鬼仏尊会 〜付喪神のオレと神虫のキミ〜
第一章 七 巡り会った二人


 日曜日の学園図書館は、いつにも増して静かだった。
 図書館には、集中して調べ物ができるようブース形の机が並んでいる。二階の窓際のブースが、一磨のお気に入りだった。今日もそこで、いつものように勉強していた。
「ふー……」
 本を閉じ、目頭を押さえる。なんだか今日は気分が乗らない。机に突っ伏す。
(もっと話とか、しといた方がいいのかな)
 パートナーとしてやってきた少女のことが浮かぶ。
 彼女と出会ってまだ二日目だ。二日目とは思えないほど、たくさんのことがあった。
(神虫族、といったな)
 人の姿をした、人でない者。
 あれほどの能力を持った種族なら、何かしら文献に記録があるはずだ。
(調べてみるか。まずは辞書だな)
 図書館には、辞書も山ほどある。国語・古語・英和・和英・漢和などの語学系はいざしらず、百科辞典や世界中の宗教・文化、日本で言えば仏教・神道・和歌・説話・妖怪など、辞書になっていないカテゴリーはないのではないだろうか。そう思えるほど充実している。
 そのどれかを調べれば「神虫」についてもわかるだろう。
(気乗りしねーなー……)
 だがいっこうに気分が乗らない。今日は調べず、明日にするか。
「一磨さん?」
 突然、背後から声をかけられ、一磨はがっぱと起き上がった。
「あ、らいか」
「すみません、驚かせてしまいましたか?」
「いや、大丈夫大丈夫」
 一磨はヒラヒラと手を振った。
 らいはほっとしたようにほほえむ。
「用事は済んだのか?」
「ええ。その……寮に持ちこむ荷物の到着が遅れてまして、問い合わせしてたんです」
「え、大変じゃないか?」
「はい。でも明日には必ず到着するそうです」
「今夜はどうするんだ?」
「特別に来客用の宿泊室を使わせてもらってます。着替えは持ってきてありますし」
「ああ、そっか。そーゆー設備もあったな、ウチは」
 他愛ない会話をしながら、一磨は思い当たった。
(そうだ……)
 目の前にいるではないか。
 神虫族に何よりも詳しいはずの者が。
「なあ、らい」
 表情を引きしめる。
「神虫のこと、詳しく聞いたら、教えてくれるか?」
 らいは一瞬キョトン、とした。
「ああ……はい、もちろん」
 ふわり、とほほえむ。不快感は感じられない。
「よかった。でも、答えにくいことまではいいからね」
「ご心配は無用です。きちんとお話しします」
 にこっと笑った。
「だって、パートナーですから」
 一磨はぼんやりとだが彼女の性格をつかみはじめた。
 人柄――と呼ぶのが適切かどうかはわからない。だが間違いなく、彼女は素直な性格をしている。強く、かわいく、人を気づかうことのできる優しい少女。月曜日になったら、間違いなく学園中で評判になるだろう。
「一磨さんは、どういった調べ物を?」
「あー、鬼についてだよ」
 読んでいた本をポンと手に取る。『鬼類研究』と書かれた学術書だ。
「どうして鬼に成りたがるんだろう……」
 一磨はつぶやいた。
「いや、そもそも鬼に成るって何だろうな?」
「そうですね……」
 らいも考えこむ。
「いづれも仏性せる身を、へだつるのみこそ悲しけれ」
 らいが古典の一節をそらんじた。
「『平家物語』だな」
「はい」
 『平家物語』は鎌倉時代の成立といわれる軍記物である。
 物語の時間軸は、平安時代の末期。源氏と平氏が争い、さまざまなエピソードが生まれた。混乱、愛憎、遭遇、離別、葛藤――戦乱の中でドラマが紡がれた。
 そのエピソードをまとめて物語化したのが『平家物語』だ。琵琶法師と呼ばれる盲目の僧たちが、琵琶の音とともに語り継いだという。中には怪異について言及した部分もあり、貴重な資料として退魔士たちも把握している。
一切衆生悉有仏性いっさいしゅじょうしつゆうぶっしょう。『一切の衆生はことごとく仏性あり。みんな同じなんだ』ってのをふまえて『なのにあなたがわたしを遠ざけるのは悲しいな』ってことだろ?」
 男の寵愛を失った女が、御仏の教えを借りて切ない想いを歌った。その一節だ。
「ええ。仏に成りうる性質が仏性です」
 仏性をありとあらゆるモノに存在すると説く。人間にも、動物にも、植物にも。森羅万象が、仏と成りうる存在だという。
「それと似た、鬼性きしょうというものがあるとしたら?」
「鬼に成る性質、ということか?」
「ええ」
 らいはうなずいた。
「そういや、鬼類を研究した論文に、いくつか鬼性に言及したのがあったな」
 さまざまな角度から、人類は妖怪を研究している。研究の成果は論文にまとめられ、発表される。
 一磨もそうした論文――特に鬼について研究したものについては目を通している。
「一磨さん、すごいです。わたしなんかまだまだ勉強不足で」
 らいの瞳が尊敬のまなざしでキラキラと輝いている。
「いや、書いてあることが理解できるようになったのは最近だけどね」
 照れくさそうに一磨は苦笑した。
 高度な専門用語で構成される論文を理解するには、専門知識が必要となる。一般人が読んでもチンプンカンプンだ。一磨も最初はそうだった。退魔士の資格を得るだけの勉強を修め、ようやく内容が理解できるようになってきた。
「でも、鬼性はそんなに注目されてないな。むしろ批判的な意見が多いはずだ」
「どうしてですか?」
「まあ、いろいろ理由があるみたいだけど……」
 「鬼性」が存在するという説は、多くの研究者が批判している。「仏性」というものの存在が証明できないのと同じだからだ。僧侶などはさらにそれに反発するが、学問一辺倒の学者の多くは「仏性」と「鬼性」が人間の体のなかにあるとは認めない。
「妖怪でない存在がバケモノになるのは、別の要因があるというのが定説だ。例えば異常に長寿を保ったり、霊的なエネルギーの強い場所に長く留まったり、呪術を使ったり……何か特殊なことが起こるから、妖怪化が起こる」
 狐や狸や猫が化けるのは、長寿の果てのことだ。
 大柳が泣くのは、聖地に植えられていたからだ。
 犬神が人を呪うのは、呪術師が造るからだ。
 人間の日常にはない特異な何かが起こって、妖怪へと生を変える。
「この説はある意味で合ってると思う」
「でも鬼性の存在と対立する話ではないと思いますが」
「そこはアレだ、感情的な問題だよ。どんな存在にも、一律で、普遍的に、バケモノになっちまう性があるなんてとんでもない――ってことさ」
「……そうでしょうね」
「ま、認められない気はするよ。そんな考え方が当たり前になったら、きっと世の中が混乱する。それを恐れてる研究者もいるはずだ」
 「鬼性」の説が認められたら、人類は混乱するだろう。今日人間だった者が、明日は鬼となるかもしれない。その性質が誰にでもあるとしたら――人々は疑心暗鬼に駆られるだろう。いわゆる「魔女狩り」のような現象も起こりかねない。
「でも鬼性は存在するんです」
「どうして言い切れるんだ?」
「わたしたち神虫族は、鬼性を摂取して生きています」
 らいはあっさり告げた。
「むしろ鬼性しか栄養にできないと言ったほうがいいかもしれません」
「……というと?」
「ビタミンとか糖分とか脂質とか……一般的な栄養素を、体が吸収しないんです」
「何だって!? それで、い、生きていけるのか?」
「そこです。さっき言った鬼性が、どんな生き物にも存在するとしたら?」
「……!」
 言うなれば「一切衆生悉有鬼性」。
「どんなものにも鬼性はある。だから普通の食品を摂取しても生きていけます」
「待てよ。じゃあ、鬼を喰わなくていいのか?」
「普通のものに含まれる鬼性は微々たるものです。どんなにたくさん食べても満たされない。わたしたちは飢えています」
 一磨はハッと気づいた。
 らいは細身だ。すぐに腹を空かせる大食い体質なのに、腕も脚も細い。太らない体質なのだと思っていた。違う。太れないのだ。彼女を生かすための栄養素が、決定的に足りていないのだ。
「それが鬼を探す理由なのか」
「喰べなければ生きていけない。生きるものの宿命です」
 当たり前のこと。自然の摂理。一磨だってわかっている。だがそれでも彼女の口から出た短い言葉は、一瞬――天地を語り尽くしたような気配を感じさせた。
「……で、君が召還したあの神虫は、君の式神のようなものか?」
 式神とは陰陽道などで使われる使い魔のことだ。
「いいえ。あの子もわたしです」
「どういうことだ?」
「あの子とわたしはリンクしています。わたしが空腹で弱れば神虫を出せません。あの子が鬼を喰べれば、わたしは活力を得ます」
「一心同体というわけか」
「わたしの命のもうひとつのカタチと言えるでしょう」
「つまり生命力の具現化といったところだな」
 それが神虫族という者たちの特徴だろう。
「神虫族は十五歳から二十歳で育ち盛りを迎えます。鬼をたくさん喰べないと、体の成長に支障が出ます」
「らいは今……」
「今年の誕生日で十八になります」
 つまりまだ十七歳だ。今が成長期真っ盛りということか。
「今までは、退魔士になった者が好き勝手に鬼を喰べたり、偶然やってきた鬼を捕らえたりしてたんですが……」
 遠い目をする。
「でも限界があるんです、やっぱり」
 現代の日本において、十二分に食糧の手に入る日本において、飢えている者たちがいる。彼らは、ただの人間には解決できない問題点を抱えている。彼らの苦難は、彼らが解決しなければならない。
「わたしは飢えた一族を助けたい。だから退魔士になったんです」
 根本的な解決を。その想いを胸に秘め、らいは退魔士になったという。
「なるほどな」
 復讐を誓い、退魔士になった一磨。
 救済を願い、退魔士になったらい。
 相反する目的を持つようでいて、達成する手段は同じ二人。

 ――鬼を探し、鬼を倒す。

 巡りあうべき二人が、巡りあった。
「じゃあ……改めて」
 一磨は右手を差し出す。
「よろしく、らい」
「よろしくお願いします、一磨さん」
 二人は握手した。
 たがいを認め合った瞬間だった。


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初出:2013年癸巳05月10日