王国軍と跋軍は、何度か小さな衝突を起こした。
王国軍はさすがに戦慣れしていて、加えて地の利がある。花白以東は、異国の軍にとって難所つづきだったこともあり――王国軍はついに、花白城の目前まで、跋軍を押し下げることに成功した。
軍師の指示に従い、王国軍は陣を敷く。
先鋒に、紅の鎧に身を固めた一軍。
左翼には、青の一軍。右翼には、銀の一軍。
そして本陣には、黄や黒が散っている。そんな鮮やかな彩を持った、峰王国軍の陣容。それは、幾星霜語り継がれる、王国軍の強さの証でもあった。
「……いよいよ、だな」
本陣で、晃曜がつぶやく。
跋軍もすでに、布陣している。
散りゆく春の日差しが、優しさを失った。そしてそのまま、それは対峙した戦人たちに降り注ぎ、装備をきらめかせる。陽が空をゆっくりゆっくり滑っていく。その無言に、大気が張り詰めていく。
そして、その緊張が最高潮に達したとき――。
「突撃!」
軍師の声が、鋭く戦場に響き渡った。戦鼓の音が鳴り響き、前衛を染める紅が動き始めた。
「四衛将軍が力、見せてやるぜ!」
獅子のような武将――前衛将軍朱剛鋭が、猛々しく叫んだ。
馬を走らせながら、剛鋭は首にかけた飾りに、手を伸ばした。孔のあいた赤い玉に、赤い組紐をつないで作られた首飾りだ。その玉に指をすべらせると、剛鋭は首飾りを彼の太い首から外した。
「来い! 我が龍よ!」
その瞬間、彼の漆黒の瞳に、燃えるがごとき血紅の色が宿った。喉元から、強い光が溢れ出す。玉を天高く放り投げる。紐が、尾のように空中でひるがえる。
赤い玉は、宙に舞った。その中央の孔(あな)に、紅の光が渦を巻く。
そして、それは現出した。
すらりと長い蛇体。鮮やかなきらめきを孕んだ鱗。宝玉のごとき、硬質な艶を含んだ眼。
龍。
鋭い爪と、牙、長い須を揺らして、その生命は雄叫びを上げた。
「前衛将軍朱剛鋭、ここにあり!」
名乗りの声は、獅子の咆哮にも勝る。その声に、彼の龍が咆えて唱和する。
次の瞬間、剛鋭は馬上から竜頭の上に飛ぶ。龍に乗るその姿――人は、騎龍と呼ぶ。峰国の軍が誇る、最強の戦士の姿だった。
「おらおらー! 臆したか、賊軍ども!」
剛鋭の龍は、地面すれすれを飛んだ。その後方から、次々と龍が現れ、そちらは空へと昇ってゆく。
龍の現出は、敵軍に相当の動揺をもたらしたようだった。雄々しいはずの西の騎馬たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。その逃げた先には、王国軍の騎兵や歩兵が待ち構える。まさに、袋のネズミだった。
「ハッ、ビビり過ぎて陣形も保てねぇってかァ!? そんな程度で峰国に喧嘩売ろうなんざ、笑わせんな!」
鼻で笑って、剛鋭は龍を飛ばした。
腰の曲刀を抜き放ち、敵兵の塊に投げつける。鋼の刃が空を薙ぎ、血飛沫が上がる。そして剛鋭は手を大きく振った。曲刀は弧を描き、彼の手に戻ってくる。
よく見れば、曲刀には赤い紐が結わえつけられていた。それを繰って、的確に戦場を切り裂いていく。
そして剛鋭は見つけていた。乱れた敵陣の中で、ただ一人、悠然と立つ武将を。
「手前が、大将の跋断京だな!?」
紅き将軍は、即座に竜首を、その武将に向けた。
彼の赤い龍が顎門を開き、土煙を上げて迫りゆく。だが敵大将と思しき者は、一歩も動かなかった。普通の人間なら、即座に逃げ出しているところだというのに。
「いい度胸だ、覚悟しやがれ!」
剛鋭が咆え、彼の刃がまっすぐに賊将を狙った。
「なに!?」
だが、その時、賊将の首から暗い赤色の光がわきあがった。
それは障壁となり、剛鋭の剣を弾き、龍の行く手を阻む。次の刹那、障壁はいくつもの彈に分かれ、剛鋭たちに襲いかかった。
しかし、剛鋭も素早かった。手を振り上げると、紅の彈が剛鋭の龍から生じ、敵の彈を相殺する。
「ほう……手前も、騎龍か」
剛鋭は龍を空中に留め、手に刀を戻した。賊将の真ん前に、竜頭を下げる。
賊将の顔には、恐れはない。そこには、不敵な、見下したような笑みすらある。
「手前、名は!」
「跋軍総帥、跋断京」
賊将――跋断京は、まったく恐怖の色を見せず、逆に、傲岸不遜に言い放った。
「ここまで、歯応えがなくて退屈していた。すこしくらい遊んでも好いな。愉しませてくれ」
「ハン、御託だけは立派なんだよ!」
そう言った瞬間、剛鋭の龍は反転して距離を取る。同時に、断京から光が溢れ出した。
「来い! 我が龍よ!!」
断京の叫び。暗赤色の霊気を帯びた、醜い龍が現出した。
二匹の龍は、それぞれの主を乗せて、大空へと舞い上がる。その霊気が彈となり、幾筋もの尾を引いて、相手に襲いかかる。ぶつかっては弾け、大気に波動が重なった。
「でぇい!」
すれ違いざま、竜頭の上に剣花が散った。
剛鋭と断京の剣が、ぶつかり合う。
次の瞬間には、龍が反転して、鱗と鱗を激しく擦り合わせながら、たがいの主を接近させる。
人間が斬り結ぶ。うねる蛇体の上を無尽に動き回りながら、大振りの剣が火花を飛ばした。
「この程度か」
数合渡りあったのち、剛鋭の顔に、余裕が浮かんだ。
「手前! にわか騎龍だな!?」
剣を叩き込みながら、剛鋭は叫んだ。断京の龍は見事だが、その技が不安定なのを見抜いたのだ。
にわか騎龍。
その言葉は、騎龍になるための知識や技能を学ばず、ほとんど偶然にその力を得た者のことを指す。王国軍の騎龍たちは、そんな者をいちばん嫌っていた。
「どこで『如意珠』を手に入れたか知らねぇが、身の程知らずってモンを教えてやる!」
「身の程知らず、か」
剛鋭の斬撃を防ぎながら、断京はつぶやいた。そして騎馬民族の長は、眼をカッと開き、血走らせた。
「どちらがその愚か者かなァァァッ!?」
「ンだとォォッ!?」
黄金の光が、あたりを包みこんだ。
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