龍は吟じて虎は咆え
陸ノ七.英雄


 青と緑、その二つの光が消えたとき、そこにはもう脅威はいなかった。
 ただ、少年が少女を片手に抱え、黒い翼を広げ、浮かんでいる。
 やがて、玉髄の黒い翼が、急速に消えていった。彼の体が大きく均衡を崩す。少女とともに、墜ちていく。
「墜ちるぞ!」
 わっと、騎龍たちが飛ぶ。落ちゆく英雄を止めようと、速度を上げる。その中で、一番速かった紅い龍――剛鋭が、彼らを抱きとめた。
 歓声が上がった。
「まったく、未熟者のくせに無茶をする」
「そうね、でも……龍をあんな風にして、彈も使えてる」
 剛鋭の言葉に、青玉が答えた。
「手前(てめえ)がそうさせたんじゃないのか? わざと鵬(ホウ)に喰われてまで」
「違う。これは、玉髄の力」
 わずかに散った羽根や蟲も、ほぼ焼き尽くされた。
 大気が、さざめく。龍と騎龍たちの、勝鬨の声だ。胸のすくような、綺麗な風が吹いている。その流れに髪をまかせ、青玉はつぶやいていた。
「玉髄……あなたには、才がある」
 青く澄んだ瞳が、空を見渡していた。その視線の先を、無数の龍たちが飛んでゆく。英雄を、讃えている。玉髄の実力を、認めたのだ。
「手前も、すさまじい霊力を持っていやがる」
 嫌悪でも怒りでもなく、羨望のような響きが混じっている。
「いったい、何者だ?」
「わたしは龍を統べる者。古詩の青き仙女よ」
「……すこしは、信じてやるよ」
 剛鋭はため息をつきながらそう言った。青玉はただ、いたずらっぽく笑っただけだった。
「……っつ」
「玉髄、気をしっかり」
 玉髄はすぐに意識を取り戻した。ただ、大きな力を使ったあとだ。かなり消耗しているには違いない。
「玉髄君、やったわね!」
 声がして、黄色い龍が迫ってきた。その上に乗っていた喜玲が、感極まったように玉髄に飛びついた。玉髄は状況が呑みこめず、目を白黒させている。
「あっ、おい、乗んな! 重い!」
 剛鋭が怒鳴る。四人も乗せると、さすがの龍も負担が大きいらしい。
「そうだぜ、喜玲。自分の龍に戻れよ」
 蒼灰色の龍がそばに浮かぶ。亮季だった。喜玲から解放された玉髄は、申し訳なさそうにうなだれた。
「ごめん、亮季の剣……壊してしまった」
「いいって。俺の剣で倒したんだぜ。へへっ、ほかの奴らに自慢してやろ」
 気持ちのいい笑顔を浮かべて、亮季が笑う。玉髄もつられて笑った。
「赤龍の主人、ありがとう」
「あ、おい!」
 青玉がいきなり玉髄を抱えたかと思うと、剛鋭の龍から飛び降りた。同時に、青玉の白い龍が彼らを受け止める。
 騎龍たち、龍たちの歓声を受けて、白い龍は上空へと遊ぶ。龍たちの中でいちばん高い場所で、龍は止まった。空中で静止し、須とたてがみだけがなびく。
「さて、玉髄」
 かなり高いところまで飛んだ。そして彼らの真下を、一千の龍がわだかまるように飛ぶ。いきおい、ほかの騎龍は彼らに近づけない。二人きりだ。
「あ、ああ……何?」
「それ」
 青玉は、玉髄の手の中にある琥符を指差した。真っ二つに割れて、もう符としての形は保っていない。深く澄んだ緑色は、翡翠というより碧玉のようでもある。
「こんなものが……すべてを、破壊しようとしていたのか?」
「ええ。たいした知能もない鵬が喰ったのは、悲劇だった。鵬はただ琥符に操られるままに、力の集まる地を目指しただけ」
 そして青玉は、玉髄の隣に寄り添った。
「玉髄、それ持って、わたしに喰べさせて」
「へっ!?」
「早く」
 青玉はアン、と口を開けた。玉髄は青玉と琥符とを見比べて、困り果てたように眉を寄せた。
「む、無理だよ。こんな堅い石」
「わたしなら、無理じゃない」
 彼女は、何でも食べることができる。だがこの呪わしい力を持った琥符まで、喰らおうと言うのか。
「これは、この世に置いていけないものだから。永遠に、わたしの血肉となればいい」
 青玉はすり、と玉髄に体を寄せ、ねだる。
「喰べさせて」
「でも、だったら君が自分で」
「ダメよ、わたしがさわったら、また咒縛されちゃうかも」
 まだ力が残っているみたいだし、と青玉は言った。確かに、ごく弱くだが、いまだ金色の光を放っている――ようにも見える。よくわからない。
「修復できないまでに壊してしまえば、その力も消える。琥符は、¥道具。道具は形を失えば、その力を失うもの」
「でも、君が触れたら、咒縛されるかもって……だったら、食べても駄目じゃ」
「早くしないと、あなたの手ごと喰べるわよ」
 青玉はさらりと、玉髄を脅した。そしてニッと歯を剥く。
「わ、わかったよ」
 自分の手の惜しさに、玉髄は割れた琥符の片方を差し出した。深い緑色の符に、青玉がかじりつく。白い歯が、堅い石に食い込む。ガリ、と厭な音がした。青玉は琥符の一部を噛み砕き、口の奥に含んだ。まるで菓子でも食べるように、もごもごと口を動かす。
「ん……っ」
 彼女の白い喉から、黄金の光が透けて見える。頬が赤らむ。
「青玉、大丈夫!?」
 玉髄が不安げに尋ねると、青玉はニコリと笑った。そして光は彼女の胸のあたりまで落ちて、スッと消えた。
「ふー……」
 青玉が、大きくため息をついた。どうやら、完全に琥符の力は消えたらしい。
「さ、次も」
 青玉は、ゆっくり琥符を噛み砕いて、呑みこんでいく。そして最後のかけらを口に含もうとしたとき、玉髄の指先も唇にはさんだ。
「わっ」
 玉髄はあわてて指を引く。柔らかく潤った唇の感触が、指先に残る。
「大丈夫。喰べたりしないわ」
 青玉が笑う。ごくり、と彼女の喉が鳴り、琥符はすべて彼女の腹に収まった。
 戦いは、終わった。

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初出:2010年庚寅7月26日