(来てしまった……)
玉髄は、蟠大湖(ハンタイコ)に連れてこられていた。
蟠大湖は、峰(ホウ)国東部にある、この国でいちばん大きな湖だ。
峰国東方をめぐった川が幾筋(いくすじ)も注ぎ、「龍たちがわだかまる湖」とも言われる。その湖は、上空から見ると、満月の前に三日月が重なったかのように見える。つまり、湖の半分あたりの場所で、周囲の山が両側からせりだし、湾になっているのだ。
そしてその湾になっている部分は、王国軍によって管理されていた。騎龍たちを鍛える場として、だ。穏やかな水面に漁師の姿はなく、兵装の者があちらこちらを動き回っていた。
玉髄(ギョクズイ)は待機しておくよう言われたので、やることもない。人気(ひとけ)のない物陰(すみ)に座り込んで、湖を眺めていた。
湖から吹く清涼な風。浅瀬(あさせ)に生える葦(あし)が、茎を波のように揺らし、葉を波の泡沫(うたかた)に見立てる。碧(あお)い。空も水も葦も、青と緑を重ねあって、碧い。
だが、その碧(あお)い匂いを胸におさめても、玉髄の憂鬱と不安は消えなかった。
「はぁ……」
玉髄は、数日ぶりのため息をついた。
彼にとって、先の戦(いくさ)のごとき気づまりな旅をしたからだ。慌(あわただ)しく王都を出て、しかも自分を快く思っていない剛鋭(ゴウエイ)と道中をともにした。彼らを護衛したのも、剛鋭の手の者ばかり。息をするのも、思わずはばかりそうになったのだ。
そして、視界いっぱいに開けた水の光景も、これから彼を鍛えるための場所だ。どれだけしごかれるのか、想像するだけで憂鬱だった。
「あ! ねぇ、もしかして、あなたが虹(コウ)玉髄(ギョクズイ)殿?」
「そうだけど……君たちは?」
名前を呼ばれて、玉髄は振り返った。憂鬱が途切れた。見れば、二人の若い兵士が立っていた。歳の頃は、玉髄と同じくらい。片方は黒髪の少女、もう片方は赤毛の少年だった。
「あたし、甘(カン)喜玲(キレイ)。風加羅(フウカラ)将軍のとこの、騎龍見習いよ」
「俺は炎(エン)亮季(リョウキ)。天(テン)将軍のもとで、騎龍見習いとして修行してる」
二人の眼には、きらきらとした輝きがある。すでに気が重くなっている玉髄とは正反対だ。
「よろしく……」
「なんだよ、元気ないじゃないか!」
いきなり背中を叩かれた。思わず玉髄は咳き込む。
「き……君は元気そうだね」
「あったり前だろ! 騎龍になって、初めての正式な調練だからな。ここで力を見せれば、上への道も開けるってモンだぜ!」
亮季(リョウキ)と名乗った少年は、輝くばかりの笑顔だ。まぶしい、と玉髄は思った。希望にあふれた彼らは、上に登ることを夢見て――そして、つかもうとしている。自分にはない感情だった。
「ね、ね、宮中ってどんな感じなの? あとで聞かせてね〜」
喜玲(キレイ)が、年相応の興味を持って、玉髄(ギョクズイ)にねだった。その顔にも希望があふれている。
「見習いども、こっちへ来い! 始めるぞ!」
剛鋭(ゴウエイ)の怒鳴り声が聞こえる。
玉髄は思わずすくみそうになったが、もう二人の若者は、水の輝きを瞳に宿した。
「はいっ!」
「よし、行こうか」
「ああ……」
深呼吸のふりをしたため息を吐いて、玉髄は立ち上がった。
|