夜になった。
宿坊は二部屋とってある。一磨が一部屋、岡留とらいで一部屋だ。
精進料理をいただき、風呂に入り、一磨は割り当てられた部屋でぼうっとしていた。
「……父さん、母さん」
父からの手紙を、何度も何度も見返した。
一磨の名前をつけたのは母だ、と。母と一磨を守りたい、と。父の字で書かれた言葉。何度読んでも喜びと哀しみがないまぜになった切なさを感じる。
思えば、あの商家だったという実家も、母と一磨を守るために父が用意したのだろうか。
「大丈夫だよ、父さん」
独鈷杵を見つめる。
「母さんは……ずっとここにいたんだね」
母さんの仇を取る。そして我が身を守りきる。
「一磨さん」
部屋の仕切りは襖だ。その外から声がした。
「らいか?」
「はい。入ってもいいですか?」
「あ、ああ」
静かに襖が開いた。
らいがバッグを持って入ってくる。何故か浮かない表情だ。
「どうした? こんな時間に」
「……一緒に、寝てもいいですか?」
「はあっ!?」
一磨は目を剥いた。
いかにコンビを組んでいるとはいえ、健全な年頃男女が同室で寝るのはおかしい。おまけにここは寺の宿坊。不健全と見なされる行為はご法度だ。彼女もわかっているはずだ。
「な、何があったんだよ?」
「…………」
らいは黙りこくった。うつむいて、口を真一文字に結んでいる。
「黙ってちゃわかんないだろ?」
首筋に手を当てながら、一磨は尋ねる。
「……それとも、言えないことなのか?」
「…………」
何度かためらったあと、らいはようやく口を開いた。
「岡留先生に訊かれて、神虫のことをお話ししたんです」
「ああ、それで?」
「そしたら……」
らいが話そうとした矢先、小走りの足音が近づいてきた。
「玉石君! いる? 入ってもいいかしら?」
ふすまの向こうから、岡留の声がした。
「あ、はい」
一磨が返事をすると、岡留がふすまを開けて入ってくる。
らいが表情をこわばらせる。
「ああ、よかった。ここにいたのね」
岡留はホッとした様子だ。らいを探していたらしい。
「さっきは私が悪かったわ。謝ります。だから機嫌を治して?」
岡留はらいの前に座ると、彼女に謝罪しなだめ出した。
らいはうつむいている。
「あの……何があったんですか?」
一磨は岡留に尋ねた。何が起こったのか、さっぱりわからない。
「私の失言で、竜野さんを怒らせてしまったの」
「失言?」
「神虫は大喰いなんですってね……って」
一磨はキョトンと二人を見つめた。
「なんだ、そんなことか」
一磨はハア、とため息をついた。
「ち、違います! わたしは……」
「怒らせるつもりはなかったのよ。ごめんなさい」
らいの言葉にかぶせるように、岡留は詫びる。
「らい、先生も悪気があったわけじゃないんだし。そう怒るなよ」
「そんな! そんなことじゃ……」
「ごめんなさい、竜野さん。」
「仲直りしてさ、部屋へ戻れよ。もうすぐ消灯時間だし」
「わたしは……」
「もー、夜も遅いんだ。あまり俺たちを困らせないでくれ」
思わずうんざりした口調になってしまう。
らいは目を伏せた。
「……ごめんなさい」
らいは小さな声で謝る。
岡留とらいは部屋から出ていった。
「なんだったんだ、あいつら?」
さして気にもせず、一磨は就寝した。
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