石造りの地下牢は、夏の初めの空気を吸って、すこし暑かった。
いちばん奥の牢に、少女は閉じこめられている。そこは、ほかの虜囚たちからは離れた場所で、人目につかない。むやみに他者と接触してはいけない虜(とりこ)が、入れられる場所だった。
「食事だよ」
横になっていた少女が、身を起こした。粗末な衣を着せられた肩に、長い髪が流れかかる。
青い瞳がこちらを見ると、すこし焦ってしまう。
少女はなんの不満も漏らさず、粗末な膳を受け取った。膳の上にあるのは、命をつなぐに、最低限の量の飯だ。欠けた椀に雑穀だけが盛られ、あとは野菜の汁と、水だけだ。
少女が箸を取った。淡々と、その小さな口で食べる。
玉髄(ギョクズイ)は石の床に座り込み、背を壁に預けた。
「……ずっとそこにいるの?」
黙って飯をついばんでいた少女が、玉髄に視線をやり、尋ねた。
「迷惑かな?」
「ううん」
少女は軽く首を振り、また飯をついばみ出した。
玉髄は、それを眺め、そして天井に視線を移した。少女の気配をうかがいながら、目を閉じる。
そして、少女の小さな手にあった椀が空になった頃、玉髄は再び目を開けて、切り出した。
「すこし、君と話がしたくて」
少女は、その青色の視線を玉髄に向けた。興味を持ったようだ。玉髄は微笑み、できるだけ穏やかな口調で名乗った。
「僕の名前は、虹玉髄。玉髄って呼んで」
「玉髄……」
「君の名前は?」
「好きに呼んで」
素っ気ない答えだった。
しかし、それは玉髄も予想していた。少年は軽く首を振った。
「それは……しない」
「なぜ?」
「君には、ちゃんと君にふさわしい名前があるんでしょ?」
少女が目を丸くする。
「この国は、近衛兵に、捕虜の世話をさせるの?」
少女が、問うてきた。
そっけない態度のわりに、よく見ている。玉髄はそう思った。彼女を捕らえた時に交わした短いやりとりが、彼女に玉髄を近衛兵だと思わせたのだろう。
「いや、僕は近衛兵じゃない。侍従だ」
「侍従?」
「峰国王・峯晃曜様の侍従。それが、僕」
「国王の……」
「晃……いや、我が君は、君のことをとても気にかけていらっしゃる。だから、僕がここに来た」
「この国の王の、代理というわけ?」
「代理というのが、ふさわしいのかどうかはわからないけど……ま、我が君のおぼしめしで来たってところかな」
「なぜ?」
なぜ、この国の王が虜囚にそこまで興味を示すのか。少女は、そう問うていた。
「この国を、護るために」
玉髄は、ためらいなくそう言った。本心だった。
「護るために、跋軍の強さの秘密を、知りたいんだ」
「護る……ため?」
「うん。そして、そのためには――跋軍の龍師、つまり君が話してくれることが必要だ」
「護るために? 攻めることは、考えないの?」
「攻める? 外に攻めてゆくことの愚かさは、この国はよく知っている。十年ほど前まで……この国はずっと、戦争に悩まされてきた」
この峰国は、過去に大国の侵攻を受けたことがある。それを、先王と騎龍(キリュウ)たちが迎え撃った。何十年も血腥いかけひきを繰り返し――大国の力が弱って、ようやく峰国に平穏な時が訪れたのだ。
「跋の民とも、その時から険悪な関係になってしまった。だから、彼らが攻めてきたと聞いた時、また大きな戦争が始まるのかと思った。我が君も、それをいちばん恐れておられた」
玉髄は淡々と、主君の考えを伝える。
「我が君の望みは、ただひとつ。いまある国土を、安寧に保つ。それだけだ」
「…………」
少女が、黙り込んだ。
「僕の見たところ、君は断京の忠実な臣下というわけじゃないみたいだ。むしろ、なにか別の……忠誠以外の意志があって、彼に近づいたんじゃないのかい?」
「どうして、そう思うの?」
「なんとなく、だけど」
そこまで言って、玉髄はにこっと笑った。
「どう? 当たってた?」
「まだ、その時じゃない」
「暴露する時期じゃないと?」
「うん」
少女の答えに、玉髄はほっと息をついた。少女には最後まで黙りとおす意志はないらしい。その時とやらがくれば、必ず話してくれる。玉髄はそう感じた。
そして、それ以上尋ねることはせず、玉髄は少女を見た。
「……すごく、泰然としてるね」
「そう?」
「君くらいの歳の女の子は、こんなところに閉じ込められてたら、平気じゃいられないよ?」
「わたしくらいの、歳?」
少女は、一瞬キョトンとした表情になった。そして、玉髄から顔を背け、肩を震わせる。くつくつと含み笑いをしている。
「な、なにか変なこと言った?」
「ううん。面白いのね、あなた」
振り向いた少女の笑顔に、玉髄は一瞬、目を奪われる。
綺麗な笑顔をする。そう思った。蹴り飛ばされた時の悔しさを、玉髄は忘れた。
「――また、明日」
空になった食器を乗せた膳を返してもらうと、玉髄はそう言って立ち上がった。
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