神虫族の伝統薬によって、らいの容態は落ち着いた。
「学園長、先生……」
「気がついたかね」
らいはクンクンと鼻を鳴らす。
「お薬の匂い……」
自分の体から、神虫族の薬の匂いを嗅ぎとったのだろう。
「誰が持ってきてくれたんですか?」
「一磨君が収納場所を教えてくれたよ」
「そう……ですか」
ひどく疲れた様子だ。眠るように目を閉じる。
「一磨さんは?」
「……彼は隔離された」
「――!」
閉じかけていた目を見開く。
「彼は鬼に成りかけている」
らいは起き上がった。
「竜野君!」
「一磨さんに……一磨さんのところに!」
今にも飛び出しそうならいを、学園長は押しとどめる。
「駄目だ。君は君自身を治すことに専念しなさい」
らいはがっくりと肩を落とした。
「彼から伝言がある」
「伝言……ですか?」
「次に会ったとき俺が鬼になっていたら、俺を喰ってくれ――と」
らいが顔を上げる。目を見はっている。驚いているのだろう。黒い瞳が揺れる。目尻に涙がたまる。
「…………」
らいは唇を噛み、またうつむいた。
首肯(うなずき)ではなかった。くやしさに体を震わせている。
「岡留君の行方も依然として不明だ」
「……学園長先生」
らいが尋ねる。
「岡留先生は、信用のおける方ですか?」
「どういうことかね?」
「間違っていたら叱ってください。でも、わたしはあの方を信用できないんです!」
らいの剣幕に、学園長は何かを悟った。
「何があったのかね?」
らいは観王寺で起こったことを話し始めた。
「宿坊に泊まったとき、何となくわたしの話になったんです。岡留先生が退魔士になった理由はお聞きしてましたから……わたしも、訊かれて、話しました」
「神虫のことをかね」
「はい」
もとは天竺の者であること。人の姿をとり、人の法に従って生きると一族が定めたこと。鬼を喰わなければ生きられない体質のこと。そんなことを話した。
「そしたら、岡留先生は……」
「何と言ったのかね?」
「鬼の呪印を使えば、鬼類を量産できるのではないか――と」
食糧生産は、人が当たり前に行う行為だ。しかし神虫にとっては意味が違う。彼らが喰らうものを人工的に造ること――鬼を生み出すことにほかならない。
「そんなの許されない! そうまでして餓えをしのぎたいと思うほど、神虫族は卑しい者ではありません!」
神虫の誇り高さを、らいは初めて見せた。
「退魔士としても、許されない言葉です。ましてあの方は、ご家族を……!」
鬼によって殺されているはずなのに。なぜそんなことが言えるのか。
らいには理解できなかったという。
「悪気はなかったのかもしれません。でも我慢できなかった。一磨さんに話そうかと思ったんです。そうしたら自分も、落ち着くかと思って」
夜中にいきなり一磨の部屋を訪ねた。
「でも……言えませんでした」
らいは顔を両手で覆った。
岡留は嘘の説明を一磨にした。らいにももっともらしいことを言って口止めした。
「怖かった。嫌われるのが怖かった……!」
一磨と岡留。どちらの顔色もうかがって、結局自分の思いは告げられなかった。
「また誰からも嫌われてしまうと……思って……」
「つらい思いをしたな」
学園長はそっとらいの頭をなでた。
「その話は、私の胸に留めておこう」
「はい……」
「あらゆる可能性を考えて、岡留君を捜す。彼女さえ見つかれば真意もわかるだろう」
らいは黙ってうなずく。
「玉石君を救う方法も考える」
涙をぬぐいながら、らいは顔を上げる。
「呪印を吸ったときわかりました。あれは鬼の血を使う呪いなのだと」
鬼の血が、対象者の血と混じり合う。鬼の血に惹かれて、対象者の鬼性が目覚める。
「その血を持つ鬼を滅することができれば、あるいは……」
呪いは解けるやもしれない。
そもそも呪いとは、術の行使者を倒したり、術の媒介となっているものを滅却すれば解けることが多い。呪詛返しなどもそうして行われてきた。
「鬼は、朱顎王はかならず来ます。一磨さんを『我が宝』と言っていましたから」
みずからの宝を取り戻すため、朱顎王は必ずやこの学園を襲うだろう。
「やってきた朱顎王を倒せば、きっと呪いは解けます」
「うむ」
学園長はしっかりとうなずいた。
「全力を尽くそう。君は養生なさい」
「はい……」
学園長が病室を去る。
らいはひとりになった。
「一磨さんに……会いたい」
会って何を言う?
励ますのか?
(違う)
詫びるのか?
(違う)
答えは出ない。
「わからない……」
何もわからなくても、たしかなことがひとつだけ。
彼に会いたいということ。
らいは静かに眠りについた。目元が涙で光っていた。
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