鬼仏尊会 〜付喪神のオレと神虫のキミ〜
第三章 六 消耗する心


「――はっ!」
 一磨は目を覚ました。起き上がろうとしたが、体が動かない。
 白い粘着性の物質で、手足を固定されている。上半身は裸にされ、足首と腰のあたりも粘着物質で固定されている。
 首は自由に動いた。左右を見回す。またも洞窟の中にいるようだった。岩でできた空間が広がっている。結晶はないが、鬼火がぼんやりとあたりを照らしている。
「先生! 岡留先生!」
 岡留もいた。岩の上に座ったまま、人形のようにぼうっとしている。
『目が覚めたか』
 独特のしゃがれた声がした。朱顎王だ。
「朱顎王……貴様ァッ!」
いかるな、宝よ』
「ざっけんな! 俺はテメェのコレクションになんかならねぇぞ!」
 一磨は力の限り抵抗する。粘着物は外れない。強力な樹脂で固められたかのような感覚だ。
「くっそ……!」
 冷静になれ。頭脳の片隅が告げる。
(そうだ、冷静に)
 独鈷杵はどこへ行った。呼びかければ答えるはずだ。あれは自分と同じものなのだから。
 一磨は小声で真言を唱えはじめる。
(オン・ソラソバテイ……)
 ゴッ!
「がはっ!」
 一磨の胸に朱顎王の拳が落ちた。
「あ……カ……っ」
 肺から一気に息が抜ける。思考も止まる。
『不便よなぁ、未熟なる者。言葉にせねば武器にもならず』
 朱顎王の言うとおりだ。
 「詠唱」という言葉があるように、多くの呪文は発音してこそ意味を持つ。心中での詠唱や極小の音声、または無声で呪を発動する退魔士もいるが、そこに至るには相当の修行と経験が必要だ。
 ―― 一磨は、至っていない。
『さて……少々無粋をしたが、準備も整うた』
 朱顎王が暗闇に向かって四本の腕を広げた。
『これより儀式を執り行う』
 鬼火がいくつもともり、輪のように連なって洞窟中を照らす。
 一磨が拘束されているのは、平らな岩の上だった。周囲に多くの鬼がひれ伏し、あたかも祭壇を崇める信徒のようであった。
『おお……我ら土蜘蛛の、永き憂いの星霜ときが終わる。今宵、あらたしき同胞の誕生によって! 土と水を支配せし我らの時代の復興を!』
 朱顎王の演説に、鬼たちが感嘆の叫びを上げる。洞窟内に反響する鬼の声はおぞましく、悲しく、喜びに満ちていた。
『痛むならばわめけ。滲みるならば泣け。恐れるならば叫べ』
 朱顎王が一磨の胸に指を伸ばす。三本しかない指の、中央の指を伸ばす。
 指からシャキリと爪が伸びた。ナイフのような鋭利な爪だった。
『恨むならば怒れ。悲しむならば祈れ。……痛むならば、わめけ』
 挑発の言葉だ。
「誰が……!」
 一磨は歯を食いしばった。
「う……ぐ」
 朱顎王の爪が、一磨の皮膚に食いこんだ。ズク、ズク、とゆっくり切られていく。
 皮膚を斬り裂き、肉まで達する痛み。血があふれ、たちまち一磨の上半身は血で染まった。一磨は悲鳴も上げず、ただ耐えた。
 まもなく一磨の胸に刻印があらわれた。「ム」の意匠――鬼児の印。朱顎王の爪で斬り裂かれた傷は、まごうことなく鬼児の刻印であった。
「くう……」
『耐えるか。健気なよなぁ。まるでお前の父のように』
 鬼の言葉に、一磨はハッとする。
 ――一磨、逃げろ。
 朱顎王を前にして、父は最後まで抵抗したはずだ。だが、一磨は結末を知らない。
「父さんを……どうした!?」
『殺してやったよなぁ』
 朱顎王は当然のように告げた。
 一磨は一瞬、意識を失ったかのような錯覚にとらわれた。体中が震える。歯の根が合わず、ガチガチと鳴る。声帯が言葉を忘れる。
「……ころしてやる」
 ようやくつぶやく。煮えたつ溶岩のような怒り。そして噴火する。
「殺してやる! 殺してやる!!」
 力の限り暴れながら、一磨は怨嗟の叫びを響かせる。
「母さんを! 父さんを! よくも母さんと父さんを殺したな!!」
 心臓が破裂しそなほどの憎しみが一磨をむしばむ。
『そうだ、それだ』
 我が意得たり、と朱顎王が笑う。
『その憎悪がぬしを鬼にする!』
 朱顎王がおのれの手を強く握る。みずからの爪で傷がつき、血が滲む。
 滲んだ血が雫となって向かう先は――一磨の胸の刻印。
 ぼたりと、黒い血が落ちた。
「うあああああアアアアアアア――――!!」
 絶叫が響いた。
 鬼の血が、一磨の胸の傷から体内へ入る。
 鬼性の血が、一磨の鬼性を呼び覚ます。激痛と灼熱をもって一磨の意識を潰す。
『耐えよ、同胞。いずれ完全な鬼となる』
 朱顎王がささやいたとき――。
 洞窟内に轟音が響いた。
『来たか』
 朱顎王はその方向を見つめた。
 神虫――らいを乗せた、鬼の天敵が立っていた。
 らいは満身創痍だった。ぼろぼろに焼け焦げた寝巻。袖や裾は邪魔になるからと、無理矢理ちぎり取ったのだろう。短衣チュニックを着ているようにも見える。
「神虫!」
 らいは神虫の背から飛び降りた。
 神虫が洞窟内を周回するように暴れ回る。尾のトゲで小鬼を突き刺し、八本の腕でつかみとり、引き裂く。真紅の口で鬼を喰らう。
『ムウ……』
 朱顎王は岡留を抱え、後方に下がった。
「一磨さん!」
 らいは祭壇に駆けよる。神虫が威嚇のうなりを上げ、鬼たちを牽制する。
 一磨の胸に「ム」の刻印。赤黒い刻印が煙を上げている。
「まさか、呪印!?」
 らいはためらわなかった。一磨の胸に、呪印に吸いついた。ジュウウ……と白煙が上がる。らいの唇のすきまから、煙が漂う。らいは眉をしかめたが、唇は離さない。さら強く吸いつく。鬼の血を吸い出すように。傷を癒やすように刻印を舐める。
「らい……」
 一磨がわずかに意識を取り戻す。
『まるで狗よなぁ、神虫』
「黙りなさいッ! 下賤なる妖怪め!」
 らいの金緑色に輝く瞳が、朱顎王を睨みつけた。
「須世理ノ比礼は焼きました。もうわたしに対抗する武器はありません」
 虫を殺す神代の細布。らいは生き残るためみずからとともに比礼を焼いた。
『もったいなきことよなぁ、神虫の小娘』
 朱顎王はたいしてショックも受けていないようだ。
「もったいぶってわたしを殺さなかったのが、あなたの誤算です!」
 らいは言い放ち、構えた。時間を稼ぐつもりだ。
 彼女のうしろで、神虫が一磨の拘束を解こうと四苦八苦している。
「さあ、岡留先生を返してください!」
『神虫以外の武器も持たず、我と戦うつもりか?』
 朱顎王がせせら笑う。
 らいは素手、裸足。体も傷だらけだ。だが構える。
「わたしも退魔士です。体も知識も、すべて武器!」
『フフ、クク……。ならば退魔士に敬意を払い、我が宝を見せようぞ』
 透明な球体の中に、一磨の独鈷杵が閉じこめられていた。
「なんてこと……!」
 如意宝珠を秘めた独鈷杵だ。奪われたというのか。
「うぐ……!」
 ようやく、一磨の拘束がすべて解けた。
「う……ああ……アア……ガ……!」
 一磨がうめきを上げる。
「一磨さん!」
「痛い……熱い……!」
 一磨の全身を苦痛がさいなむ。筋肉がボコボコと脈打つ。汗がにじむ。痛みが、精神を混濁させる。体の内側から、一磨を引きずりこむ闇が噴き出す。行ってはいけない領域が鎌首をもたげ、一磨の心を睨んでいる。
「一磨さん、気をたしかに持ってください! 鬼になっちゃ駄目です!」
「ら……い……」
 らいの声が、一磨を引き戻す。わずかに目を開け、らいの瞳を見つめる。
『鬼性を喰らう者か。やっかいな……。これでは時間がかかってしまうではないか』
「どういうこと!?」
『貴様が呪印を吸ったせいで、我が宝は鬼となるに無駄な時を過ごさねばならぬ』
 らいの神虫としての体質が、呪印の力を弱めた。呪いは続いているが、一磨が鬼になるにはまだ時間がかかるということだ。
『地獄のごとき苦しみよ。貴様は修羅の苦痛を与えたのだ。罪深きことよなぁ、小娘!』
 朱顎王は哄笑した。
 らいが青ざめる。
『我が望みは成就する! 宴は終いぞ!』
 生き残った鬼が一斉に闇に消えていく。
 朱顎王も岡留を抱えたまま闇に解けていく。
「ま……待ちなさい!」
 朱顎王が手を突き出した。闇の中を、無数の白い針が飛ぶ。
「――!」
 針はすべて神虫が受けた。一磨とらいをかばうように。
 オオ〜〜〜〜……。
 神虫が叫ぶ。苦痛の声だ。
「神虫!」
 座りこむ神虫に、らいがすがる。
 朱顎王の手がさらに動いた。白銀の杭が放たれる。
「きゃああ!」
 杭はらいの左肩を削った。深く肉が削がれ、血があふれ出す。
「……神虫!」
 かろうじてらいは一磨とともに神虫の背に乗った。朦朧とする一磨の体をらいが支える。
 神虫は走り出した。鬼の巣から遠ざかっていく。
「く……そ……」
 弱々しく一磨は腕を伸ばした。
「一磨さん、今は、退きます」
 優しい声だった。ぎゅうと抱きしめられる。
 一磨は意識を失った。

 気がついたとき、二人は林の中の墓場にいた。
 神虫の姿もない。らいが一磨のそばでへたりこんでいた。
「らい!」
 一磨はらいに詰め寄った。
 らいの襟元を両手でつかみ、吊り上げるように引きよせる。
「なぜ、なぜ先生を助けなかった!」
 怒鳴る。
 岡留もまた鬼にとらえられていた。らいも気づいていたはずだ。
「で……できませんでした」
 らいの答えは弱々しかった。
 一磨はいっそう苛立つ。
「……ケンカしたからか」
 自分の声ではないと錯覚するほど、低い声だった。
「ケンカしたからか!? 助けなかったのは!」
 強く揺さぶりながら怒鳴った。
「違います!」
 らいは振り絞るような声で答えた。
「わたしの力じゃ、あれが……あれが精一杯だったんです……」
「…………」
「あなたを、助けて……」
 らいの瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。弱々しく嗚咽し、彼女はもう言葉を紡ぐことができなかった。
 一磨は手の力を抜いた。
 らいは地面に崩れ落ちた。肩の傷から血が流れている。
「信じて、ください」
 しゃくりあげながら、らいはかろうじてそう言った。
 一磨は答えなかった。彼女から顔をそらす。
(俺は……)
 自分の弱さを棚に上げて、彼女を責めた。八つ当たりだ。
 だが彼女は神虫だ。鬼の天敵だ。あの時、鬼の攻撃をかいくぐり、岡留も救出できたのではないか。本当にできなかったのか。
 ――なぜ。
(なぜだ)
 なぜ鬼は宝物を求める。なぜ俺を宝物といって求める。
 自己嫌悪、疑念、憎悪。おのれの心を嫌い、相棒を疑い、鬼を恨む。
 ――生まれたこの世界さえ呪いたかった。
「ぐ……!」
 突如、胸の痛みを感じて、一磨は地面に膝をついた。
「あ、ガ……!」
「一磨さん!」
 らいが一磨にすがる。
「一磨さん、一磨さん!」
 ああ、もう。呼ばないでくれ。俺を楽にしてくれ。
 一磨は遠ざかる意識に、おのれをゆだねた。
「いたぞ! あそこだ!」
 声がする。いくつもの光が筋となって、一磨たちを照らす。懐中電灯の光だ。
「助けて! 助けてください!」
 らいが声を張りあげる。
(ああ……助けが来たのか……)
 もうどうでもいい。疲れた。
 一磨は意識を失った。


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初出:2013年癸巳10月10日