約束の時間に間に合うよう、一磨は学園へ戻ってきた。
「玉石一磨です。失礼します!」
学園長室に入る。
「急に呼び出してすまないね。そこに座りたまえ」
学園長は応接用のソファを示す。二人は対面するように座った。
学園長は中年の男性だ。がっしりとした体格をしており、ダークブラウンのスーツが似合う。皺のある目元に宿る光は鋭い。
「学園長、なにかあったんですか?」
「君はこの春から有資格特待生となったな」
「はあ、まあ」
学園長は一磨の質問に答えなかった。
(いっつもこんな感じなんだよなー……学園長は)
一磨は釈然としないながらも、本題を待つことにした。
学園長は深い声で語り出す。
「わずか二年で必要な単位を履修し、国家試験にも合格する。優秀な生徒が出るのは、わが学園にとっても名誉なことだ」
「恐縮です」
「有資格特待生の最大の特徴は、退魔士としての活動を許可されるところにある。独自に依頼を受けることも許される。だが……君の場合は、事情が特殊だ。君が退魔士の資格を取ったのは、退魔士の商売をするためではない」
心地よい低音が、一瞬途切れる。
「――復讐のため、だな」
一磨は身を固くした。
学園長は一磨の事情をよく知っている。学園長と一磨の父は、古い友人らしい。一磨の母のことも知っている。無論、一磨の幼い頃の体験も。
「君の因果が鬼を引きよせ、君は君の場所を失った」
「あ……」
因果――学園長はそう表現した。
あの日、鬼は一磨を探していた。何のために、何のせいで。それは今もわからない。
だが一磨は知っている。おのれの内に宿るなにかのために、母を失い、父を失った。
「そんな君を私が呼んだ。君はここへ来た。因果と因縁に立ち向かうために」
この学園に入学するよう勧めたのも学園長だ。「仇を取りたいなら、退魔士になれ」と、彼は一磨を諭した。
そして一磨は今、退魔士として学園長の前にいる。
「君の母を殺した鬼類を倒す。その想いは変わらないね」
「無論です。愚かな憎しみと言われても、俺は……あの鬼を必ず……!」
「君の憎しみを諫めたりはしないよ。世間の望む綺麗事で、すべてが片付くものかね」
学園長が笑う。
「私も、結構汚いのだよ」
「先生……」
「鬼類は暴威の象徴、暴力の化身。それを倒すことは、世間にとってもよいことだ」
一磨の憎しみを「人の役に立つから」という理由で許す。学園長はある意味で、一磨のよき理解者だった。
「だが、君は未熟だ」
「……わかっています」
一磨はムッとした。わかっているつもりだが、面と向かって言われると気分が悪い。
「とはいえ、君の目的は迅速に果たされるべきだ。私はそうも思う」
学園長は、角ばった顎をなでた。話が本題に入ろうとしている。
一磨は身構えた。
「君はパートナーを持つべきだ」
「……は?」
「君を補佐し、君の目的の役に立つパートナーを用意した。もう手続きは済んでいてな、この学園に転入してくる」
「ちょちょ、ちょっと待ってください! 急にパートナーとか言われても困ります!」
一磨は身を乗り出した。
「どんな人かも知らないし、それに能力だって!」
学園長は数枚の書類を取り出し、一磨に渡す。
「これは?」
「成績証明書だ。本人の許可は取ってあるから、見てみなさい」
一磨は目をすべらせる。そこに書かれた人物の成績に一磨は目を見張る。
「これは……!」
「さすがに君をしのぐほどではないが。知識も技術も霊力も、非常に優秀な子だよ。君と同じく、この春から有資格特待生になった」
「退魔士なんですか!」
「そうだ。それから、君と同じように、彼女は特殊な血縁の生まれだ」
学園長は一磨から視線を外す。
「竜野君、来なさい」
学園長室のドアが開く。
「失礼します」
「君は……!」
少女が入ってきた。定食屋で横に座った少女だった。
「竜野らい、です。マニ学園から参りました」
少女が一礼する。
「初めまして、玉石一磨さん」
「俺の名前を?」
「はい。一磨さんのお話はうかがいました。わたしもまた、鬼を探す者です」
一磨ははじめて、少女を真正面から見た。
長い黒髪は豊かな量を保ち、形容するならもっふぁりとでもしようか。それをまとめて結いあげている。体は、制服を着ていてもわかるほど細身だ。黒い瞳は大きく、おだやかな光に満ちている。
「もしかして、パートナーっていうのは……」
「そう、彼女だ」
学園長は当然のように言った。
「まずは君のやり方を見せてやれ。彼女の能力は、君の目で確かめるといい。機会は早かれあるだろう。話は以上だ」
「ちょ、学園長!」
「私はこれから会議でね。話は、以上だ」
一磨とらいは学園長室から出た。
正確には出されたというべきか。二人でぽつねん、と学園長室前に佇む。
「え、えーと……」
一磨はとまどいを隠せなかった。今日、いきなり会わされた少女とペアを組む。ペアで退魔士の仕事をこなせということだ。
(もうちょっと事前になんか話してくれたらいいのに……)
学園長を恨みつつ、一磨は少女をちらりと見る。
「玉石さん」
「一磨でいいよ」
「ではわたしのことも、らい、と」
少女――らいがほほえむ。一磨にあるようなとまどいが見えない。人見知りしない質なのだろう。
「もしかして、なにもご存じなかったのですか?」
「いや、その……うん。今日、言われた」
「実はわたしも、四月になっていきなり……学園長先生からお話をいただきまして」
急に決まったことらしい。
「なに考えてんだ? あの学園長……」
「まずは学園長先生のおっしゃるとおりにしていただけませんか?」
「ま、そうするしかないんだろうなぁ」
反抗したところでいいことはない。成り行きにまかせるしかない。
一磨は腹をくくった。
「えっと。らいもやっぱ、学園の中で暮らすんだよな?」
「はい、散流寮へ入ります」
学園は全寮制だ。学生は全員、寮に入ることになっている。
「荷物、とかは?」
「ちょっと手違いで、到着が遅れるみたいです。だから今はなにも」
何もすることはないらしい。
らいが一磨をわずかに見上げる。
「そうそう。一磨さんのやり方って、どんな方法なんですか?」
「ま、方法っていうか……地道に、かな。ちゃんと勉強して、鍛錬もして、ベテランの退魔士さんたちと知り合ったりして」
「ベテランさんたちと?」
「経験者の話を聞くのもいい勉強になる。怪異の実態は、本にはないこともある」
一磨は腕時計を見る。まだ三時を回ったくらいだ。
「夜になったら街へ行くよ。知り合いに会いにいくから」
「はい」
「えーと……ホントになにか予定ないの? 転入の手続きとかさ」
「いえ、今日は一磨さんについていくように言われてます」
一磨は首に手を当てた。困って悩むときの仕草だ。
「……校内でも見て回る?」
「あ、はい!」
らいは嬉しそうだ。
一磨はほっとした。素直な性格の少女らしい。
「じゃ、行くよ。ほかの子は授業中だから静かにね」
二人は連れだって歩き出した。
図書館や食堂、大講堂、体育館、研究施設、病院――充実した学園の施設を回る。
「わあ、すごいですね!」
らいは珍しそうにキョロキョロと見て回る。案内する一磨も、悪い気はしなかった。
「次は外を見にいこうか?」
「はい!」
初夏の昼下がりは、よい天気だった。すこし熱いくらいだ。まだ雑草の手入れをしていない芝生があちこちにあり、のびのびと青い葉を伸ばしている。
「……で、あっちに薬草園と馬場がある」
校内の施設をひとしきり見たあと、一磨は学園の東端までらいを連れてきていた。歩き回ってみると改めてわかるが、学園の敷地は広い。陽がすっかり傾いていた。
「人気……すくないですね」
東端にも建物はいくつがあったが、人の気配はない。建物の前にある掲示板には、張り紙さえない。ガラスが埃で薄茶色に汚れている。花壇も雑草だらけだ。
「このあたりは学園のはずれだからなぁ。農場とかと、老朽化でもう使われてない建物だけ」
「あれは?」
らいが指さした先には空き地があり、太い筒が地面から突き出していた。周囲はフェンスで囲われ「立入禁止」の札がかかっている。
「古井戸だよ。学校を建てるときにはもうあったらしい」
「使われてないんですね」
「いまは水がないらしい。地下水が涸れたんだろうな」
あたりの明るさが減ってくる。生い茂る雑草がザワザワと揺れた。
「うわ、もうこんな時間」
「あ……お出かけするって言ってましたよね。大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。さっきの食堂で晩飯食ったら出かけるから。……来るよな?」
「はい!」
二人はきびすを返した。
外灯に明かりがともり始めていた。
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