「……はあ」
らいは落ちこんでいた。
(やっぱり……ダメだなぁ、自分)
言いたいことがきちんと言えない。そんな自分はイヤだったはずなのに。
(変わるって、決めたのに)
岡留と同室というのも気が重かった。
岡留はというと、何か用があると言って部屋を出ている。
「竜野さん、ちょっとここ開けてくれる?」
岡留の声がした。らいは襖を開ける。
岡留が湯呑みをふたつ持っている。座卓にコトと置かれた湯呑みからは、湯気がほっこり立っていた。
「お薬湯……ハーブティーね。よく眠れるそうよ」
「あ……」
らいはジッと湯呑みを見つめる。
「苦手だった?」
「あ、いえっ」
ちょっとあわてたように湯呑みを手に取る。口をつける。風味だけが甘く、味は緑茶に似て苦い。まるで今の気分だ。最初に感じるものと、実際に感じるものがかけ離れている。
「どうかした?」
岡留がニコッと笑って、らいの顔をのぞきこむ。
「え、あの……」
岡留は、おたがいがもめたことも忘れたような笑顔だ。もめたというより、岡留の言葉にらいが一方的に怒ったというのが正しいだろう。
「……どうして、あんなことをおっしゃったんですか?」
らいは思い切って尋ねた。
「昼間のあの子の反応を見たでしょう? 鬼に対するあの憎しみを」
岡留は答える。
「彼は、彼も気づいてない緊張感にむしばまれてるわ。母親のような、心を開く相手が必要なのよ。彼は私に懐いてくれてる。彼が必要以上に疲弊しないよう、癒やせる私でありたい」
「…………」
「だからお願い。納得してほしいの。あそこはああ言うしかなかったって」
「……は、い」
らいは渋々うなずいた。
「さ、もう寝ましょ」
岡留は寝巻に着替える。宿泊客用の浴衣型の寝巻だ。
「おやすみなさい」
「お休みなさい、先生」
二人は並んで横になった。
明かりが消える。二人は何も言葉を交わさなかった。
それから数時間が経った頃――。
「……ん、ん?」
らいは目覚めかけていた。
眠気と覚醒がせめぎあう中途半端な意識の中、誰かの気配を感じる。
(やはり薬湯は受けつけぬか)
小声でぽそぽそとつぶやいているようだ。
「だれ……?」
寝言のように問うたとき――。
「火事だ――――!!」
遠くから僧侶の声がする。
「はっ!?」
急速にらいは覚醒した。だが体が動かない。
「んっ……なに!?」
縛られていることに気づく。両腕を胴体にぴったりとつけ、その上からきつく縛られているようだ。縄か、ガムテープか。
「……!」
次の瞬間、らいは息を呑んだ。
彼女を戒めているモノが、じわじわと締める力を強めている。
(これは、須世理ノ比礼!?)
あらゆる虫を退ける神代の宝、須世理ノ比礼。
息が詰まらないギリギリの力で、比礼はらいを戒めた。
(どうしてここに……)
ツンと焦げ臭い空気が漂ってくる。熱い。火元が近い。
「し……!」
神虫、と叫びかけたらいの首に、比礼が巻きついた。
(声が出ない……!)
神虫が呼び出せない。
(あ……)
息が続かなくなる直前で、比礼の力がゆるむ。息を吸いこめばまた絞まる。ギリギリの力加減で、比礼は絞める力を増減させる。
部屋にまで火が回ってきていた。らいの体中に汗がにじむ。
(岡留……先生は)
できる限りで部屋の中を見るが、姿が見えない。
どこへ行ったのだろう。まさか先に逃げたのか。
(あ……っ)
比礼がさらに力を増す。パニックになりかけたが、痛みが逆に彼女を現実へ引き戻す。
(わたしを殺すつもりなの!?)
生への渇望が、彼女の思考に冷静さを取り戻させる。
(きっと……事故死に見せかける、つもり、かしら?)
首を絞めて殺さないのは、火事による焼死を演出するためだろう。たとえ焼死体で見つかっても、いつの時点で死んでいたかは、気道を切開すればすぐわかる。火で焼かれる前に死ぬと、気道に煤が付着しない。煤を吸う前に呼吸が止まったからだ。逆に生きたまま焼かれると、気道は煤で真っ黒になるという。
(火が……)
火がらいに迫ってくる。
らいは思考を巡らせる。生き残るために。
(焼死を装うなら、縛られたままにはならないはず)
焼死体は独特の形状になるため、縛られたままでは他殺とバレる。らいが意識を失ったあたりで比礼は逃げ去るだろう。
(ならば!)
息を止め、ぎゅっと目を閉じる。らいは全身をバネのようにかがめ、跳ねた。細い体が炎の中に飛びこむ。体の周囲に火をまとわりつかせる。
「――!」
戒めが外れた。らいは即座に比礼をつかみ、炎の中で押さえつける。比礼は蛇のようにのたうちまわり、やがてボロボロに焼け焦げて動かなくなった。
らいはまだ火の回っていない床へ身を躍らせた。何度も転がり、自分に着いた火を消す。
「はっ……はっ……」
全身に痛みが走った。火傷の痛みだ。
(一磨さん……!)
自分のことよりも、頭によぎった人がいる。
間違いない。朱顎王が来ている。一磨を狙っている。
「神虫!」
煤を吸いこむのもかまわず、らいは絶叫した。
ゴッと炎をまき散らし、神虫が現出した。らいはその背にしがみつく。神虫が飛ぶ。壁を突き破り、追いすがる炎を散らす。
オルルルル……。
神虫が鼻を鳴らす。鬼の臭いを嗅ぎとった。間違いない。朱顎王がいる。
「神虫、行って!」
北の方向へ向かって、鬼を喰らう異形が走り出した。
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