時間はすこし遡る。
岡留とらいが戻ったのを確かめた一磨も、就寝した。浴衣型の寝巻は慣れなかったが、間もなく一磨は寝息を立て始めた。
そして数時間後。
一磨の寝息が途切れた。意識が覚醒しかかっている。
「ん……」
鼻先に違和感を感じた。クン、と鼻を動かす。
「……焦げ臭い!」
一磨は跳ね起きた。木が燃える臭いがする。かすかに火がはじける音が聞こえる。
「火事だ――――!!」
遠くから僧侶の声がした。
一磨は寝巻を脱ぎ捨て、すばやくズボンを穿いた。上は下着のままだが、シャツを着ているヒマはない。独鈷杵を入れた袋をひっつかみ、部屋を飛び出した。
駆けつけると、宿坊の一角が炎に包まれていた。かなり火が回っている。
「あのあたりって……ら、らい!」
らいと岡留の泊まっている部屋があるはずだ。二人は逃げたのか。まだ中にいるのか。わからない。
「火を消せー!」
僧侶や近隣住民が右往左往している。
「らい! 岡留先生!」
「ダメだ、入っちゃダメだ!」
前へ出ようとした一磨を、僧侶が引きとめた。
「何か屋根にいるぞ!」
誰かが叫ぶ。
一磨は顔を上げ、目をこらした。
黒い煙の中、宿坊の屋根に人影がある。炎が明かりとなって、その姿があらわになる。
「妖怪!?」
人型の妖怪が、立っている。
「岡留先生!?」
妖怪の腕に、岡留が抱えられている。意識がないようだ。手足がだらりと垂れている。
『ゲッゲッゲッ』
妖怪が笑う。妖怪は身をひるがえし、北をさして飛び去る。
一磨の脳裏に一瞬迷いが生じる。らいを探すべきか、妖怪を追うべきか。
「待て!」
一磨は後者を選んだ。妖怪を追い、石畳の道を走る。
道の先に森がある。深い森だった。太い杉の木が何本もそびえ、空を覆いかくしている。
暗かった。だが一磨は走った。やがて彼の瞳が青く光る。燐光のごとき輝きを宿した目が、暗闇の森の道を示す。
青い瞳――母と同じ色の瞳が、彼を闇でも動かしうる。
森の中は墓場だった。無数の墓石が並んでいる。本来明かりをともすべき石の灯籠は、苔むして闇をいっそう濃くしている。夜目のきく一磨といえど、この闇は不安をかき立てられる。
「どこへ行った……?」
かなり奥まで入った。妖怪の姿はない。
「あ!」
ひときわ大きな墓の前で、岡留が倒れていた。浴衣型の寝巻のままだ。
「先生! 岡留先生! しっかりしてください!」
「……玉石、君?」
岡留が目を開ける。
一磨はホッと息をついた。
「妖怪は?」
「気づいて……抵抗したら、ここに私を投げ捨てていったわ……いたた」
「大丈夫ですか?」
「ええ。ほかに……人は?」
「俺だけです。立てますか?」
一磨は岡留を助け起こす。
「いたっ」
岡留が座りこむ。足を怪我したらしい。
「先生、俺の背中に」
「ごめんなさいね、玉石君」
一磨は岡留を背負った。思ったより軽い。
「先生、早く戻りましょう」
「それは駄目」
「え」
いきなり岡留の両脚が、一磨の胴に絡みついた。両腕と両脚が、一磨を締め上げる。
「せ、先生っ!?」
抵抗しながら、一磨は振り返る。
岡留の両目が尋常ではない気配を宿している。
「スアッ!」
一磨は岡留の帯をつかむと、背負い投げるように彼女を思いきり放った。
岡留は空中で一回転し、墓石を蹴って地面に下りる。寝巻の裾が乱れ、白い脚が闇に映える。
「先生! どうしたんですか!?」
「シイイ――……」
答えはない。岡留の口から、異様な音が漏れる。
「……!」
一磨は確信した。
岡留の口から漏れた異様な音。聞き覚えがある。蜘蛛に操られた峯崎と同じだった。
「先生、まさか操られて!?」
「シャアッ!」
岡留が襲いかかる。長い足が放つ回し蹴りを、一磨はなんとか避ける。後方へ飛び、間合いを取る。
(手加減は……ムリだ!)
岡留も一流の退魔士だ。体術も法術も一磨を上回っているだろう。本気で向かわなければ、やられる。
直感し、一磨の全身を冷たい緊張感が奔る。
「シャッ!」
岡留が飛んだ。大樹を蹴り、墓石のあいだを飛ぶ。トリッキーな動きだ。
「だが!」
妖怪のトリッキーな動きにさえ対応するのが退魔士だ。
「ハッ!」
「シイッ!」
襲いかかる腕を払い、がらあきになった岡留の脇腹に拳を叩きこむ。
間合いが離れた一瞬、岡留が寝巻の帯をほどく。
「はっ!?」
帯が一磨の顔面を叩いた。ムチのような一撃だった。
ひるんだ一磨に、岡留が寝巻を投げつける。視界がふさがる。首に帯が巻きつく。後方に引きずり倒される。石畳の上を引きずり回される。
「クッ!」
後転するように思い切り足を上げ、帯をつかむ岡留の手を蹴る。岡留の手が離れる。
寝巻を取り払い、起き上がった瞬間――。
バチン!
「あ……!」
体を電流が貫いた。倒れる。
(なん……だと……!?)
立てない。体がいうことを聞かない。
下着姿の岡留が、ふわりと一磨から離れた。手にスタンガンがある。
無数の灯籠に火がともる。あたりが明るくなる。
「せん……せ……」
意識が朦朧とする。
岡留はぼんやりと立ちつくしている。脇腹に受けたダメージも感じていないように。
『よくやった、岡留美之。我が忠実なる下僕(しもべ)よ』
擦過音まじりの声がする。
巨大な墓石の上に、大きな足が降りてくる。爪の長い、人型の足だ。
朱い肌、顎の牙、四本の腕。見間違えるはずもない。
「……!」
朱顎王だった。
『よくぞ戻った、我が宝よ』
鬼の哄笑を聞きながら、一磨は意識を失った。
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