龍は吟じて虎は咆え
肆ノ一.友と


「あ、気がついた」
「ここは……」
「兵舎よ。湖のほとりの」
 意識を取り戻した玉髄に、喜玲(キレイ)が答えてくれた。
 玉髄は横になったまま、視線をめぐらせる。寝台に横になっている。王宮とは違う、木造の天井が目に珍しい。部屋には灯火があり、外はもう陽が暮れているようだった。
「しっかし、よく生きてたなー」
 亮季(リョウキ)もそこにいた。ずっといてくれたのだろうか。
 玉髄は起き上がろうとしたが、体がだるく、そして痛くてよく動かない。
「亮季たちは……平気なの?」
「なにが?」
「体中痛い……」
「ああ、それか。やられた傷もあるけど、たぶん疲れがほとんどじゃないか?」
「そう……なの?」
「騎龍はねー、切り傷、擦り傷の類は、驚くほど早く治るものよ」
 回復能力が上がる、ということか。玉髄は脱力した。
「でも、怪我が早く治るって言ったって……朱将軍はどうして、あんな無茶なことを?」
「…………」
 思い当たる節はあった。玉髄は自分の手を顔の上にかざし、ゆっくりと握り締めた。
「この力のせいだ。僕はにわか騎龍だから。龍の力と、僕の能力が合ってない。だから……」
 とぎれとぎれで、事情を知らない人間が聞いたら理解不能な言葉を、玉髄はつぶやく。しかし、騎龍である亮季と喜玲には理解できたのだろう。
「でも、ちゃんと制御できてたじゃない!」
「制御……?」
 喜玲の言葉に、玉髄はポカンと口を開ける。
「彈道も、ちゃんと朱将軍の彈を見切って、相殺していたし。それに、彈を寸止めにするなんて、よっぽど優れた騎龍でなければできないと思うの」
「よく見てんなー……」
 亮季が、感嘆した。喜玲は、ピンと人差し指を立てた。
「なに言ってるの。ちゃんと見ることこそ、上達への近道よ!」
 ワイワイと明るく話す彼らを見ていると、玉髄はなんだか心が軽くなった。
(まだ、頑張れる)
 灯火の光を、玉髄は瞳に宿した。

「目が覚めたか」
 その時、来訪者があった。背の高い騎龍の将軍、剛鋭だ。
 若者たちは、緊張する。
「玉髄」
「は、はいっ!」
「忘れ物だ」
 そう言って、剛鋭はなにかをピッと放った。玉髄はあわてて受け取る。
「如意珠……」
 玉髄の、黒く不格好な玉だった。玉髄は思わず顔を上げた。亮季や喜玲も目を丸くしていた。にわか騎龍を嫌悪していた剛鋭が、玉髄に如意珠を返すとは思っていなかったのだ。
 だが、剛鋭は表情を変えない。昼間のことを話題にする気はないようだった。
「知らせが来た。司龍がここに来るそうだ。玉髄、手前に会うためにな」
司龍とは、王国軍に属する騎龍たちのまとめ役である。常人とは異なる騎龍たちを理解し、龍のあらゆる面を研究し、その知識をもって国防の一端を担(にな)う者だ。
「司龍というと、あの……」
「天才の誉れ高き、解賢歩(カイ・ケンホ)殿だ。研究のため青山(セイザン)に赴かれていたが、ぜひ手前の龍に会いたいそうだ」
 いまの司龍は研究熱心で、たいへん有能な者だと、噂で聞いたことがあった。熱心すぎて、公の場に出るのが稀になっているということも聞いていた。その司龍がここに来るというのは――おそらく、玉髄の珍しい龍に、食指を動かされたのだろう。
「司龍殿にお会いできるんですか!?」
 亮季たちの表情が明るくなった。尊敬する者に会える、それを期待している目だ。
「ああ。亮季、喜玲、お前たちの調練も見てくださるそうだ」
「本当ですか!」
「失礼のないようにな」
「はいっ!」
「話はそれだけだ。早く休めよ」
 そう言って、剛鋭(ゴウエイ)は部屋を出ていった。

 将軍の気配がなくなると、喜玲たちは玉髄に向き直った。
「よかったね、玉髄君。如意珠、返してもらって」
「う、うん……」
「さすがの朱将軍も、認めたのかな」
 亮季らがホッとしたように、顔をほころばせる。玉髄は呆然と、自分の如意珠を見つめた。
「それに、司龍殿が来るなら、朱将軍も無茶はなさらなくなるよ。きっと」
 喜玲が、言った。亮季もうなずく。
「そうなの?」
「ああ。司龍って言ったら、俺ら騎龍たちにとっちゃ、太祝様の次に絶対的で敬意を払うべき対象だからな」
 太祝とは、国に属する神官や巫女、方士たちの頂点にある者を指す。つまり、天地の神を祭る者たちの長(おさ)である。この国では、霊峰とされる青山に、王族の血をひく女を太祝として奉仕させるのが伝統になっていた。
「なるほど、そうか……」
「なにがなるほどなの?」
「いや、太祝様のこととか、本当に縁がなくてね。青山に、王家の方として御奉仕されている、くらいにしか思ってなかったから……ピンと来てなかったんだ」
 騎龍の世界は、玉髄にとって遠かった。
「でも、いまならちょっとわかるかも。どういう人が、騎龍にとって特別なのか――」
 しみじみとしながら、玉髄は目を閉じた。

 その時、ぐうぅ、と空気の絞れる音がした。
 亮季たちはキョトンと目を丸くし、玉髄が頬を赤くしながら尋ねた。
「……聞こえた?」
「わー、かーわいいー」
 喜玲が茶化す。亮季が噴き出した。
「いや、俺たちもメシまだなんだ。なんかもらってこよーぜー」
「そうだね。あ、玉髄君、寝てていいよ。あたしたちで取ってくるから」
 亮季らはいそいそと部屋を出て行った。
 玉髄は、ゆっくりゆっくり、身を起こした。首筋が固まって痛い。脚の肉は張っている。手首がだるい。
「ふ、う……」
 大きく息を吐いた。胸のあたりだけ楽になった気がする。ぼうっとあたりを眺めた。簡素な寝台、味気のない卓。灯火が、頼りなく揺れている。
「お待たせー」
 ややあって、亮季たちが戻ってきた。手に盆を持っている。盆に乗せられた器からは、湯気が立ち昇っている。
「大丈夫?」
「あ、うん」
 玉髄は立ちあがった。足に痛みが走るが、歩けないこともない。手足の傷も、ずいぶんよくなっているようだった。
 三人の若者は、卓を囲んだ。具入りの粥と温かい茶だけの簡単な食事だ。粥には、魚の切り身に、細かく刻んだ野菜や生姜、魚卵の塩漬けが入っている。噛むと甘みを感じる米と、ありふれた具の塩気が体に沁みこんでいく。渋みのある茶でその味を流すと、また新しい味が欲しくなる。
「おいしい……」
 玉髄は思わずつぶやいた。
「玉髄君はさ、普段もっといいもの食べてるんじゃないの?」
 喜玲が言った。イヤミではない。純粋に訊きたがっているだけだ。
「いや、これとあまり変わらないよ。父上が、豪華なものは好まれなかったからね」
 父、と聞いて、亮季たちが反応した。目を輝かせて、喜玲が身をすこし乗り出した。
「ねえ、玉髄。虹大将軍って、どんな方だったの?」
「あ、それ、俺も聞きたい。俺ら騎龍にとっちゃ、憧れの人だからなー」
「憧れ……ってよく聞くけど、やっぱりそうなの?」
 玉髄は、逆に尋ね返した。喜玲が目を輝かせた。
「だって二十歳そこそこで軍に入って、先王陛下の片腕と呼ばれるまでになって、大将軍よ! 騎龍としてだけじゃない、武人として最強の方だったのよ」
「わからないや……」
 玉髄の意外な言葉に、亮季と喜玲は顔を見合わせた。
「僕が生まれてからは、ずっと戦争に行っていたからね。母からよく、父の手紙を読んでもらったっけ。でも、会った記憶はないなぁ」
 玉髄はあっさりと、父との薄い思い出を語る。
「僕が十歳ごろに戦が終わって、父は家に帰ってきた。でも、忙しくてほとんど家にはいない人だった」
 彼の口ぶりからは、彼の父親に対する思いは感じ取ることができなかった。まるで、物語でも語っているかのようである。
「僕より、母が寂しそうだったかな……。ずっとひとりで、王都(みやこ)の家を守っていなくちゃいけなかったから」
 戦が終わったあとのことは、誰も聞かなかった。前大将軍は、名実ともに最高の評価を与えられながら、早世している。公式には病死ということになっていたが、不穏な噂も流れていた。だが玉髄の穏やかな表情は、そんな悪い言葉を否定するなにかがあった。それで、好奇心旺盛な若者たちも、言葉を控えたのだ。
 やがて三人の器が空になった。
「あー旨かった!」
「器はあたしたちが返してくるわ。玉髄君は、このまま休みなよ」
「ありがとう」
「じゃ、また明日なー」
「ゆっくり休んでねー」
 明るい人々が去った。
 ひとりになった。
 玉髄はしばらくぶりに、堂々とため息をついた。灯火を消し、寝台に横になった。
(……僕は)
 すぐには眠れなかった。
(僕はいま、父上と同じなんだ……)
 小さい頃、父と顔を合わせた記憶はない。父はずっと、北の地で戦っていたのだ。子守唄のかわりに、父からの手紙を読む母の声を聞いていた。
十歳ばかりの頃、戦争が終わった。父が帰ってきた。彼が龍に乗っている姿を見ることはついぞなかったが、それでも玉髄は父に憧れていた。
(でも、僕は……父上のようには、なれそうもない)
 自分が、武人に向いているとは思えなかった。それは、父から剣の手ほどきを受けた時から、感じていた。父は丁寧に刃の使い方を教えてくれたが――剣は怖かった。自分では剣を持ちたくない、と思ったほどだった。
(それでも)
 いま、自分が騎龍である現実は、変わらない。
(逃げ……られないんだ)
 逃げるとしたら――それは、おのれの死を意味する。使えないと判断されれば、恐らく、ここにいる者すべてが自分の首を取りに来るだろう。
(だけど……僕の、いや僕の龍の力は、誰にも負けないんじゃないか?)
 玉髄はハッとして、そして首を横に振った。逃げ出せるのではないかと思ってしまったのだ。湖で剛鋭を圧倒していた瞬間を思い出し、そう考えてしまった。だが、よくよく考えれば、あれはまぐれに等しい状況だったではないか。
(負けない、と思った)
 あの時は、わけのわからないほど気分が高揚していた。余計な、消極的なことを考えるすきまがないほど、胸が高鳴っていたのだ。
 水中から剛鋭にむかって彈を放った瞬間、玉髄は確信した。勝てる、と。だが、その高揚を、ふと臆病な自分が押さえこんだ。そして玉髄は彈を制御し、剛鋭を殺さずに済んだのだ。
(朱将軍は……仲間だから……)
 どれだけ憎く思ったとしても、彈で撃ち抜くことはできなかった。「したくなかった」からだとあの時は言ったが――否。
「……ためらったんだ」
 玉髄は、気づいていた。確かに、自分はあの時、剛鋭を殺そうとした。殺してやる、と思っていた。だがその意気が一瞬、遅れた。そしてその一瞬に、冷静な自分がよみがえって、彈を制御したのだ。あの時は、それで良かったのだが。
(これじゃ……)
 本当の敵に、遭った時に。
 例えば、断京が晃耀を殺そうとしたあの時に。
「僕は……」
 殺せない。――護れない。
(このままじゃ、駄目だ……!)
 少年の心に、戦士が芽生えかけていた。

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初出:2009年12月31日