隔離病棟の一室。一磨はうなされていた。
「う……うう……」
鬼に成りかけている一磨は悪夢の中にいた。血まみれの鬼の腕が、一磨をつかまえようとしている。何度も見た悪夢であり、今は彼の精神を映像化したものともいえる。
「ああ……」
あの時のように。
あの時のように、助けて。
――母さん。
「オーン……」
うなされながら、一磨は無意識のうちに唱える。
「サラスバテイ……エイ……」
――母さん。
詠唱が途切れた。
唱えたところで無意味だ。
もう誰も答えない。永遠に失ってしまったのだから。
「……ハアッ、ハアッ」
目を開ける。頭がクラクラする。視界がかすむ。熱が出ている。体中が熱い。
体は医療機器につながれている。生体情報(バイタルサイン)モニタが絶えず一磨の状態を記録している。病室には誰もいないが、自分は観察され続けているはずだ。
荒い息の中で、一磨はぼんやり考える。
(天地陰陽の……工に合い……)
付喪神の呪文を思い、頭の中でなぞる。唇が音を出さずに動く。
(無心を変ぜよ……性霊を得るべし……)
突然、ベッドに青い電流が走った。一磨は投げ出され、機器も倒れてアラーム音が鳴る。
「何だ……!?」
ベッドがバキバキと折れ曲がり、人のような姿を取る。
「付喪神!?」
一磨は体中に張られたチューブに触れる。チューブはいっせいに一磨から離れ、蛇のようにのうたうちまわる。
一磨は立ち上がった。ドアにさわる。内側からは開かないはずのドアが、折り紙のように曲がり、やはり付喪神となる。
「出られる……!」
行こう。
行こう。
皆が戦っている。鬼と戦っている。
俺も行かなければ。戦わなければ。
一磨は廊下に出た。偶然手に触れた手すりが踊り出す。思わずもたれたソファが、カバのようにのっそり歩き出す。
ほどなく病院の職員らが異常に気づいた。
「な、何だ!?」
フラフラと歩く一磨のうしろを、器物の怪が行列をなす。
「百器夜行……」
駆けつけた島倉が思わずつぶやいた。
百器夜行は、多くの付喪神が行列をなし、夜の街を練り歩くことをいう。鬼の行列「百鬼夜行」とは区別される。世に「百鬼夜行絵巻」として残っている絵巻も、実際はこの百器夜行を描いたものであることも多い。
一磨は今、百器夜行の先頭にいる。彼の仕業だ。
「と、止まりたまえ!」
職員が一磨を取り押さえようとする。
「はあ……」
一磨が職員の白衣をつかむ。その途端、白衣は職員の体から勝手に落ちて立ち上がる。袖から手のようなものがヒラヒラと動き、付喪神の行列に加わる。
「う、うわあああ!」
「彼にさわるな! 能力が暴走してる!」
島倉は職員たちを制した。
一磨の力が果てしなく発動している。今、彼の手にふれた人工物はすべて付喪神となる。
「玉石君! どこへ行くんだ!?」
「面会室へ……」
隔離病棟の中では、その部屋までの道順しか知らない。
一磨は面会室へ至った。
「らい……」
らいが、いた。
「一磨さん……」
返事をする。
ああ、たしかにいる。会いたかった人が来てくれている。
らいは傷だらけだ。両腕に包帯を巻き、顔にもガーゼを貼った姿が痛々しい。
「どうやって、ここに?」
「導いてくれました」
らいの右肩に、金銅色の雀が止まっている。
「銅雀……」
「若君、若君!」
銅雀は嬉しそうに面会室のガラスをつついた。
「伝言は聞いたか、らい?」
「はい」
「……皆は今、どうしてる?」
「戦っています」
時刻は午前二時を過ぎている。遠くで轟音がする。
鬼と人が戦っている。
「俺は鬼に成る」
一磨は言う。
「らい、俺を喰え! 俺を喰って、鬼を倒せ!」
「できません!」
らいは首を横に振った。
「……一磨さん」
らいが自分の胸に手を当てる。
「賭けてみますか? わたしの、神虫の、体質に」
「…………」
らいがちょいちょいと一磨を招く。
「頬をつけて」
一磨はそっとガラスに頬をつける。ひんやりと硬い。
ちゅ。
ガラスごしのキス。
でも、たしかに唇のぬくもりを感じた気がした。
「らい」
一磨は決意した。
「賭けるよ。君に」
一磨は右手をガラスに当てる。たちまちガラスは付喪神となり、白い鳥の姿になる。
二人のあいだに障壁はなかった。
「パートナーだから」
初めて言った気がする。パートナーだから――君を信じる、と。
「……神虫」
らいの影から、ずるりと異形の腕が伸びる。神虫が頭をもたげる。巨大化は止まらない。
オオ〜〜〜〜!
神虫が咆哮し、口を開ける。巨大な口が、一磨を呑みこんだ。
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