二頭の土蜘蛛は水から上がり、哀れな若者を見つめていた。
『どうする? 妃よ』
『鬼に成るまでは、好きにさせてあげましょう』
慈悲深き女神のような微笑をたたえ、絡新婦が言う。
『短いあいだだったけど、パートナーだったんですもの。一番近くで見守るといいわ』
らいの膝を枕にして、一磨は鬼になろうとしていた。
「一磨さん! 一磨さん!」
らいは何度も呼びかける。
一磨の変化は止まらない。髪がぼさぼさに伸び、額に突起が現れはじめる。
「あ……!」
らいは腹を押さえた。
「こんなときに!」
らいが目元を歪める。瞳が光を失う。金緑色から黒色へ。
らいの背後で戦っていた神虫も姿を消す。
空腹が、彼女をむしばんでいた。
「ら、い」
荒い息の中で、一磨はらいの手を取った。
「俺も限界だ。鬼に成る。俺を喰え、らい!」
「いやです」
「頼む!」
「いやです!」
「頼む、らい。鬼を……倒さ、なければ……」
「いや……!」
らいは首を横に振る。
「あなたは食べられない。でも」
らいはゆっくり頭を下げる。
「わたし、賭けます」
ちゅ。
唇へのキス。血まみれの唇に、やわらかい唇が重なった。
らいが、一磨の口中に満ちていた血を、吸う。
ゆっくり二人の顔が離れる。血まじりの糸が二人の舌を結ぶ。
「おいしく、ないですね」
糸が消え、らいはほほえむ。そっと一磨を横たえる。立ち上がる。
「らい……?」
何をするつもりなのか。
「おおおおおおおおッ!」
らいが絶叫した。ビリビリと洞窟中に響く。
戦うつもりだ。あのわずかな血で、神虫を呼び出し戦うつもりだ。
「神虫、鬼を喰らえッ!」
神虫が現出する。朱顎王に飛びかかる。
『フンッ!』
朱顎王が脚を振るう。神虫は地面に倒され、押さえつけられた。
「あ!」
絡新婦の前脚がらいを襲う。張り倒され、地面に押さえつけられる。
『特攻とは……健気ねぇ。反吐が出そうなくらい、美しいこと』
「か、ずま、さん」
らいが弱々しく手を伸ばす。
「逃げ、て……」
――一磨、逃げろ。
傷ついた父の顔が、らいに重なる。
「ウオオオオオッ!」
一磨の全身に、力がみなぎった。背中の独鈷杵を抜く。真言を唱えることも忘れて、一磨は朱顎王に向かっていく。
朱顎王は簡単に一磨をねじ伏せた。
『これはこれは。我が宝がみずから来たのう』
「ウウッ! くそォッ! 離せッ!」
『いっそすべて宝珠とするか』
朱顎王がつぶやくと、土中から透明な結晶がせり出してくる。結晶は一磨をくるみ、球状になる。球の中に、液体が湧いてくる。
「な……がぼっ」
液体はあっという間に珠の中を満たした。一磨は息を止め、必死に珠を叩く。
『溺死はせぬ。安心せい』
がばぁ、と一磨の口から空気が吐き出される。空気は液体に溶けて消えた。
「…………」
一磨の体がゆっくりと丸まっていく。胎児の姿だ。
「そんな……一磨さん……」
『さぁ最早恐れる者はなし! 神虫よ、貴様を血祭りに上げてくれよう!』
「いやああああっ!」
らいの叫びがこだました。
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