「玉髄、そこにお座り」
座をすすめられる。
玉髄は素直に、それに従った。暑い。湿度の高いこの国の夏は、屋根の中も蒸すようだ。たとえそこが王のおわす場所であっても。
「はあ、今日も暑いね」
「あのさ、晃耀……」
「……伏せておこうと思ったけど、どうせ知れるから言っておくね」
国王から少女に戻った晃耀は、親友が切り出す前にその話題を持ち出した。
「軍師たちは、いまお前をどう扱うかの協議をしてるらしい」
「え……」
「余には、よくわからないところもあるけど……英凱に聞いたらね、お前の龍は、とても強い力を持っているんだって」
晃耀は襟元をすこし緩めながら、そう言った。
玉髄は胸のあたりに手をやる。あの黒い玉は、いまも首からかけてある。たとえこれが如意珠であろうとも、父の形見であることに変わりはない。
「強い力を持っているから、ぜひ、この国のために使いたい。でも、龍の素人が騎龍になった例ってあんまりないから……いま、青山の者にも意見を訊いて、それからお前の処遇を決めるって」
「そう……」
「覚悟は、しておいてね」
「……うん」
玉髄は不安そうな表情を隠せないまま、うなずいた。
「それにしても、お前を騎龍にしたあの少女……まるで古詩の仙女だったね」
「古詩?」
「青き仙女が舞い踊り、白き龍が神を導く……」
晃曜は、一篇の詩をそらんじた。
雲漢の果てに祈りを捧げ、大地の上に犠牲を捧ぐ。
雷の音を先駆けにして、黒い雲が空に満ちる。
さぁそれが合図。一千の龍を随えて、天の神が天下る。
青き仙女が舞い踊り、白き龍が神を導く。
地上の王の徳を讃えて、限りない幸を運ぶだろう。
祈れ祭れよ、今日は佳い日。神を下ろすに、最上の日。
「古い詩だよ。知ってるでしょ? 天の神が、たくさんの龍を随(したが)えて降るっていうやつ」
「あー……そんな句だったっけ」
玉髄は、思い出すようなふりをした。晃耀が解説してくれる。
その詩は、神下ろしの儀式について書かれたものだという。贄を捧げて祈るならば、天の神が白い龍に乗って降りてくるのだという。
また、別の書物では、神と龍は同一であるとする。また別の学者は「龍は神ではない。天に昇るべき者を乗せる舟のようなものだ」と解釈しているという。
どちらにせよ――地上の王が、すぐれた政で世を治めているから、神が応えたもうたのだ。詩はそう解され、人口に膾炙していた。
「あの子は、まさしく、あの詩の仙女だ。白い龍を導くという、青い仙女」
「仙女か……もし、そうだとしたら、彼女は天から来たんだな」
玉髄は少女の容貌を思い出す。古詩よりもはっきりと思い描ける。あの瞳と髪――空と同じ、淡くも凛とした青の色。空から生まれたような少女だった。
「なんだか……符合しすぎてて、怖いくらいだな」
晃耀がため息をついた。
「でも、王の徳を讃えて天の神が、っていう内容なんだろう? ならば……」
「だから、怖いんだよ」
「晃曜……」
「怖いよ。国王の位というものは……思っていたより、重いから」
国王の称号を負った少女は、怖いと言いながら、笑った。
そう、この国の王の座は、すわり心地がとても重い。先王は、三十年の長きにわたって、北の大国の侵攻を防ぎ続けてきた。ときに武力で、ときに外交で――。そして、その戦争が終わってから、およそ七年のあいだ、先王はこの国の立て直しに奔走した。国を守り切った守護神として、尊崇を集めながら――。
しかしその王も、昨年の春、崩御された。そして御位についたのが、先王の長子である、晃耀だ。彼女は、守護神の御子という期待と、まだ年若いという不安を人々に抱かれながら、王であり続けねばならなかった。
「できれば、もう一度あの仙女に会いたいな。予は本当に王でいいのか、訊きたい」
「晃耀……」
玉髄は、すこしだけ心が軽くなった。親友にも悩みがある。大きな力を持つという、同じ悩みを持っている。
「大丈夫。中抜け魔で、ときどき無茶もするけど、晃曜は我らの君だ」
玉髄は、からかうように笑った。この親友の優しさ、聡明さ、大変さを、玉髄はすべて理解しているつもりだ。そして、晃耀を支えること――それを、玉髄は望んでいた。その望みを、思い出すことができた。
玉髄は席を立ち、晃耀の前に跪(ひざまず)いた。
「我が君、僕はどうすればいい? この力、どういう風に使ってほしい?」
「玉髄……どうか、この国を護る、力になってくれ」
「御意」
玉髄は拱手した。
その時、侍従の一人が、御前に参上する。
「陛下。知軍師、および四衛将軍が、お目通りを願って参っております」
「登紀が? わかった、すぐ行く」
「玉髄殿にも参られるように、とのことです」
「わかりました」
ついに来たか――晃耀と玉髄は、緊張するのを抑えることはできなかった。
「登紀、話とはなんだ?」
晃曜と玉髄は、一室に呼ばれた。軍師と侍中、それに四衛将軍たちがいる。
「玉髄殿の、騎龍の力のことです」
軍師が、切り出す。
「玉髄殿、あなたは武人ではありませんが、あなたの得た力をそのままにしておくわけにはいきません。朱将軍に従い、蟠大湖にて騎龍としての技量を磨いていただきたい」
「玉髄は、我が君の侍従です。我が君から、ご命令を」
侍中が、うやうやしく言った。大人たちの視線が、少年たちに降り注ぐ。彼らの期待する命令を、王は出し、そして侍従は従う。それが、望まれている。それに、子供たちは抗えない。
「玉髄」
「はい」
「行ってくれるか?」
「御心のままに」
玉髄は、晃曜に対してだけ、拱手(きょうしゅ)した。抗えないなにかへの、せめてもの抵抗だった。
「よし、玉髄。手前のその根性、叩き直してやるよ」
前衛将軍朱剛鋭は、低い声でそう言った。玉髄は口をつぐんだ。頬がかすかに紅潮してくる。反抗したい気持ちを抑えているのだ。しかし、次には表情を元に戻し、頭を下げていた。
「よろしく、お願いします」
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