大気が、うねっているのがわかる。
この感覚は苦手だ。玉髄はそう思った。
戦場にひるがえる生き物たちの吐息。それがぶつかっては砕け、無為なものになっていく場所。その空気を好きだとは思えなかった。
「なんだ……!?」
その刹那、確かな衝撃を、玉髄は心臓に感じた。
厭な汗が体を伝う。玉髄は頭を上げ、空中をうねる龍たちの舞いを、必死に目で追う。
「龍が墜ちる!?」
その瞬間は、彼らの位置からも見えた。紅い龍が、突如としてわきあがった強い黄金の光に弾かれ、失速して墜ちていったのだ。
「剛鋭!」
晃曜が、思わず叫んでいた。墜ちたのは、剛鋭の龍だった。
紅い龍に続いて、幾匹もの龍たちが墜とされていく。黄金の巨大な矢が、大気を貫いたかのように見えた。
「も、申し上げます! 前衛将軍が崩され、右衛将軍、左衛将軍ともに苦戦されております!」
ややあって駆けこんできた伝令に、本陣はますます緊張の度合いを高めた。
「あの龍はいったい何だ!?」
「敵の総帥、そしてその龍にございます!」
「なんという、禍々しい光……」
晃曜のかたわらにいた軍師知登紀が、苦々しげな口調で呟いた。
峰国の騎龍たちは、余裕から一転、死に物狂いになった。醜い赤龍に、次々と彈を叩きこむ。断京の赤龍は、赤と金の光をほとばしらせ、騎龍たちを翻弄する。
空の戦況は、膠着状態に陥った。
陽が、地平の果てに沈む。
それを機に、赤く醜い龍は、あっさりと自陣へ――花白城へ戻っていった。
王国軍も追撃はせず、やや陣を下げて、夜を迎えた。
戻ってきた斥候たちが、次々と報告を行った。軍師知登紀は、注意深く、そのひとつひとつを吟味していく。「峰国にその人あり」と言われた女軍師は、ゆるやかに巻いた黒髪を揺らして、思案する。
「我が君」
「登紀、なにかわかったか?」
軍議のために設けた幕舎の中に、軍師は入る。国王晃曜のほかに、四衛将軍らも集まっている。
「跋軍が強力なのは、優秀な龍師を抱えているからのようでございます」
「龍師……」
龍師とは、もとは龍を飼う技能を持った者のことを指す。それが転じて、いまでは騎龍の力を人間に授ける方士や仙人のことを意味していた。
「かの軍が、我が国に押し入ったのも、その龍師のせいか?」
「それだけではないでしょう。跋の民とは、先王の御世より険悪な関係でありました。前々から、この国を狙っていたのでしょう」
「あの黄金の光は? あの龍の力とは、思えなかったが」
「そこまでは……」
「畜生!」
卓を強く叩いて、前衛将軍朱剛鋭が唸った。
「たった一匹だぞ! たった一匹の龍に、なんで俺たちが苦戦するんだ!」
「朱将軍、落ち着いて」
登紀が、たしなめる。
だが強くは言わなかった。軍師には、将軍たちのいらだちがよくわかっているのだろう。「にわか騎龍に翻弄された」――それが、騎龍たちの誇りに傷をつけたのだ。
「跋軍の断京は、一騎当千の強者……。ですが、それ以外の兵はただの烏合の衆。勝算は、十分にございます」
「わかった。お前に任せる。必ず、この国を護れ」
「御意(ぎょい)」
国王の命令に、軍師が拱手した。
「クッハッハッハッ! 好い気分だ!」
大きく笑い飛ばして、断京は酒をあおった。彼は占領した官衙の一室で、機嫌よく宴会と洒落こんでいた。
「青娘! おぬしより受けし龍の力、なかなかのものだ」
かたわらの白衣の女――青娘が、ぎこちない動きで酒を注ぐ。
「あと二月(ふたつき)……否(いな)、一月あらば、この国は落ちるな」
満ちた杯をまた豪快にあおりながら、断京は玉を取り出した。暗く赤い色が、灯火を反射する。
「青娘、見ておったか、我が龍を! そして、虎符の力を!」
女は反応を示さない。断京はすこし鼻白んだようだった。
断京は、また、懐からなにかを取り出した。それは、割符――玉を彫って虎を模り、札にしたものだった。虎の目には、黄金が光っている。
「なぜ、そこまで抗う? おぬしはこの虎符に惹かれ、我がもとへ来たのではなかったのか?」
びくり、と女の身体が震えた。
「ああ、間違えた。おぬしも、この虎符を手に入れようと、企んでいたのだったな!」
カラカラカラ、と断京は笑う。
「だが、我のほうが上手だったな。この万能たる虎符の力で、いまやおぬしも我が手駒よ!」
女の手が、小刻みに震えていた。恐れているのか、抗っているのか。それはわからない。
「この符が見たいと、我がもとへ来たおぬし……そしてこの如意珠……」
虎符と、そして赤い宝玉を如意珠と呼び、断京は交互に見やった。
「凄まじい力よ。音に聞く峰国の龍どもが、まるで小蛇のようだったわ。まったく、天命は我にありよのぅ!」
また、カラカラカラと笑う。上機嫌ここに極まれり、といった態だ。
「のう、青娘。我は、別におぬしを害そうと思ってはおらぬぞ。その力を、我のために使えと言っているのだ」
断京は、虎符を女の前にかざした。
「それが、この符の意志……そして、我の意志よ」
虎の黄金の目が、無機質に女を見据える。
「我が王とならば、おぬしも完全に従おう。永劫に、我が片腕となるのだ」
青娘と呼ばれた女は、なにも応えなかった。しかし、断京はますます嬉しそうに大声で笑いたてた。
「さて、面倒を早いうちに摘んでおくか」
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