破鍋プルガトリオ
第三幕 鉄線エマージェンシー |
栞| 一 | 二 | 三 | 四 | 五 |
一 |
夏休み開始の前日、学校は午前中で終わった。
午後から、リョウはカザミにねだられて、市立博物館を訪れた。特別展「中世の秘宝展」を見るためだ。
「前売りが手に入ってよかったねー」
「まあコンビニで買えるし」
リョウはやたら大きい前売り券をひらひらと振った。安いことは安いのだが、ほぼ無地の紙に文字が印刷してあるだけで、かなり味気ない。
「あれ? ナベさん!」
博物館の入り口前で、人混みから頭ふたつ抜けた巨体がいた。
「ナベさんも見に来たの?」
「家のツテでチケットが送られてきてな。親父は忙しいし、俺が義理を果たしにきた」
アズマが持っているのは、博物館が発行している重厚な模様のチケットだ。「非売品・招待券」と印刷された半券がついている。
「あーなるほど。大変だね」
「お前は?」
「妹の宿題でね」
カザミは借りてきたネコのように大人しい。アズマと会うのは二度目だが、やっぱり慣れないようだ。
「ツキさんは? 今日、学校にも来てなかったみたいだけど」
「知るか」
「そういわずに」
「……風邪をひいたとかで、病院に行くといってたが」
「ありゃ、これ終わったらお見舞いに行こうか?」
「うつるぞ。やめとけ」
「まったく、冷たいなぁ」
すこしは心配してあげればいいのに。
リョウは呆れつつ、受付にチケットを差し出した。
展覧会は、意外に混んでいた。
「絵巻に文書に仏像……よくわかんねーなあ」
展示会場は薄暗い。けれどもそれなりに混んでいた。若い男女の姿もある。昨今の歴史ブームのおかげか、今や仏像を楽しむ女性ファンも多いそうだ。
会場は、いくつかのテーマに分かれて展示物が並べられている。「書」の展示室を回り、ガラスケースの中におさめられた本を流し見する。何が書いてあるのか、さっぱりわからない。
「読めない字なんか見て楽しいのかな?」
「書道をやってる人とかが熱心に見るらしいよー。先生が言ってたけど」
「ふーん」
リョウたちは「絵巻」と書かれた展示室に入った。
「あ、この辺はわかるかも」
絵ならまだわかりやすい。そう思う人は多いようで、展示室はほかの部屋より混んでいた。
「一遍聖絵、天狗草紙、十二類絵巻……」
色あせた紙に、風景が描かれていたり、鳥のような天狗が描かれていたり、鎧姿の獣が描かれていたりする。昔の人の想像力も、意外とあなどれないようだ。
「ん……?」
リョウは立ち止まった。ある絵巻に、目を奪われた。
(何だ……?)
まだ色鮮やかさが残る画面に、引き寄せられる。
それは鬼の絵巻だった。赤い肌をした鬼が、赤い衣を布団にして横たわっている。美しい十二単の女たちがその周囲に群がり、鬼の手足をマッサージしている。
絵巻の説明が書かれているプレートには「酒伝童子絵巻・巻下、室町時代」とあった。
「これがナベさんの前世なのか……」
酒呑童子は、周囲に十人以上の女を侍らせている。まさにハーレムだ。
「……リア充め」
思わずつぶやいた。
「ねー兄ちゃん、まだ見てる?」
カザミが戻ってきて、リョウにささやいた。ぼーっと絵巻を見ているうちに、はぐれかけていたらしい。
「あ、いや、もういいよ」
三人は合流する。
「ナベさんってすごいんだね! すっごく博識!」
「それほどでもない」
キャッキャッとはしゃぎながら、カザミはてってけてーと次の展示室へ向かっていった。
「いい子だな」
「手ぇ出すなよ」
「リョウもそういう心配をするのか」
「どーゆー意味だよっ」
小声で小突きあいながら、リョウたちは次の展示室に入る。
「神仏」と銘打たれた展示室には、仏像だけではなく神々の像もある。「神仏習合」や「神前読経」といった見慣れない単語が解説を書いた板に並ぶ。
「あの……」
「あ、すみません」
ガラスケースをのぞいていると、うしろから声がかかった。邪魔してしまったか、とリョウは横にどいた。真横に並んだ女性は、リョウに軽く会釈した。
「……こんにちは、木曽路さん」
「あっ、ツキさんとこの!」
竹葉家のお手伝い、ホタルだった。今日は白いワンピースを着ている。シンプルだが、ふわりと広がる裾がかわいらしい。
「奇遇ですね、こんなところで」
「ホタルさん、おひとりですか?」
「ええ……今日はお休みをいただいているので……」
ナツキが風邪をひいているのに、いいのだろうか。
「ナツキさんが……行ってきていいって言ってくれましたので」
ホタルはリョウの心中を察したようだった。
今日この展覧会に行く予定を立てていたホタルを慮って、ナツキは送り出してくれたのだという。
「はー……やっぱツキさんは優しいなあ」
リョウは嘆息する。
「で、どうしてこの展覧会に?」
「好きなんです……こういうものが。木曽路さんはお好きですか?」
「えっ、えーっと……ええまあ、その、日本史の先生がいろんな話をしてくれますし」
愛想笑いしながら、リョウはふとホタルの横顔を見た。
展示品の並ぶガラスからもれる光が、ホタルの顔をぼんやりと照らす。整った顔だ。ナツキが鉄線、マスミがハイビスカスとすると、ホタルは一輪だけ咲いた朝顔だ。ほんの一時だけ、シンプルな美しさを見せる。そういう美人だ。
「じゃ、また……」
「あ、はい」
ホタルは人ごみの中に消えていった。
「もー兄ちゃん、またはぐれかけて〜」
またカザミが戻ってきて、リョウの腕をぐっとつかんだ。
「いや、ごめん。知ってる人に会ったから」
「ナベさんが待ってるよー」
カザミに引っぱられながら、リョウも人ごみに混じっていった。 |
二 |
博物館を出て、リョウは携帯の電源を入れた。
すると、メールと不在着信通知が何通か来た。誰か緊急の用事だろうか?
メールを開こうとした瞬間、新しく着信があった。「竹葉出」と表示されている。
「はい、リョウです」
『ああよかった。つながった。いまどこ? 大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。どうかしたんですか?」
『大事な用事だ。アズマ君にも連絡したいんだけど』
「今、一緒にいますよ」
『あああ本当によかった! 携帯つながんなくて』
アズマは携帯を持っているが無頓着なので、電源オフのまま放置していることもよくある。
「どうかしたんですか?」
『プルガトリオだ。急に現れたらしい』
プルガトリオ――もはや言うまでもない。地獄からの脱走者や魔物が棲まう異界が、また現れたという。
『ツキちゃんが先に向かったけど、けっこう手ごわそうだ。行ってくれないか?』
「は、はい!」
『君らの迎えに、ヤトー警備の車を向かわせたから、それに乗っていって!』
ヤトー警備とは、正式名称を「ヤトー警備保障株式会社」といって、日本の警備会社でも高いシェアを誇る企業だ。
「ヤトー警備ですね、わかりました。はい。ではそっちに行きます」
リョウは電話を切る。メールもイズルからだった。
「どうした?」
「ナベさん、敵があらわれたらしい。すぐ行ってくれって」
リョウはアズマに小声で告げた。アズマの鬼瓦顔がぎゅっと引き締まる。
「兄ちゃん、どうしたの?」
「ごめん、先に帰っといて!」
リョウはカザミに、パンと両手を合わせて頭を下げた。
「え、何で?」
「えーと、えーと……そう、塾! 塾で緊急の課題が出て!」
「な、何それ?」
「オレとナベさん、塾寄ってから帰るから! 時間かかりそうだし、な!」
「わ、わかった……」
カザミを強引に説得して帰らせ、男子二人は指定された場所まで出る。
「YATOH GARDIAN」と書かれたワンボックスカーが停まっている。
「あれだ!」
車から、防護スーツを身につけた男女が下りてきた。胸に、烏宝印のマークがある。
「破鍋さん、そして木曽路さんですね?」
「はい」
「イズルさんの要請で、お迎えにあがりました。参りましょう」
男は早瀬、女は上地と名乗った。
ワンボックスカーの中には、リョウとアズマの分の特殊スーツを入れたバッグが入っていた。移動しながら着替える。揺れる車の中で着脱するのは苦労した。
「えっと、この車って……」
「ヤトー警備の一部は、熊野党の戦士なのです」
女が答える。
熊野党は時代によりその姿をさまざまな立場の人間に変えて生きてきた。誰もが知る企業は、歴史の闇と戦う者たちの末裔が現代で戦うための、隠れ蓑だったというわけだ。
「私と上地も、遠い親戚でしてね。熊野の方の出身です」
「あの、もしかして、早瀬蛍という人を知ってますか?」
「ああ、彼女は私のはとこに当たります。才能がないので、戦士にはなりませんでしたが」
あの地味なホタルにも、複雑な事情があるらしい。
「あなたがたは、我が熊野党の切り札」
「あなたがたが向かうということは、強敵です。お気をつけて」
二人は淡々とそう告げた。
十分ほどで、その場所に着いた。雑草に覆われた空き地だ。「私有地につき立入禁止」という看板とともに、ロープが張ってある。
「ここか……」
スーツと防具で身を固めたリョウとアズマは、ロープをまたいだ。
「――!」
世界の時間が止まる。揺れていた雑草が動きを止める。
見えなかったものが見えてくる。ナツキが弾き飛ばされ、宙を舞っているのが見えた。
「竹葉!」
「ツキさん!」
地面に叩きつけられたナツキを助け起こす。
「あ……っ、ゴホッ」
ナツキの顔は真っ赤だった。目の焦点は合わず、熱がある。
「ツキさん、か、風邪ひいてるんじゃ……!」
「でも、強い敵だから……」
「動くな。リョウ、たのむ」
「う、うん」
ナツキをかつぎ、リョウは結界の端に寄る。やはり出ることはできない。見た目はロープしかないのに、透明な壁を感じた。
「参上ったか、鬼ども」
「義経!」
現れたのは、狩衣姿の義経、そして僧兵姿の弁慶だ。
「面倒よのう。わしはわしの巻物を、返してほしいのみよ」
「ここには……ありませんよ」
ナツキが荒い息の中で答える。義経が言っているのは、縁日でリョウが切り取った巻物のことだ。あれはナツキが預かった。その後どうなっているのか、アズマもリョウも知らない。
「わたしたちをどうかしても、無駄です」
「たしかに、痛めつけても徒労と見える……」
義経は口元を袖でおおい、ふうとため息をついた。
「ならば、今日は退こうぞ。弁慶!」
弁慶が薙刀を引きぬき、一閃させる。切りとられた雑草が、竜巻のように三人を襲う。
「うわっ!」
葉の乱舞が終わった時には、義経らの姿はなかった。
「逃げられた……」
ぶわ、と空気が変わる。世界が普通の時間に戻る。
「ああ、大丈夫ですか!?」
ヤトー警備の二人が駆け寄ってくる。
「オレたちは平気です。でも、ツキさんが……」
ナツキは地面に崩れ落ちたまま、立ち上がることもできない。ハアハアと荒く息をついている。熱と叩きつけられたダメージで、かなり弱っていた。
「すぐ、竹葉さんの家に送りましょう。そっちの方がいい」
「お願いします」
あわただしくワンボックスカーに乗って、一行は撤収した。
「なぜ無茶をさせた!」
怒鳴り声が、竹葉家に響きわたった。
「ちょっと、大声出さないでよ。ツキちゃんが起きちゃうかもよ〜」
「誤魔化すな!」
竹葉家では、マスミがナツキの治療に当たった。河童の傷薬とやたら金色に輝く丸薬を飲まされ、ナツキの体調は落ち着いていた。今は彼女の部屋で眠っている。
「風邪ひいてるっていうのに、無茶させすぎよ」
マスミがそう言ったことから、アズマがイズルに詰め寄った。
「俺には理解できん! 使命のために、何もかも捧げつくせというアンタらのやり方が!」
「そうオーバーじゃないよ〜今回は仕方なかったんだって」
リビングでテープルを蹴っ飛ばさん勢いだ。イズルはいつものようにへらへらとアズマをなだめようとしていたが、かえって火に油を注ぐ。
「ともかく! 俺はこんなやり方は絶対に――」
「……ごめんなさい」
ナツキだった。二階から下りてきたらしい。
介添えのホタルから離れると、ナツキはふらふらしながらアズマの前に立つ。
「ごめんなさい、アズマ君。次は、次は気をつけます」
にこり、と笑う。
「だから、だから次も一緒に戦ってください」
ナツキが力なく腕を伸ばす。アズマは一歩下がった。
「何で」
低い声で尋ねる。
「何で俺にこだわる?」
「……それは、アズマ君のことが好き――」
「酒呑童子のことが、だろうが!」
一喝。あたりが震えたかと思った。
ナツキが好きなのは、アズマではない。アズマの前世――酒呑童子だろう。
リョウは、アズマの今までの態度を理解した。
「俺はもう、酒呑童子じゃない。期待するな、竹葉」
「そん……な……」
ナツキは言葉を失って、うつむいた。
「帰る」
誰も引きとめられなかった。
「つ、ツキさん」
「わたし……」
あとには気まずい空気が残る。
「わたし、それだけでアズマ君を好きになったんじゃない……!」
ナツキは、ソファに崩れ落ちるように座った。
「優しいアズマ君が、大好きだったから……!」
ナツキは静かに泣き始めた。
「アズマ君に嫌われたら、わたし、もう、戦えない」
両手で顔をおおう。指のすきまから、涙がこぼれていた。
「でも、オレはツキさんを助けるよ。だから」
「戦えない……!」
リョウのフォローは、ナツキに届かない。ただ顔をおおって泣くばかりだ。
リョウは思い知った。今も昔も、ナツキが想うのはアズマただひとりだ。自分ではそのかわりになれない。どれだけ強くとも、どれだけ力を貸そうとしても――。
ぐっと胸元を押さえる。リョウは悔しかった。
でも、泣いているナツキを見る方がつらかった。
「ツキさん、泣かないで。泣きやんで」
「うう……」
「ナベさんを説得するよ」
「え……?」
「三人でまた一緒に戦おうって、説得する。必ず、一緒に戦えるようにしてみせる」
「リョウ君……」
ナツキはコクンと首を縦に振った。
「僕からも頼むよ。彼を失うのは避けたい」
「大丈夫です。何とかなります」
リョウははっきり答えた。
「親友ですから」 |
三 |
それから数日が過ぎた。
夏休みに突入し学校に行かなくなると、アズマと会う頻度が減った。
「どうしたものかなー……」
最近は、塾で会ってもアズマはそっけない。
「ただ雑談ついでじゃダメだ。もっとちゃんとした場で説得しないと」
作戦を立てねば。
漠然とそう考えつつ、リョウは図書館の中をうろついていた。
「ま、ナベさんを説得するとなると、場所は限られてくるけどねー……」
脳内作戦会議をいったん終わらせ、リョウは目的の本を取る。
今日は『酒呑童子絵巻』について調べていた。幸い、大きいカラー図版が見つかったので、それを見ることにした。
『酒呑童子絵巻』のストーリーは、こうだ。
「人民を選ばず、容顔よかりける女房、多く失せる……」
都で、美女たちが大量に失踪した。時の陰陽師はこれを大江山に棲む鬼のしわざと断定し、それを受けて鬼退治の勅命が下された。承ったのは、勇猛な武士として知られた源頼光とその仲間である。
源頼光らは神仏の加護を受けて、鬼――酒呑童子らの岩屋に入りこんだ。童子らは頼光らを武士とは思わず、勧められるままに頼光が注いだ酒を飲んだ。
「神から与えられた酒、神便鬼毒酒で鬼は悪酔いして眠りこんだ」
捕えられていた女たちと神々の手引きを受けて、頼光らは酒呑童子を襲撃。激闘の末に、酒呑童子の首を斬りおとし、配下の鬼たちもことごとく斬られた。
「えーと、頼光を助けた神は、熊野、住吉、八幡」
見覚えのある名前がある。
今度は大百科辞典を引っぱりだし、神の名を片っ端から調べる。
「熊野……えーと」
細かい字を読んでいくと、「用例」の項目にぶち当たる。「用例」は、その単語がどのような文脈の中で使われてきたかを示している。
『南無帰命頂礼熊野三所大権現ととなふる者は』
「ツキさんの呪文だ!」
意外とすぐ見つかった。さすがは百科辞典だ。
「えーと次は八幡、八幡っと」
「は」の項目を探す。
「八幡神は源氏の氏神……」
その中に気になる記述があった。八幡神は源氏一族の守護神として信仰されていたらしい。
「そういえば、義経は八幡神社に現れたな」
一応つながりはあったわけだ。
納得して、リョウは辞典を棚に戻しに行った。
そのあとも図書館内をプラプラ歩く。気になる本を広げては斜め読みする。
「あ、あれ面白そう」
す、と手を伸ばす。横から別の手が伸びてきて、リョウの手にコツンと触れた。
「あっ、ごめんなさい」
別の手の主が謝る。その顔を見て、リョウは目を丸くした。
「早瀬さん!」
「あ、木曽路さん。 ……何だかよく会いますね」
ホタルはくすっと笑う。
「ウッウン!」
スクエアの眼鏡をかけた司書が咳払いする。二人はハッとして声をひそめた。
「お時間……ありますか?」
「あ、ええ」
「外で……お茶でもしませんか?」
二人はファミレスに入った。奥まった場所で、飲み物だけ注文する。
「お仕事……どうですか? 大変そうですけど……」
「まあ、何とか。熊野党ってすごかったんですねぇ」
「ええ……」
「そういえば、ホタルさんのはとこっていう人にも会いましたよ」
「ああ……」
ホタルはすぐ誰だかわかったらしい。
「私……早瀬の家は、熊野党の中でも大きな家柄です。戦士もたくさん出してる……」
家柄、などという前時代的な単語がすらりと出る。歴史があると、そういう過去の単語やしきたりが色濃く残りがちだ。
「彼らはとても優秀で……紀伊からこちらに派遣されて、戦っているんです」
彼らのルーツは紀伊国南部の熊野だ。ホタルも彼女のはとこたちも、もとはそっちの出身だという。
「でも、私は才能もないし、頭も悪いので……大学受験も失敗しちゃって……」
彼女は一族の「ごくつぶし」なのだという。浪人して受験しなおすのも許されず、「勝手に自活しろ」と家を追い出された。
「その時、竹葉……イズルさんのお父さんが、私を引き取ってくれたんです。仕事で留守がちだから、子供たちの手伝いをしてほしいって言って……」
そして一年前から、竹葉家住み込みのお手伝いになったのだという。
「…………」
熊野党は想像以上に厳しい一族らしい。
「本当に、感謝しています……一番強い人のそばに、いられるから……」
ナツキとアズマ。宿命を負った彼らは燦然と輝く。
その光を受けて、朝顔はひっそりと咲いているしかない。それでもいいとホタルは言った。
「でも時々、さびしい……」
ホタルはうつむいた。紅茶に彼女の顔が正面から映る。
大変なのだ。あの家にいても。竹葉兄妹は優しいが、対等な関係ではない。居候のマスミは暴君で、イズルたちも遠慮がちだ。
「でも……あの時……木曽路さんがかばってくれて……嬉しかった」
顔を上げたホタルは笑っていた。
「あの……もし、なんですけど」
ホタルがわずかに身を乗りだす。
「よかったら……お友達に、なってもらえませんか?」
ホタルがはにかむ。頬から目元が赤くなって、それが何となく色っぽい。
(こここれはもしかして)
フラグというやつなんじゃないかな!?
リョウの胸は期待でいっぱいになった。ホタルも結構かわいい顔をしているし、気弱なところが守ってあげたくなる。
「よ、喜んで!」
二人は携帯のアドレスを交換してファミレスを出た。
「じゃ、私はこれで……」
「帰るんですか?」
「はい。そろそろナツキさんたちが帰ってきますので……」
「そうですか。じゃ、また」
「また……遊びに来てください。いろんなお話、聞かせてください……」
帰るホタルの背を見送ったあと、リョウは軽くガッツポーズをした。 |
四 |
男が甘党で困ることの第一は、ケーキショップがかわいらし過ぎるという点だ。白くてピンクでフワフワなお店に、男だけで入る勇気はなかなかわいてこない。
「ここ、ケーキとかパフェが美味しいらしいぜ」
その点を考慮してリョウがリサーチしたのは、見た目は普通の喫茶店だった。店先にまず「コーヒー」と書かれているレトロな店。そして秘かに、スイーツがおいしいと評判の店だ。
アズマを誘うと、あっさり乗ってきた。
「ここか」
「うん」
リョウはここでアズマの機嫌を取りつつ、説得に当たるという作戦を立てていた。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、中年のマスターの声がした。マスターはアズマを見るなりぎょっと目を剥く。
「あ……」
その失礼な態度の理由は、二人にもすぐわかった。
先日、アズマにからんできた不良たちが、一番奥の席でたむろしていたからだ。きっと仲間だと思われたのだろう。
「リョウ、座ろう」
「で、でも」
「目を合わせるな。堂々としててくれ」
「う、うん……」
不良とは関係ないのだから、気遅れする必要はない。アズマはそういう考えだ。
二人は、なるたけ不良から遠い席についた。
「ストロベエリーサンデー」
「あ、オレ、ガトーショコラと紅茶」
スイーツを待ちながら、不良たちの席をチラリと見る。バイトのウェイターと思しき少年が、ツクダ先輩にぺこぺこしている。仲間か、弱みを握られているか。どちらかだろう。
やがて目当てのものが運ばれてきた。
「あ、おいしい」
リキュールだろうか。大人の風味のするケーキだった。
アズマは赤と白のコントラストが鮮やかなサンデーを、嬉々としてつついている。
この店は当たりだ。
「……こないだの、ことなんだけどさ」
食べながら、話を切りだした。
「ナベさん、もう戦わないつもり?」
「できればそうしたい」
アイスを削る手を休めず、アズマは答えた。
「どうして?」
「あの一族のやり方に、もうついていきたくない」
リョウは胸が熱くなるのを感じた。緊張しているのか、怒りか。それはわからなかった。
「俺は大学に行って、家を継ぐ。ただそうしたいだけだ」
寺を継いで坊主になる。
ただそれだけが願いなのだという。
「本当かどうかもわからない使命のために、命を削らされるなんてまっぴらだ」
「でも、それじゃツキさんがかわいそうだ」
「どうせ、俺がいなければ戦えないとか言ったんだろう」
「わかってるなら……!」
「戦わなければいい。俺がいなくなった程度で戦えない使命なんて」
アズマは冷たく言い放つ。
クーラーの風が寒い。しかしリョウは頭の中が熱くなるのを感じた。
「ナベさんが……」
熱い。体が熱い。頭がクラクラする。
「アンタがそんな冷たい奴だとは知らなかった!」
リョウは周囲もはばからず怒鳴った。
「優しい人だと思ってた。だけどホントは、友達も助けない奴だったなんて……」
これではいけない。ケンカするために誘ったんじゃない。
そう思っても言葉が喉を突いた。
「いつかツキさんだって気づくさ! そしてアンタを見限る!」
リョウは引っこみがつかなくなった。自分の分の金をテーブルに転がした。
「そーなったらオレがツキさんを口説いてやらぁ! バーカバーカ!」
さっさと店を出る。
夏の日差しが、容赦なくリョウを焼いた。熱くなっていた体の温度がよけいに上がる。
「なんだよ……ナベさんの頑固者! 弱虫!」
ブチブチブチとつぶやきながら、商店街をフラフラ歩く。
「あれーリョウ君じゃない。どうしたのー?」
呼び止められて振り返る。イズルだった。
「イズルさん……」
へらへらしたイズルの顔が、頼もしく見える。と思った瞬間、リョウは泣き出した。
「わーあああ!」
「え、僕、何かした!?」
「ナベさんが……ナベさんがー!」
「あーうんうん、あっちで話を聞くよ。だから泣くのはやめてくれないかなー?」
「うえ……っ、はい……」
号泣する男子高校生と、ヒマそうな青年の組み合わせはやたら人目を引いた。が、イズルが自販機で買ったコーヒーを与えられても、リョウはべそべそ泣く。
「そっか……何か、君にも悪いことになっちゃったなぁ」
「らベさんのばか〜わからずや〜」
「君、呂律がおかしいよ……?」
泣き過ぎたのか熱いコーヒーのせいか、リョウは酔っ払いのようなクダを巻く。
それもすこしの間だけだった。
「落ち着いた?」
「はい……」
リョウのテンションはダダ落ちしていた。見るからに自己嫌悪でヘコんでいる。
「とりあえず、その喫茶店に案内してよ。まだいるかもしれないし」
「はい……」
重い足取りで、件の珈琲店に向かう。
「……え?」
喫茶店の前に人混みができている。
しかも前の道路には赤いランプがクルクル回って――。
「救急車!?」
「と……とうとう救急車ざた!?」
リョウは蒼ざめた。あのあと、アズマと不良らが乱闘にでもなったのだろうか。
「と、通してください!」
人混みをかき分ける。
喫茶店の入口から、ストレッチャーが運ばれてくる。その上に、やたらでかい体が横たえられていた。
「ナベさん!」
「アズマ君!?」
リョウたちは駆け寄った。救急隊員が二人に気づく。
「あなたたち、この人の友達?」
「はい、昔からの知人です。彼の家の連絡先も知ってますから、僕から伝えましょうか?」
「助かります」
「えと、ナベさんどうしたんですか?」
「飲食中に様子がおかしくなったから、店員が呼びかけたところ、倒れたそうです」
すかさずイズルがリョウの肩を叩き、救急隊員に告げる。
「実はこの子も、さっきまであの人と同じ席でお茶してたんです」
「食中毒かもしれないから、あなたも一応病院に行った方がいいですね。一緒に乗りますか?」
「あ……はい」
「アズマ君ちには僕から連絡しとくよ。すぐ追いかけるから心配しないで」
救急車の後部ドアが閉まる。派手なサイレンとともに、商店街から遠ざかっていった。
「急性アルコール中毒ねぇ……」
アズマの診断結果が出た。意外すぎる答えに、リョウは処置室前で頭をひねっていた。
要するに、アズマは酒の摂り過ぎでぶっ倒れた、ということになる。
言われてみれば、リョウの体調の変化も酔っ払いそのものだった。念のため検査を受けたが異常はなく、もう頭の中もハッキリしている。
「酒なんか飲んだ記憶ないぞー」
口にしたものといえば、スイーツだけだ。
「まさかケーキのアルコール? そんな馬鹿な」
たしかに酒の風味の効いたケーキだった。
「ウイスキーボンボンで酔っぱらうことはあるって聞いたけど」
「や、具合はどう?」
「イズルさん!」
やっとイズルが到着した。
「何かさ、事件性があるみたいよ〜」
どこから情報を仕入れてきたのか、イズルはあっさり告げた。
「あの店のスイーツに、お酒は一切使われてないそうだよ。誰かが盛ったことになるね」
「……あいつらだ」
たむろしていた不良たち。
「ふむ。リーダーの命令を受けて、バイトの子が一服盛ったかも、か」
「でも何でアルコールなんでしょう?」
「たしかに。酔ったところを、やっつけるつもりだったのかな? でも、その不良たちは、アズマ君が倒れる前に店を出ていっちゃったみたいよ〜」
イズルの情報収集能力に、リョウは震えた。
「やり方が素人だなぁ。相手の状態も確かめないでその場を去るなんて」
「イズルさん〜、不謹慎ですよ」
「それにしても、数滴でアズマ君を酔っぱらわせるお酒ねぇ」
リョウにはピンと来た。
「あ……神便鬼毒酒!」
「それだ!」
イズルも思い当ったらしい。
「でも、それは神様のお酒で……」
「造れる可能性のある人ならいるよ。ちょっと出よう」
携帯電話がかけられるスペースまで出る。
「ダメだ、誰も出ない」
「どこにかけたんですか?」
「ウチ。ホタルさん、この時間はいつも家にいるのに」
「携帯は……?」
「そっちもダメ」
「マスミさんは?」
「マスミさんは電話を取らないよ。携帯も持ってないし」
「電話取らないって……」
「機械類が苦手な人だからなぁ」
いったん処置室の前に戻ると、アズマが運び出されるところだった。これからしばらく様子を見るそうだ。
「アズマ君、気分はどうだい?」
「何かわかったことは……?」
「まだ確定じゃないけどね」
「……ナツキは?」
「出かけてるよ? ふふ、さすがのアズマ君も心細くなってるのかな?」
「違う……このあいだの祭りの時、一緒にいるのを見られてる……」
「――!」
ハッと顔を見合わせる。
「ちょっと電話かけてくる!」
ふたたび携帯電話スペースに入り、イズルがナツキの携帯にかける。
リョウも横で聞いていた。むこうの声がわずかに聞こえてくる。
『ただいま電話に出ることができません――』
「だめか……」
『ピーッという音のあ』
ブツッ。
「ん?」
『助けて!』
「――!?」
留守電が途切れた。そして甲高い声が助けを求めてきた。
『助けて! ナツキさんが! ナツキさんが!』
「お、落ち着いて! 君は誰!?」
『カザミ……カザミです。助けて……!』
「カザミ!?」
『来い!』
『いやあ!』
ブツッ。
通話が切れた。
「もしもし!? もしもし!」
何度呼びかけても、かけなおしても、答えはなかった。
「カザミ……カザミとツキさんに何か!?」
リョウはイズルにすがった。二人に何かあったのは間違いなかった。
イズルがせわしなく携帯を操作する。メールかと思ったら、どうやら違うらしい。
「GPSだよ。つけててよかった」
ナツキの携帯から位置情報を呼び出したらしい。
「五丁目か……さっきの商店街の裏あたりだな」
幸い、携帯の電源は切られていないらしい。
イズルたちは病室に戻り、ナツキらに異常のあったことを告げた。
「僕が様子を見に行く」
「お、オレも!」
「俺も……」
アズマが起き上がろうとしたが、それをイズルは押しとどめた。
「アズマ君はそこにいなさい。ご両親がもうすぐ来るから!」
「だが」
「足手まといだよ!」
イズルはあざやかに切り捨てた。
「大丈夫、電話が通じたなら、プルガトリオ内にはいない。相手ははっきりしゃべってた。人間だよ」
イズルはそれ以上、アズマにかまおうとしなかった。
「リョウ君、来てくれるね?」
「はい!」
あわただしく病院を出る。
紫のミニバンに乗って、五丁目へ急いだ。 |
五 |
「このあたりのはずだけど……」
そこは入り組んだ裏路地の行き止まりで、周囲は雑多な建物にかこまれている。
「あっ、あれ!」
女物のカバンが二つ、ゴミ箱とゴミ箱のすきまに転がっていた。
「それ、ツキちゃんのだ!」
「こっちは……カザミの」
見覚えのあるカバン。持ち上げると、中から財布や携帯が転がり落ちた。
「強盗じゃないのか」
うしろから人の気配がする。二人は振り返った。
「あ……さっきの!」
来た道をふさぐように、不良集団が立ちはだかっていた。
「しまった、ワナだ!」
「待って」
取り乱しかけたリョウを抑え、イズルが様子を見る。
「尋常な目じゃないな……何かに操られてる?」
不良たちの目は、ひどく虚ろだった。ゾンビ映画のように、ふら、ふら、とおぼつかない足取りで近づいてくる。
ざわ、と熱い風が吹く。
「あ――」
と思った時には、プルガトリオの中にいた。
「待っておったぞ」
アパートの屋根の上に、義経がいた。
その横に弁慶がつき従っている。その太い腕には、意識を失った女が抱えられている。
「早瀬さん!」
間違いなくホタルだ。
リョウは携帯からストラップを外す。黒い棒は即座に巨大化し、刀の柄になった。リョウがそれをしっかり握ると、刃が現れる。青い炎を帯びた刃だった。
「義経、答えろ! ツキさんとカザミをどうした!?」
「女どもの命は、〈大日の法〉と引き換えよ」
「大日の法?」
「貴様がわしから奪いし巻物よ。そなたらが隠していること、調べはついておる」
「あれか……」
「応ずるならば、熊野妙法山へ来るがよいわ!」
言い捨てて、義経と弁慶の姿が消える。
あわててあとを追おうとしたが、プルガトリオの結界も消える。
「リョウ君!」
イズルの声に、集中力が途切れる。素魄王はもとのストラップに戻る。
不良たちの姿もなくなっていた。
「何があった? 不良たちが突然消えた」
「今、そこに義経がいて、ホタルさんが捕まってた……」
「何て言ってた?」
「女たちの命は、大日の法と引き換えだと。熊野の……妙法山に持ってこいと」
「妙法山!?」
イズルの顔色が変わった。
はやる気持ちを抑え、リョウとイズルは竹葉家に戻ってきた。
家の中に人の気配がない。当然、ホタルの姿も見えない。
二階にある、マスミの部屋へと向かう。
「マスミさん、入るよ!」
返事はない。鍵のないドアはあっさり開いた。
乱雑な部屋だった。床は本とゴミであふれ、壁には人体図が貼ってある。見たことのないお札や、謎のメモも目白押しだ。本棚は怪しげな本であふれていた。
イズルはその物の山をかきわける。
リョウは気遅れしつつ、クローゼットを開けた。中の物がバランスを崩し、こぼれおちてくる。その中に、毛髪の束があった。
「わっ、髪の毛!?」
明るい茶色のウィッグだった。
「カツラだよ。何だってこんなの持ってるんだろう?」
棚に並んだ怪しげなブツをひとつひとつ見る。瓶のスキマに、妙な像が置いてあった。
「なんだこれ……坊さんのフィギュア?」
「それは八幡神の像だよ」
「源氏の神様……!」
鬼を倒す神酒の作り手のうしろに、義経の影がちらつく。
「最悪の事態かもしれない」
イズルは難しい顔だった。
マスミが義経と通じていたかもしれない。そう考えれば、最近の出来事の説明もつく。行く先々で遭遇したのは、義経に情報を回す者がいたからだ。
「華倍美を追う。一族に連絡を回すから、すこし待っててくれ」
「大丈夫なんですか?」
「右は政治家から左はカラスまで。どんな職種もいるのがウチの一族でね」
「どんだけ広範囲なんですか、あなたの一族は!」
「近所づきあいも希薄になった現代社会、ウチみたいな一族は稀有な存在だよ〜。そろそろギネス申請してもいいんじゃないかな」
軽口こそ叩いていたが、イズルは本棚から住所録と思しき本を取り、すばやくめくる。そして怒涛の勢いで電話しはじめた。
「カザミ……ツキさん、ホタルさん……無事でいてくれ……!」
リョウはただ祈るしかなかった。
二時間ほどして、表がドヤドヤと騒がしくなった。
「おう、イズル!」
だだっぴろい玄関に、数人のスーツ姿の男性があらわれた。
千香寺の檀家で、ヤのつく自由業の方々だった。
「須藤さん、何かわかりましたか?」
「手がかりが見つかったぜ。裏庭にもう連れてきてある」
どうやら、ヤのつく自由業の皆さんも、熊野党の一族らしい。リョウはおののきながら、イズルたちのあとについていった。
裏庭には、高校生くらいのチンピラが取り押さえられていた。
「こいつは?」
「ツクダとかいうガキの取り巻きでさ」
「あっ、あの喫茶店でバイトしてた奴!」
リョウには見覚えがあった。
アズマが倒れた喫茶店で、不良たちにペコペコしていた少年だ。
「あの事件のあと行方をくらましてたみてーだが、裏路地で見つけて連れてきた」
「……ずいぶん、ひどい目に会ったみたいだけど」
少年は傷だらけだった。
「ワシらじゃねえよ。拾ったときにはもうこのザマだった」
イズルは腰をかがめ、少年と視線を合わせる。
「さ、話を聞かせてもらおうか」
「話ったって……」
「君がアズマ君に何か盛ったんでしょ?」
「あ、あれはツクダ先輩がやれって!」
あの日、喫茶店でアズマを見たツクダ先輩は、奇妙な小瓶をその少年に渡した。料理か何かに、瓶の中身を上手く混ぜて食べさせろ、と。
少年は逆らえず、ストロベリーサンデーと紅茶に瓶の中身を混ぜた。アルコール臭のする、無色透明の液体だったという。
「液体の入った小さい瓶か。どっから手に入れたんだい、そんな物?」
「ツクダ先輩は、最近妙な女とつるむようになって……」
夜の街で会った、妖しい女だったという。瓶はその女からもらったものらしい。
「派手な茶髪で……」
「これか」
イズルは、マスミの部屋から見つけたウィッグを出して見せた。
「そ、そんな髪型だった。カツラだったのか、あの女……!」
イズルが大きくため息をついた。
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