぐんだ。反論の言葉は出てこない。上がった息が戻らない。目がかすむ。体が震える。
「終わりだ、玉髄」
剛鋭は右腕で大きく弧を描く。それに従い、五つほどの彈が空中に現れる。紅く輝くさまは、まるで太陽のようにも見えた。
「……に、逃げ……」
玉髄はおびえた。かすれた声に黒龍が応じえう。翼を大きくひるがえし、剛鋭から距離を取ろうと飛ぶ。
「逃がさん」
剛鋭が腕を振り下ろした。五つの彈はすこしずつ時をずらして、それでも確実に玉髄の龍を襲った。
「うわああぁっ!!」
強い衝撃、熱を帯びた風。玉髄はただ落ちゆく龍にしがみついた。龍自身が抵抗しているのだろうか。落ちる速度は、やや遅い。
「手前のお父上は、強いお人だったのによ。その方よりも強大であろう龍を得たのに――肝心の手前は、その体たらく……」
落ちゆく黒龍を見ながら、剛鋭は残念そうにつぶやいた。
「やはり、手前に騎龍である資格はない」
剛鋭が手をかざす。ひときわ大きな彈が、浮かんだ。とどめの一撃だ。
「朱将軍――!」
その時、亮季と喜玲が、それぞれの龍に乗って、剛鋭の前に飛んできた。
「調練中だ! 来るな!」
「朱将軍、おやめください!! いくらなんでも、やりすぎです!」
「黙れ! 下がっていろ!」
若者たちは剛鋭の意図に気づいたのだろう。しかし、剛鋭の咆え声の前に、若い騎龍たちは沈黙するしかない。
「手前らも騎龍の端くれなら、わかるだろう! こいつの力はな、危うすぎるんだよ!」
剛鋭は、手を振り下ろした。
「玉髄君、逃げて!」
喜玲の叫びも間に合わぬ速さで、紅い彈が黒龍に襲いかかる。それを真正面から受け、黒龍は完全に墜ちた。
翼などなかったかのように、水面に吸い込まれていく。大きな波しぶきを上げ、湖に大きな体が沈んでゆく。
「玉髄君――!」
悲鳴のような叫びが、うねる水の上にこだました。
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