暗い下水道の中を、走る。
「一磨さん!」
「らい、早く!」
「神虫を先に行かせてください。匂いで追えるでしょう」
走る二人の前を、神虫が走る。赤蜘蛛を追う。
「早いな」
神虫のおかげで見失うことはない。だが中々追いつかない。
赤蜘蛛が道を曲がる。
神虫も曲がり、二人もそのあとを追う。
「いない!?」
道を曲がった瞬間、赤蜘蛛の姿が消えた。
神虫も走るのをやめ、あたりをウロウロと歩き回るだけだ。
「どこへ行った!?」
「この先……じゃないですよね」
神虫が追わないということは、先に行ったわけではないらしい。
「神虫、クモはどこへ?」
神虫は下水道の壁をカリカリと前足でかく。
「壁の中へ?」
「らい、神虫をすこし下げて」
「はい」
らいと神虫が下がる。
一磨は独鈷杵を入れた袋を取り出した。
「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ!」
真言とともに、一磨の瞳が青く輝く。燐光のように揺れる。
一磨の瞳に、真実が映る。人工の壁と見えたそれは、まやかしだった。
「ニセモノだ!」
壁に独鈷杵を突きさす。
薄氷が割れるように、壁の表面が失われる。中は白い繊維が絡みあい、フェルトのような障壁がある。さらに奥は、空洞になっているようだ。
「神虫!」
神虫が繊維に噛みついた。糸を引きだし、喰いやぶる。
繊維の壁が破れると、かなり大きな地下道が広がっていた。
中の空気を嗅いで、神虫がグルグルと喉を鳴らす。
「この子、興奮してます」
「……鬼がいるのか?」
「おそらく」
二人はたがいの顔を見据える。
金緑色に輝く、らいの瞳。青く輝く、一磨の瞳。
たがいに揺るぎない覚悟があるのを確かめて、地下道に足を踏み入れる。
岩と泥でできた地下道。まれにピチャリと足音が立つ。道の角度からすると、どんどん深度が下がっている。
「らい、止まって」
二人と一匹は、岩陰に身を潜めた。
地下道の奥に、大きな洞があるようだった。洞の中で、青紫色の炎が上がっている。
「……鬼火だ!」
人の身長よりも高く、鬼火が燃えている。
鬼火の周囲を、異形の者たちが踊り回っている。姿形は人間に似ているが――。
(鬼類だ)
青い衣の赤鬼、赤い衣の黒鬼、目一つの鬼、口のない鬼、角のある鬼、手足が複数ある鬼、がっしりした鬼、小鬼ども。おおよそ同じ姿の者はいないのではないか。
(一磨さん、あれは……)
(百鬼の宴だ!)
何十という鬼が参集し、宴会を開くことがある。人間のように酒を呑み、肴を喰らい、楽しげに余興をする。「鬼の酒盛り」「百鬼の宴」と呼ばれるそれは、古くは『宇治拾遺物語』に記録がある。「瘤取りじいさん」の原型となった話だ。
(……人が!)
鬼火で、人間が炙られていた。すでに息はなく、ジリジリと肉の焦げる臭いだけがする。
『ギャギャギャ』
『キキッキッキキッ』
別の鬼が、平たい岩盤に乗せているのは、人間の脚だ。膾切りにしては頬ばっている。
見れば、洞のあちこちに人骨らしきものが散乱している。
「こいつら生かしておいてもタメにならねぇ……」
一磨の中に、殺気が宿る。
らいが神虫を影に戻す。輪宝を取り出し、武装する。
「行きましょう、一磨さん」
「ああ!」
宴もたけなわ、鬼の舞の中へ――二人は飛び出した。
『ギャッ!?』
鬼たちは虚を突かれた。
「金剛剣、参る!」
「転宝輪!」
かつて瘤取りじいさんは、神楽を舞って鬼から褒められた。
だがこの二人が舞うのは、死の神楽。鬼を葬る、法具の演舞。
「神虫、おいで!」
らいの影から、ふたたび神虫が現出する。体高は二メートルはあるか。馬のような大きさまで巨大化した神虫が、鬼を捕らえ喰らう。
神虫の辟邪絵のように――鬼たちは逃げ惑い、斬られ、喰われた。
「すごい! すごい!」
神虫の喰べっぷりを見て、らいが興奮した声を上げる。
「こんなにたくさん! はじめて!」
らいは高揚している。こんなに多くの鬼に遭遇したのは初めてなのだろう。
それを片っ端から神虫が喰らう。神虫が満たされるだけ、彼女も満たされるのだ。
『ギャアー!!』
一磨が最後の鬼を斬り捨てると、鬼火も消えた。
洞は闇に閉ざされた。
「……一磨さん!」
光る目を持つ二人に、闇は意味をなさない。
その黒さは、別のことを気づかせる。洞のさらに奥から、青白い光がぼんやり漏れている。
「まだ奥があるのか」
「神虫、戻って」
らいが神虫を影に戻す。
二人はうなずきあった。青白い光へと、ゆっくり歩を進めた。
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