龍は吟じて虎は咆え
弐ノ八.夢と現


(ちちうえー)
 ぼんやりと、玉髄は夢を見ていた。
 夢の中で、子供のころの、記憶をたどる。
 花と光の満ちた庭で、父親といる。母親が、笑っている。
 花に止まる蝶を追って、玉髄は駆ける。蝶は空高く舞い上がり、玉髄の手の届かないところに行ってしまった。
(あー……行っちゃった)
(逃げられたか。蝶は飛べるから、しょうがないな)
(父上も、お空を飛べるんでしょ? 僕も、父上みたいなきりゅうになりたいです!)
(ははは、残念だが、それは無理だ)
(何でですか?)

 父親は、玉髄の頭を撫でた。
(お前は、私のただひとりの子だ。虹家を継ぐ、ただひとりの者。それを忘れないでおくれ)
(ただひとりだと、きりゅうになれないのですか?)
(そうだな。お前に、弟か妹がいれば――いや、詮ないことだ)

 父親はそう言って苦笑した。まだ若い父が諦めたようにため息をついた、その意味を、玉髄はまだよく理解できなかった。


「う……うう……」
 玉髄は目覚めた。
 どこかの部屋の寝台に寝かされていた。もう夕暮れ時なのだろうか。淡い金色を増した光が、部屋に射しこんでいる。
「よかった、気づいたんだね」
「晃……いや、我が君」
 目を開けてまず見えたのは、晃耀だった。玉髄は一瞬、友の顔に安心しかけたが、周囲に軍師や将軍たちがいるのを見て、飛び起きた。
「玉髄、起きちゃ駄目だよ!」
「で、ですが」
「まあまあ……とりあえず、その手を開いてみなよ?」
 英凱に言われて、玉髄は初めて、自分の左手を見た。皮膚が白くなるほどに、強く握っている。感覚がほとんどない。
 玉髄は一瞬ギョッとした。だがいつまでもそうしてはいられないので、右手でゆっくりと左手を揉みほぐす。そうしてやっと手が開いた。黒く、そしてヒビ割れた不格好な石が、握られていた。
「君は騎龍になった。もう、後戻りはできないよ」
「僕が、騎龍……?」
 玉髄は記憶をたどる。刑場で、あの少女が龍たちを操ったのは覚えている。そして彼女は、自分の持っていたギョクを、龍に変えた。そして自分は、あの龍を――。
「なんてこった。コウ家は、これで終わりだな」
「剛鋭!」
 剛鋭の小さなつぶやきを、軍師が鋭くとがめた。ごく小さな声だったが、玉髄にも聞こえた。
「終わりって、なんですか……?」
「あー……」
 英凱が、じとっとした視線で剛鋭を睨んだ。
 剛鋭もまずいことを言った自覚があるのだろう。苦々しげな表情で、目を伏せている。
「もうすこし、落ちついてからのほうがいいと思うんだけど、聞きたい?」
「……はい」
「騎龍はね、どこの家でも嫡子あとつぎや当主がなってはならないものなんだ。アタシも剛鋭も、二男坊、三男坊さ」
「え、でも、父は騎龍でしたが……」
「知らないの? さきの大将軍が騎龍になったのは、君が生まれてすぐ。逆に言えば、大将軍は、君が生まれるまで、騎龍になるのを先延ばしにしていたんだ。君が生まれるまで、大将軍は普通の人間だったんだ」
「そういえば……しかし、なぜ――」
 なぜ、と尋ねかけて、玉髄はハッと表情を凍らせた。
「騎龍になる教育、というか心構えを教わってない君に言うには、酷(こく)だけどね」
 英凱が、言い辛そうに口元を歪ませる。
「騎龍になるとね……んー……子供を作る力が、なくなってしまうんだ」
「え……」
「もし、自分の龍が死んだり、如意珠ニョイジュの力を放棄すれば、戻るらしいけどね。龍は丈夫だから、めったに死んだりしない。人間が死ぬ方が、先のことが多い。そして、せっかく得た龍の力を放棄する馬鹿もいない。もっとも、放棄する術(すべ)なんて、誰も知らないけど」
「つまり……僕は……」
 玉髄は言葉を継げずに、口をパクパクと動かすだけだった。
 虹家の血を継ぐ者は、自分しかいない。その自分が子供を作る術を失った。当然、虹家をその血統で存続させることが、不可能になったのだ。
 青玉の言葉が、父親の苦笑が、頭をぐるぐると回る。

『好きな子はいる?』

(弟か妹がいれば――いや、詮ないことだ)

『子供を作りたいと、思えるような人』


「そ……そ……そういう……ことか……!」
 玉髄の頭の中で、なにかが急速に膨らんでいく。そしてそれは弾けた。
「うそだぁぁぁぁぁぁっ!!」
 玉髄は叫んだ。怒りと悲しみと不条理への戸惑いが、ないまぜになって混乱を引き起こす。おばけに驚かされた子供のように、悲鳴を上げる。
「まずい、恐慌きょうこうを起こした!」
「落ち着かせろ! 薬師やくしを!」
「玉髄、気を確かに!」
 少年の狂ったような叫びと、周囲の大人たちの声が、しばし響いていた。

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初出:2009年10月16日