破鍋プルガトリオ
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栞| 一 | 二 | 三 | 四 | 五 |
一 |
それからしばらくは、平穏な日々が続いた。
夏休みを翌週に控え、クラス全体がソワソワしはじめる。
リョウたちの学校は前期・後期の二期制を取り入れており、終業式はない。おまけにほかの学校より休みが少ない。けれども、長期休暇は楽しみだった。
「今度の土日、空いてるか?」
帰りぎわの教室、アズマがリョウに尋ねた。
「うん、空いてるけど。どうかした?」
夏休み前に、何かするのだろうか。
「買い物につきあってほしい」
「いいけど、何買うの?」
「指輪かネックレスか」
「えっ」
リョウは目をぱちくりさせた。アズマがアクセサリーを欲しがっている?
「どうしたの、ナベさん。アクセサリーなんて」
「勝手がわからなくってな。アドバイスしてもらえると助かる」
「ナベさん指も首も太いから、合うの見つかんないかもよ!」
「何言ってる。するのは俺じゃない」
「え、ってことは?」
「竹葉にやる。もうすぐ誕生日だからな」
「あーなるほど!」
リョウはポンと手を叩いた。聞けば、終業式がちょうどその日らしい。
「あれ? でも、ナベさんはツキさんのこと、そのー……あんまり良く思ってないんだろ? じゃ、誕生日プレゼントなんていらなくね? 贈る必要なくね?」
アズマの動きが止まった。ぽかん、とした顔だ。
「……その発想はなかった」
「いやいやいやいや! 思いつくだろ普通!」
「だが、俺はあいつの作るベリーソーダに抗えん」
「ああ、その分はお返しするの」
リョウは肩をすくめた。
(何だかんだで仲良しなんだなぁ)
ほほえましいが、ちょっとうらやましいし嫉ましい。
「某美食屋のオッサンみたいなツンデレだなぁ、ナベさんって」
「何か言ったか?」
「何でもない!」
ツンデレとか言ったら怒るだろうなあ。
リョウは苦笑する。
「で、いつ行く?」
「日曜でどうだ?」
時間と行く店を考えているうちに、クラスメイトたちは帰っていく。
「リョウ君」
「あ、ツキさん」
ガランとした教室に、ナツキが入ってきた。
アズマの目元がピクリと動いたが、リョウもナツキも気づかなかった。
「何か、お話ししてましたか?」
「えーと……まあ大したことじゃ。どしたの?」
「リョウ君に渡したいものがあって……」
「えっ、何くれるの!?」
リョウは目を輝かせ、ナツキの差し出したものを受け取る。
それは、携帯電話ストラップだった。細い糸が輪になっていて、金具をつなぎにして小さな黒い棒がぶらさがっている。黒い棒は、カニカンと呼ばれる動く金具がつけられており、糸から外せるようになっている。
「ストラップ?」
「よく見てください」
黒い棒には糸が複雑にからませてあった。和風の細工物に見える。
「それは先日、リョウ君が使った霊刀です」
「え、こんなちっちゃくなるの!?」
「はい」
あの夜、リョウが取った刀。青い炎を帯び、バケモノたちを容易く屠った刀だ。今は親指ほどの長さしかない。
「わが一族に伝わる、素魄王という名の刀です」
「そはくおう?」
「素魄というのは、月という意味。月は状況によって、その姿が何通りにも変わります。その刀もまた、自在に大きさが変わるのです」
「ふ〜ん……すごいなー」
いざという時、これを取って念じれば、あの夜の刀がまた現れるという。
「話はそれだけか?」
アズマが尋ねた。
「いえ、このあいだお話できなかったことを少し」
教室はもう三人だけになっていた。
リョウの机を囲む。リョウとナツキは椅子に座り、アズマは隣の机に腰かけた。
ナツキが、これからの戦いについて説明しはじめた。
「わたしたちが戦うのは、プルガトリオと呼ばれる場所になります」
「プルガトリオ?」
「この人間界と、他の世界との中間地域のことです。境界とか異界とか異次元とか……呼び方はいろいろあるみたいです」
その世界を名づけた人間の立場や宗教観で、名前がさまざまに変わるらしい。
「キリスト教では、煉獄と呼んだようです。煉獄は英語でパーガトリィ、イタリア語でプルガトリオといいます」
「なるほど」
「地獄の脱走者は、プルガトリオ内に結界をはり、人間を取りこみます。そしてその人間の肉体を乗っ取って、現世に戻ろうとするんだそうです」
「それを防げばいいのかな?」
「はい。どこにそうした結界ができるかは、一族の働きによってだいたいつかめるようになっています」
何百年と戦ってきたゴーストバスターの一族には、ナツキも知らない能力を持った者やシステムがあるのだという。
「とりあえず、わたしたちはその連絡を受けて、現場に向かうことになります。わたしたちなら百発百中で、プルガトリオに入れるでしょう」
「ん? 入れないこともあるの?」
「はい。プルガトリオを形成した者が、こちらを取りこもうとしなければブルガトリオには入れないようなのです」
しかも、ある程度霊感のある者でないと、プルガトリオには取りこまれないのだという。
「ほとんどの人間が普通に暮らしているのは、霊的な力に感応する能力がないからだといいます」
「なるほど、霊感ゼロならかえって安全なのか」
「まあまったく影響がないでもないみたいですけど」
「……細かいことはいい。どうせお前も完全に理解はしてないんだろう」
「そう、です……。ごめんなさい」
アズマがばっさり言うと、ナツキはしゅんとうなだれる。
「なんだよー、ナベさんのいじめっ子ー」
リョウはプンスコしながらアズマのひざを叩く。ナツキがクスッと笑った。
「これから大変になると思いますが……よろしくお願いします」
「よっしゃ、まかせとけ!」
「……実生活の邪魔をするなよ」
「はい!」
話し終えて、男子二人は帰り支度を始めた。
「あの、お二人とも……土曜日、空いてませんか?」
「え、ツキさんも何か買い物?」
「も?」
ナツキが首をかしげる。
「そう日曜に――おうっ!」
「何でもない」
アズマがすかさずリョウの脇腹を突き、沈黙させる。
「……何か重要な用事か?」
「いえ、そうじゃなくて……お祭り、見に行きません? 八幡神社の」
八幡神社は、このあたりでは大きめの境内を持つ神社だ。近在の人はそこに初詣に行き、新車のお祓いやお宮参りもよく行われている。
次の土曜日は、そこの縁日がある。そこに遊びに行こうというお誘いだ。
「お祭り! 行く行く!」
「アズマ君も」
「んー……」
「ナベさん、行こうぜ〜?」
アズマは乗り気ではないらしく、反応が鈍い。
「あ、そうか」
リョウはポンと手を叩いた。アズマを説得するには――。
「わたあめ」
その単語を出した途端、アズマの動きが止まった。リョウは追い打ちをかける。
「リンゴ飴、細工飴、ベビーカステラ、かき氷」
露店に並ぶ甘味を列挙する。
アズマの意外とかわいい弱点、それは甘い菓子類だ。駄菓子から高級スイーツまで、アズマに好き嫌いはない。リョウはそこを突いた。
「縁日ならではのB級スイーツ、いかがっすかー?」
「……行く」
「わあ! ありがとう、アズマ君!」
ヒマワリのような笑顔で、ナツキが大喜びする。その顔を見て、リョウは機転の利いた自分の頭に感謝した。
「じゃ、土曜日にわたしの家に来てください」
「うん、わかった」
「楽しみにしてますね」
ニコニコ笑顔で帰るナツキを見送り、アズマとリョウも鞄を取った。
「そうだ、リョウ」
「ん、何?」
「……いつのまに、名前で呼ばれるようになったんだ?」
「何が?」
リョウはキョトンとアズマを見上げる。アズマは首筋のうしろをなでつつ、廊下の方をじっと見つめている。
「竹葉は、ほかの奴を下の名前で呼ばん奴だったんだが……」
ピンときて、リョウはにや〜っと意地の悪い笑みを浮かべた。
「何だ、その顔?」
「何だかんだ言って、ナベさん、ツキさんのことけっこう気にかけてるよね」
「……な。別に俺は、竹葉がどう呼ぼうと」
「勝手、でい〜のかな〜?」
「アイツの勝手だ!」
むっすり機嫌を損ねたアズマに対し、リョウは笑いが止まらなかった。ちょっぴりの優越感に、アズマの嫉妬心を発見した喜び。
リョウ自身、アズマとナツキには複雑な好意を抱いている。ナツキには憧れるが、アズマとナツキがくっつくならそれでいいとも思う。
結局のところ、リョウは二人とも大好きなのだ。だから一緒に戦うことも快諾したし、それを喜んでさえいる。
三人の冒険はまだ始まったばかりだ。 |
二 |
土曜日になった。
よく晴れていて、凄まじく暑いが絶好の祭り日和だ。
「オレ、夕方から出かけるから」
「どこ行くの?」
「縁日。知ってるだろ、八幡神社の」
「あー、いーなー! あたしも行くー!」
カザミが元気よく手を上げた。リョウはすこし困る。
「おいおい、オレ、オレの友達と行くんだぜ?」
「えー、いーじゃーん。一緒に行っていーでしょ?」
「お前の友達と行けばいいじゃないか」
「ダメなの。みーんなカレシと行くって」
「中一でみんな彼氏持ちか……あー何か悲しくなるわ」
「でしょ? だから連れてってよーネコ被るからー」
「あーもーわかったよ。訊いてみるから」
リョウは早速、アズマとナツキにメールした。アズマからは短く「いいぞ」とだけ返信があった。一方、ナツキからは嬉しい申し出があった。
『ぜひ妹さんにお会いしたいです。妹さん、浴衣着ますか? よかったら、ウチで着付けを手伝いますよ』
「おっ、やった! 喜べ、カザミ! ツキさんが浴衣着せてくれるって!」
「え、ホント!? 着る着る!」
「そういえば、自分の浴衣持ってたっけ?」
「持ってますー。でも自分で着られないからあきらめてたんだー。ラッキー!」
「じゃ浴衣持って準備して。行くってメールするから」
「やったー!」
夕方を待って、リョウは甚平を着た。渋い若草色に格子の柄が入っている。浴衣は「着付けが面倒」という理由であまり好きではない。
カザミは着替えやすいシンプルな格好で出てきた。手には浴衣やら帯やらの一式をまとめた大きなバッグを持っている。
「よし、じゃあ行こうか!」
自転車に乗って、兄妹は走り出した。
竹葉家の前では、ナツキが待っていた。リョウが手を振ると、にこやかに応じる。
「そちらの方が妹さん?」
「あ、うん」
カザミがぺこんと頭を下げる。
「リョウの妹の……木曽路風美と申しますー。いつもバカ兄がお世話になってまーす」
「こら、バカ兄は余計だ!」
「竹葉夏木です。よろしくね」
「何かゴメンね。お言葉に甘えちゃって」
「いいんです、気にしないでください」
早速、家に上がる。
ナツキはホタルを呼んで、カザミとともに別室に入った。
「お待たせー」
ウキウキしながら、着替えたカザミがリビングに出てきた。
ピンク色に赤で牡丹やサクラソウを描いた可愛い柄だ。レースのへこ帯を普通の帯の上に結び、結った髪にはピンクのバラのコサージュをつけている。
「どう?」
「うーん、何か子供っぽい?」
「ぶー! 何でよ、かわいいじゃーん、バカ兄!」
「そうですよ、とても可愛いですよ」
遅れて入ってきたナツキに、リョウは思わず見惚れた。
ナツキは紺色の浴衣だった。青や白で鉄線花が流れるように描かれている。長い髪はまとめて結いあげ、つまみ細工のかんざしが大輪の花を咲かせる。夜に咲く花の可憐さが人の形になれば、このような姿になるのだろう。
「はー……さすがはツキさん」
よく似合っている。
「ナツキさん、アズマさんがお越しになりました」
「お通しして」
アズマは、黒地に灰色のストライプが入った、シンプルな浴衣だった。角帯をきっちり締めている。
「ほら、いつも言ってるナベさん。ナベさん、こいつオレの妹。カザミっての」
「破鍋東だ、よろしく」
「あ、は……よ、よろしくおねがいします」
お調子者のカザミも、一九〇センチ超えの大男には恐縮した。おどおどと頭を下げるカザミに、リョウはプッと噴き出した。
「だいじょーぶ、ナベさんって見た目ほど怖くないから」
「余計なことをいうな」
リョウの軽口っぷりに、カザミが目を丸くする。
「じゃ、そろそろ行こうか」
ちょうどいい時間になりつつある。
「ホタルさんも行きませんか?」
ホタルは相変わらず、地味な格好のままだ。
「いえ……私は人ごみが苦手なので……。それに――」
『おーい、ホタルぅー! ビール持ってきてー!』
リビングの外から、女性の呼ぶ声がした。
「……マスミさんのお手伝いもありますので」
ホタルが困ったように笑う。
「今の声が……もしかして、マスミとかいう人?」
「ええ。そのうち、紹介しますね。今は忙しそうですし」
『ねーはやくー! 冷やしたやつー!』
どう聞いてもビールの催促だ。
ナツキが苦笑する。
「じゃあ、ホタルさん。あとはお願いします」
「楽しんでいらしてください」
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ。……あ」
「どうしました?」
「父に、よろしくとお伝えください」
「わかりました」
四人は歩いて、八幡神社へ向かった。
赤い夕日に照らされた八幡神社は、大賑わいだった。
境内は石畳の道が本殿まで続く。その両脇に、屋台が所狭しと並んでいる。たこやき、金魚すくい、スーパーボールすくい、お面、くじ――見ているだけでわくわくする。
「あっ、ナツキさん。あそこにリンゴ飴がありますよ!」
「わあ、小さいリンゴもあるんですね」
ナツキとカザミは意気投合したらしく、並んで屋台をのぞいている。
「いやーきれーだなーかわいいなー」
リョウはナツキの仕草を見ては、目じりを下げている。
「そこまで言うなら、本人に直接言ったらどうだ?」
「うーん、それはナベさんが言ってあげたほうが」
「なぜ俺が」
ここまでは平穏だったのだが。
むこうから、人混みを押しのけて歩いてくる集団がある。この前、アズマを待ち伏せにして返り討ちにあったヤンキーたちだ。
「あ、こないだの!」
リョウが小声で言ったのと同時に、あちらのグループも気がついたらしい。まっすぐこちらへ歩いてくる。
アズマの眉がぎゅっと寄る。
「ナベさん、ここで騒ぎはまずいよ」
「下がっていろ」
アズマがリョウの前に立つ。
「テメエ……こないだはよくもやってくれたな!」
不良たちが大声を出す。人々が振り返り、立ち止まる。そそくさと通り過ぎる人もいる。
「先にしかけたのはそっちだ」
アズマの声は低かった。
「また、投げられたいか?」
八幡神社に合祀されている、小さな弁天神社を指差す。水神たる弁天社の周囲には池が掘られ、噴水が涼しげだ。
「な……っ、ナメんなテメエ!」
投げられた記憶が蘇ったのだろう。不良たちは一瞬たじろいで、そしてヒートアップした。
一触即発。お祭りのにぎやかさが、一気に静まり返って――。
「おー! 東坊じゃねーか!」
突然、場違いなほど陽気な声がかかった。
射的の屋台から、半被を着たオジサンが出てくる。不良たちはいきり立った。
「ンだ、オッサン! いきなり入ってくんじゃ……ね……」
不良の凄みが尻切れトンボになった。
オジサンの顔には、わかりやすい傷跡があった。そのオジサンにつられて、周りの店から出てきたほかのオジサンやニイサン方も、パンチパーマだったり、小指がなかったり、腕に気合いの入った刺青がチラついていたりする。
「おう、千香寺の坊主か!」
「元気だったか?」
「あ、どうもお久しぶりです」
「また見ないうちに、おーきくなったなあ! お、今日はお友達と一緒かい?」
オジサンはニコニコ、とってもフレンドリーだ。
アズマがリョウに紹介してくれる。
「えーと、こちら、ウチを菩提寺にしてくれてるご一家の須藤さん」
「あ、は、はい、はじめまして……」
とってもヤのつくご職業に見える。おまけにアズマと個人的に親しいように見えた。
「いやー東坊のおかげで、ウチの虎丸も元気さ。ミーちゃんは元気かい?」
「ええ、おかげさまで」
(しかもネコ下僕ネットワークつながり!)
リョウは戦慄した。
ネコ飼いの輪は、あらゆる立場を超える。アズマのネコ飼い知識は、リョウが教えた。その知識で、アズマはご一家のネコを助けたらしい。何というネットワーク。ああ素晴らしきネットワーク。
「で? こっちはお友達じゃあなさそうだけど」
「ええ」
ツクダ先輩はじめ、ヤンキーらが青ざめる。ニイサン方が、ヤンキーらを取り囲んだ。
「おい、兄ちゃん。東坊もこう言ってんだ」
「あいつがカタギなのは、俺らも保証する。変なインネンつけて遊ぶんじゃねーぞ」
「なんなら、あっちでみっちり説明しようか?」
「ひいい……」
蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。
さすがにマズイと思ったか、アズマがニイサンがたをなだめた。
「まだ何も起こってないんですから、いいですよ。帰してあげてください」
「まあ、東坊がそう言うんなら」
ニイサンがたが包囲網を解く。不良たちはからがら逃げ出した。
アズマは深々と頭を下げた。
「すみません、こんなことで」
「ハハハ、いーってことよ」
笑うオジサンは、大量の玩具や文房具をつりさげた屋台の店番らしい。
「今日はくじ引きなんですか」
「いつも世話になってから、タダでいいぜ」
アズマとリョウは好意に甘え、くじを引いた。
リョウはやたらでかい消しゴムを当てて、生温かい気持ちになった。
一方のアズマが当てたのは――。
「はい、五等のアクセサリー」
小さなブレスレットだった。明らかにプラスチックに見えるピンク色の石が、銀の鎖をはさみつつ等間隔で並んでいる。
「ナハハハ、兄ちゃんにはちょーっとかわいすぎるなー」
「ていうか、ナベさんの手首じゃサイズ的に厳しいかも」
アズマはじっとブレスレットを見つめる。
「おい」
「はい、アズマ君」
ナツキを呼び止め、アズマはぶっきらぼうにブレスレットを差し出した。
「ん」
「え?」
「受け取れ」
「あ……!」
ぱああああっと音がした――ような気がする。
ナツキは輝くばかりの笑顔で、ブレスレットを受け取る。
「ありがとう、アズマ君!」
ナツキはニッコニコで、ブレスレットを左の手首につけた。
「大切に、しますね」
「……安物だぞ」
「いいんです」
ナツキは愛おしげにブレスレットを右手で押さえた。
「だってアズマ君がくれたものですから」
ほほえましい二人を見ながら、カザミがリョウを小突いた。
「兄ちゃん、あの二人ってつきあってるの?」
「やっぱそう見えるよなー……」
はたから見れば、アズマとナツキはカップルにしか見えない。
「つきあってないの?」
「本人らはそう言ってる」
「へー、じゃあ兄ちゃんにもチャンスあり?」
「う、うーん、微妙……」
「天パだもんね〜」
「天パは関係ねーだろ!」
リョウはペン、とカザミをはたいた。
境内に風が吹く。濃い緑色の木々がざわめき、縁日の喧騒と重なった。
夜店の続く道を抜け、神を祀る本殿のあたりまで来る。
この神社は八幡神だけでなく、天照大神や稲荷も合祀されている。合祀された神々の小さな社が、本殿の横にいくつか並んでいる。
「稲荷、熊野、住吉、え、えーと読めない……」
「あれは庚申ですよ」
本殿にお参りして、社務所に向かう。お守りや絵馬を、巫女さんたちが売っている。
ナツキが、社務所の外にいた袴姿の中年男性に会釈した。
「こんばんは、速水のおじさん」
「おお! 竹葉のナツキちゃんじゃないか。アズマ君も。そっちもお友達かい?」
「はい。あ、おかまいなく。すぐお暇しますから」
「ゆっくりしていきなさい。神主の仕事はもう少しあとだから」
「あはは……」
ずいぶんテキトーな神主のようだ。
「ホタルはきちんとやってるか?」
「はい。いつもお世話になってます。おじさんによろしく、と」
「ふん。一人前になったなら、手土産のひとつも寄こせばいいのに」
どうやら神主はホタルの父親らしい。濃い顔立ちで、若者とは違うパワフルさがある。
神主はリョウの肩を叩くと、社務所の上にかかっている古い絵馬を指差した。
「君、知ってるかい? ここの神社は、義経の子孫が建てたといわれているんだ」
「えっ、義経?」
アズマとナツキが追っている、地獄の指名手配犯。
リョウはふと二人の顔を見た。けれども二人とも平然としている。
「そう、義経は奥州で果てたとされるが……それがここまで落ちのびてきて、死ぬまで暮らしたという伝説がある。この神社は、義経の子孫が建てたそうだ」
「えーそれって本当なんですか?」
カザミが無邪気に質問する。
「はは……しょせん伝説だよ。本当のことじゃない」
「あはは、ですよねぇ……」
曖昧にリョウは笑う。
「おじさん、わたしたちこれで失礼しますね」
「おお、ゆっくりしていってくれたまえ」
社務所を離れる。
リョウは小声でナツキに尋ねる。
「あ、あのさ、さっき義経の子孫がって言ってたけど」
「まぁ歴史的にいうと、この神社はもとは熊野権現を祀る神社だったんです。八幡神社はほかの場所にあったそうですよ。それが近代に入ってから、ここにまとめて祀られるようになったときに、八幡神をメインにしたみたいですね」
「ナツキさん、くわしーい!」
カザミが目を輝かせる。
「ふふ。あの速水のおじさんは、熊野社の神官の家柄なんですよ」
「えーっと熊野って?」
「あ、それは紀州の南の方のことです」
熊野は古書に紀伊国牟婁郡と呼ばれた、神の宿る土地だ。欝蒼とした山地が面積の八割を占め、何本もの川が大海に注ぐ。
「わたしのお家もアズマ君のお家も、ルーツはそこなんです」
イズルが先日言った「ゴーストバスターの家系」とはその熊野をルーツとする一族を指すのだろう。事情を知らないカザミの手前、ナツキはそこまで言わなかったが。
「ナベさん知ってた?」
「ああ。盆や正月に行くからな」
「ふーん、いいところ?」
「田舎だ。俺は好かん」
「ナベさんってば、身も蓋もないよね」
「海がとっても綺麗なんですよ」
「海! いいねぇ海!」
「わー海、行きたいなぁー」
楽しく笑いながら、参道を戻る。
また、ざあと風が吹いた。 |
三 |
その時、ナツキの携帯が鳴った。
「あれ、兄さんからですね」
邪魔にならないよう端に寄って、ナツキが電話に出る。
「はい? ええ、八幡神社ですけど」
「どうした?」
「今すぐ出ろって? まさか――」
ごう、と風が巻いた。
――同時に、あたりの様子が変わる。人々の動きが、まるで蝋人形のように固まる。落ち葉が、噴水が、土埃が、動きを止める。
「こ、この感じ……!」
リョウはあたりを見回した。
「おい、カザミ!」
カザミは固まっている。しかも、ふれようとしてもふれられない。水にさわっているような感覚しかしない。
「なんだこれ……?」
「プルガトリオです。プルガトリオ内の結界です!」
「こんな時にか!」
ナツキとアズマは、いつものように動いていた。どうやらこの三人だけが、この世界の中で動けるらしい。
「は、は、は、は」
「誰だ!?」
三人以外の笑い声がした。
本殿の前に、動く人影がある。
小柄で色白の男だった。容貌は流麗としかいいようのない優男だ。欠点を探すとすれば、やや口元が前に突き出ているところだろうか。侍烏帽子に、若竹のような緑色の直垂をつけている。出でたちが古風な以外は、いたって普通の人間に見えた。
「やはり、わしが見える者がおったか」
優男が笑う。
ナツキが顔色を変えた。
「馬鹿な! 神社に妖しき者が入りこんで、結界を作るなんて!」
優男が苦笑する。
「八幡社は、わが氏神ぞ。入れぬ道理はない」
「氏神? まさか……」
ナツキが呆然とつぶやく。
「源九郎判官……義経!」
今度は、優男の方が驚いたようだった。
「いかにも。わが名を存ずるとは、そちは誰ぞ?」
「義経ならば覚えているはず」
優男――義経はナツキの顔をまじまじと見つめ、そして目を細めた。
「ほおお……もしや、阿防羅刹が人に化けたか」
「口に気をつけなさい。天界・地獄双方の命を受け、人に転生した身の上です」
「何……ッ」
義経の整った顔が、獣のごとく歪んだ。しかしすぐに優男に戻る。一瞬だったが――本性が見えた気がした。
「命とは何ぞ?」
「あなたを捕え、地獄へ戻すこと」
「わしを連れ戻して何とする?」
「地獄の釜の蓋を、贖っていただきます」
「どのように?」
「それは神仏がお決めになること」
「おおかた、無間地獄で鉄を溶かす火の人柱にでもさせるつもりじゃろう?」
無間地獄とは、八大地獄の最下層である。もっとも罪の重い者が落ち、熾烈な責めを受ける場所だ。
「そは困る。わしは火柱なんぞなりとうない」
義経はしゃあしゃあと言ってのけた。
「よくもそんな……!」
「竹葉! 問答は無用だ」
「そうだぜ。あっちから出てきたなら、追う手間がなくなった!」
ナツキを制し、リョウとアズマが立ちはだかった。リョウは素魄王を抜き放ち、アズマは光の籠手を腕にまとわせている。
「ふふ、やはりこうなるのよぅ」
義経は優雅に笑い――そして手をかざした。
「弁慶、出でよ!」
突如、ナツキたちの足元に真っ赤な光の輪が生じる。
「ウオオオオオオッ!」
「キャアッ!」
輪から、巨漢が飛び出してきた。ナツキたちはあわてて距離を取る。
巨漢が、石畳の道に降り立つ。墨染の衣に胴鎧をまとった僧兵姿で、背には七種類の武具を負う。浅黒い肌に、爛々と輝く瞳をしている。
「あれは、武蔵坊弁慶!」
弁慶は薙刀を抜き、構えた。その気迫は、先日のバケモノなどとはまったく違う。
ナツキらも構える。
「面倒です、一気に決着を――」
「竹葉! 必要以上にまわりを破壊するな!」
「あ……わかりました、アズマ君!」
いくらふれられなくても、プルガトリオでの動きが人間界にどう影響するかはわからない。派手な術は使えなかった。
「オオオッ!」
薙刀が三人を狙う。アズマとリョウは後退して避ける。一方、ナツキは弁慶の足のあいだをすり抜けた。
「ハッ!」
しなやかに飛ぶ。弁慶が背に負った、笈に舞い降りた。
「ムウッ!?」
「アズマ君!」
「おう!」
ナツキは弁慶の武具から刺叉を引き抜き、アズマに投げる。
弁慶はナツキをつかまえようとしたが、一足早くナツキは逃れた。
「デカブツ、こっちだ!」
アズマが刺叉を突きこむ。
弁慶は薙刀では不利と見て、大槌に武器を変える。打ちおろされた槌の衝撃に、刺叉の刃先が折れた。
「くっ!」
アズマは刺叉を放棄する。踏み込んで弁慶の腕をからめとる。
大男二人が、真正面から取っ組みあった。
「ぐうう……」
「ウウウ……」
筋肉が盛り上がり、うなり声が漏れる。
アズマは下駄の爪先で弁慶のすねを蹴りつけた。ひるんだところを思い切り投げ飛ばす。
「ムウウ……」
「弁慶、もうよいぞ!」
弁慶はあっさり退いて義経のそばに立つ。
義経は手に巻物を持っている。それをかざし、唱える。
「南無や梵天帝釈、四大天王、日輪月輪、総じては氏神正八幡、願わくば我が敵を退けたまへ――藍風毘藍風」
ごう、と突風が吹いた。
「ぐわっ!」
「きゃあ!」
「わあっ!?」
三人は吹き飛ばされる。空き缶のように転がり、踏ん張ることもできない。
「うう……」
「二人とも、どうしたの!?」
風が止まっても、アズマとナツキは立ち上がれなかった。
「か……体がしびれて、動きません」
「は、は、は、は。やはり転生しても、鬼は鬼ということか」
義経が愉快そうに笑った。
「失せよ、鬼ども――藍風毘藍風!」
「――!」
リョウはとっさにアズマとナツキの前に立ち、刀をかざした。
「――む?」
義経が眉をひそめた。
風が割れた。リョウのかざした素魄王が、風を斬って左右に流している。
「うううう……!」
リョウは額に汗をにじませた。すさまじい風圧が刀を押す。それでもリョウは、アズマたちを守ろうと踏んばる。
「うおおおおっ!」
渾身の力をこめて、刀を振り下ろす。風の力が霧散した。
「はあ、はあ、はあ」
「リョウくん……」
アズマたちがようやく立ち上がる。
「弁慶、時をかせげ!」
義経が命令する。
「リョウ、俺が相手をする! 義経を!」
「リョウ君、すこしだけ時間をください!」
「ああ!」
リョウとアズマが前に出る。リョウが弁慶の攻撃をかわし、アズマが受ける。
リョウは義経に迫った。刀を振るう。
弁慶の横を抜け、リョウは義経に肉薄した。
義経は平然としていた。巻物を広げている。
「覚悟ッ!」
リョウは霊刀・素魄王を振り下ろした。
バチン!
「なっ!?」
素魄王が阻まれた。
(バ、バリア!?)
義経の周囲に視えない壁のようなものがあり、それが斬撃を阻んでいた。
「くそっ!」
リョウはちらりとうしろを見る。アズマとナツキは弁慶にかかりきりになっており、手助けは望めそうになかった。
(なんとかして、これを……!)
義経のバリアを解かねば、勝ち目はない。
けれども、平然と巻物を読む義経の様子からすると、刀で斬りつけた程度では破れないのかもしれない。
「おい、そこのチビ!」
リョウは数歩下がって、義経にむかって怒鳴った。
しかし義経は視線を落としたまま見向きもせず、巻物をたぐっている。今一つ意味が通じていないのかもしれない。
「おいそこの……ちっさいの!」
「……何?」
義経が手を止めた。
「今、小さいと申したか?」
「おー言ったとも! 大男の影に隠れてコソコソしやがって!」
どうやら小柄なのが義経のコンプレックスらしい。
リョウはここぞとばかりに挑発する。
「小さいなら小さいなりにやってみせろ! バリアなんかしやがって、卑怯者!」
「小さい……などと……」
義経の肩が震える。広げかけた巻物を左右から巻き戻し、懐に戻す。
「小さいなどと言うな! ちぢれ毛の小童め!」
「ちぢれ毛いうな!」
おたがいのコンプレックスを刺激されて、火がついた。
義経が抜刀する。同時に彼の周囲から、視えない壁が消える。
「ハアッ!」
刀がぶつかり合う。火花が散った。
「くっ」
義経は間合いを取り、懐に手を突っこんだ。巻物を取り出し、広げようとする。
リョウは一気にその距離をつめた。
「たああッ!」
「ッ!」
リョウは義経の手元に刃を振り下ろした。
巻物が断ち切られ、左半分が地面に落ちた。それを拾おうと、義経に一瞬スキができる。
「させるか!」
リョウはタックルした。小柄な義経が吹っ飛ぶ。
「南無帰命頂礼熊野三所大権現! 我呼召叫喚地獄第三別所――髪火流!」
このタイミングで、ナツキが呪文をとなえた。
地面から熱風が吹き出し、黒いオオカミが姿を現す。その爪は赤く燃える熱鉄でできており、口から炎を吐いている。
「行きなさい!」
地獄のオオカミたちは吠え声を上げ、義経や弁慶に飛びかかった。
「く……!」
義経はひらりひらりとその攻撃を躱すが、徐々に追い詰められていく。
「弁慶! 退くぞ!」
その声とともに、風が吹いた。熱い風が義経らの姿をかすめる。
義経らは消えた。
「ふう……」
リョウは力を抜いた。素魄王の刀身が消え、ストラップに戻る。
地面に落ちた巻物の一部を、リョウは拾い上げた。
「これは……?」
漢文で書かれていて読めない。
「テンパリ、大丈夫か!」
「うん、何とか」
「リョウ君、助かりました」
それぞれに術を納めた二人が駆け寄ってくる。
「ツキさん、これ……」
リョウは巻物をナツキに渡す。
「どうやらこれが、義経の切り札のようですね」
「これ、何なの?」
「話はあとです。結界が切れます!」
ナツキは袖に巻物を入れる。
その瞬間、ブワッと空気が変わった。
「きゃ――――!」
「うわわっ!」
あたりに悲鳴が満ちた。
世界の時間が正常に戻り、プルガトリオの影響が現れる。突風のようなものが吹き荒れ、あたりのものが巻き上げられて落ちてくる。
屋台のいくつかは、屋根がつぶれた。山積みになっていたベビーカステラが飛び散る。スーパーボールを入れた水槽がひっくり返る。水を浴びて狼狽した店番が、ボールに足を取られてすっ転んだ。
結局、祭はメチャクチャになった。救急車が何台もかけつけ、警察も出動した。
リョウたちは真相を知っていたが、無論、話すわけにはいかない。怪我だけ診てもらって、そそくさと帰宅した。 |
四 |
翌朝。朝食の準備をしながら、リョウはニュースを見ていた。日曜日なので、ゆっくり準備しても大丈夫だ。
「祭で突風……重軽傷者二十七名」
あの騒動は、全国ニュースにはならなかった。地域ごとに放送されるローカルニュースの時間に、短く報道されただけだった。原因は突風ということだった。
「まあ、ホントのこと言ったって、誰も信じないよなー」
リョウは新聞を広げた。三面記事の下のほうに、昨日の騒動が小さく載っている。
「あ、兄ちゃん珍しいねー新聞なんか読んで」
「たまにはね。ほら、昨日のこと、載ってるぜ」
「え、ホント!?」
ニュース好きのカザミは、キラキラした顔で新聞を奪う。
「ほら、あとにして。朝メシにするぞー」
リョウは紅茶を口にした。
新聞をたたんだカザミが、ハムをつつきながら首をかしげる。
「それにしても不思議だったなー」
「何が?」
「あの時、何か影みたいなのがいっぱい動いてた気がするんだけど」
「ブフッ!」
リョウは思わず茶を噴いた。
「ど、どうしたの?」
「い、いや、お茶が予想外に熱かったから!」
「もー気をつけてよー?」
カザミにはプルガトリオで起こったことが見えていた?
そうとしか思えない。プルガトリオと人間界は時間の流れが違うので、何が起こっていたのかまではわからなかったのだろうが。
「突風ねー、そんな気しないんだけど」
「い、いや、突風でしょ!?」
「そうかなあ……」
「そうそう。怪我がなくてよかったよ。それより、何飲む? グレープフルーツジュース、もうすぐ切れるから買いに行かないとな!」
「あ、そうだね。牛乳ももうすぐなくなるし……兄ちゃん、一緒に買い物行ってよ」
「うんうん、行くよ。行きます」
何とか誤魔化せた。
リョウはホッとしながら、ゆっくり紅茶を飲んだ。
(そういや、オレはプルガトリオに入れるし……もしかしてカザミも)
そこまで考えて――心の中で首を横に振った。
(いや、そんなわけない)
出かかった考えを抑えるように、リョウはトーストにかじりついた。
「あ、そーだ。兄ちゃん、今度コレにもつきあってよ」
カザミが、一枚のチラシを出してきた。
薄い光沢紙に、仏像や古そうな絵が印刷されている。展覧会のチラシだった。
「市立博物館、中世の秘宝展? なんじゃこりゃ」
「見に行ってレポート書くのが夏休みの宿題なのー。ねえ一緒に行こうよー!」
「えーオレの宿題じゃないし!」
「おーねーがーいー! ねえお兄様ぁー」
「気持ち悪い呼び方すんな! わかったよ!」
「やったー」
何だかんだでつきあってしまう。リョウはけっこう、カザミを甘やかしている。
「いつ行く?」
「んーまあ予定のない日に」
食器を片づけ、軽く掃除をし、ネコのトイレを手入れをする。
二人暮らしでも、家事をしないと家の中はあっという間にぐちゃぐちゃになる。出かける準備をする。
「オレ、友達ン家に出かけてくるから」
「買い物はー?」
「夕方でいいだろ? それまでには多分帰ってくるから」
「はーい。携帯は持ってってねー」
「あいよー」
リョウは家を出た。今日もうだるような暑さだ。太陽のまぶしさに目を細め、アスファルトの熱を感じながら、自転車に乗った。
今日の午前中は、竹葉家に招かれている。
|
五 |
「こんにちはー」
「はい。あ……木曽路さん」
ホタルに出迎えられた。
「イズルさんがお待ちです。こちらへ」
今日は「トレーニング」という名目で、イズルに呼ばれている。もちろん、アズマらとともに戦う、ゴーストバスターとしてのトレーニングだ。
「えーと、ツキさんは?」
「アズマさんのところへ。今日こそトレーニングに参加してもらえるよう説得すると……」
「うーん、ナベさんが来るとは思えないけど」
自分の生活を最優先する、と豪語するアズマだ。ナツキの言うことは聞かないだろう。
「ナツキさんも粘り強いというか……」
「まあ、ナベさんならトレーニングなんていらない気がするけど」
「や、いらっしゃい」
イズルは半袖のTシャツと、紺色のスウェットだった。
「トレーニングの前にさ、聞いておきたいことがいくつかあるんだ〜」
イズルは、先日の八幡神社での騒動を聞きたがった。
リョウはなるべく細かいところまで思い出して話した。
「なるほど、突風を刀で、ねぇ」
「驚きました。この刀がなかったら、どうなっていたか……」
「……それは刀の力じゃないかもよ」
「え?」
「この前、ツキちゃんたちの前世と使命の話はしたね?」
「ええ」
「その話には続きがある。義経は地獄を逃げ出すときにいろいろ持ち出したらしくってね、その中に〈大日の法〉という巻物があるらしい」
「巻物?」
「もとは北方の鬼神が持っていた呪術書でね。それには、鬼を退ける秘法が記されているという。人間相手でも有効らしいけど」
「あ……」
義経は巻物をかざし、呪文を唱えて風を起こした。リョウは転がっただけで済んだが、アズマたちはしばらく起き上がれなかった。おそらくあの風は、〈大日の法〉によって起こされたのだろう。
「義経討伐には、鬼を差し向けただけじゃダメだ……っていうんで、もう一人、転生することになった。義経……清和源氏の血統で、たしかな武と強い霊力を持った武士らしい」
「まるで直接聞いたように話しますね」
「うふ、僕は占い師なんだ」
イズルは古びた箱を取り出した。中には黒くて短い棒が、何本も入っている。
「黒いジェンガ?」
「違うよ〜。これは算木といってね、もとは計算道具なんだけど……僕はこれを使う」
今の話は、占いで出たらしい。
「すごく具体的ですね」
「占いは神意を探る技術でもあるからね〜」
イズルはえへらえへらと笑う。すごいことを言っている気がするが、彼の態度がそれを感じさせない。
「この話、もうすこしあとにしようと思ってたんだけど……先に義経と接触しちゃったしね。話しておくよ。君は、その武士だ。戦う運命を背負った戦士だ」
「オレが……運命の戦士」
リョウは胸が高鳴った。まったく実感はないが、自分もヒーローの一人なのだ。
「どうか、ツキちゃんたちを守って」
「え……」
「君の話を聞くかぎり、〈大日の法〉には今のツキちゃんたちでもかなわないらしい」
ただリョウだけが対抗しえる。〈大日の法〉を退け、義経討伐のチャンスを生めるのはリョウだけだ。
「オレにできることなら、何だって!」
「心強いね。じゃ、トレーニングはじめようか」
これまただだっぴろい板敷の部屋に案内された。家具類は一切なく、壁もシンプルだ。これで「誠心」と書いた額でもあれば、道場と呼べるだろう。
「いらっしゃい、リョウ君」
イズルは半袖のTシャツと、紺色のスウェットだった。
「んじゃーまずはこれ着てみて」
イズルが真新しいバッグから、黒い服を出す。上下に分かれているが、全体のシルエットはウェットスーツに似ている。胸元には、雫型の宝珠を無数の鳥が囲むマークがある。
「何ですか、これ?」
「我が一族で使ってる、ゴーストバスターのための特殊スーツだよー。衝撃を吸収して、ダメージを少なくするの。ツキちゃんも着てたでしょ? あれと同じ」
初めてバケモノと遭った夜、ナツキが着ていたボディスーツ。それと同じだという。
「おおっあのスーツ!」
「もちろん、呪力系対策もばっちり。小魔物ならこれだけで弾きとばせるよ」
「すっげー……」
「一度着てみてよ。サイズのこともあるしさ」
「あっちの部屋を使って」といわれた小部屋に入り、リョウは着替えた。小部屋にあった鏡に全身を映す。意外にキマっている気がする。
「暑いけど……カッコいいー」
いよいよヒーローっぽくなってきた。
「着てきました!」
「おー、似合ってるよ〜」
「へへ……そういえば、このマークは何ですか?」
胸元のマークを示す。
「それはカラスと宝珠を組み合わせたマークさ。僕らは烏宝印と呼んでる。僕らの一族は紀伊国南部の熊野という場所がルーツでね。そこの神仏の御使いはカラスとされてるんだ」
「へえー」
都会の害鳥、不吉な鳥と思われがちなカラスだが、彼らにとってはシンボルなのだ。
「いやあ、似合ってるねー。立派な熊野党の一員だ」
「党って、民自党とか主在党とかですか……?」
「それは政党。そうじゃなくて、党っていうのは、血縁的・地域的に結合した仲間ってこと」
さまざまな立場、年齢、性別の仲間がいる。そういう意味をこめて、今も彼らはみずからをそう呼ぶのだという。
「ま、秘密の言い方だけどね〜」
「秘密……かっこいー」
リョウはゾクゾクと武者震いする。
「じゃ、トレーニングを始めるけど」
「どっからでも大丈夫です!」
リョウはぐっと胸をそらした。
このスーツの丈夫さは、ナツキの時にわかっている。ビルの屋上から飛び降りても、ナツキは傷ひとつ負わなかった。衝撃吸収の能力は折り紙つきだろう。
「え、いいの?」
「ドンと来てください!」
「じゃあ軽く行くよー腹筋締めてね」
「はいっ!」
ズパーン!
イズルは掌底でリョウの腹を打った。
「おっぐ……!」
リョウは声も出ず床に転がった。声にならない悲鳴を上げながら悶絶する。
「あーあー話は最後まで聞きなさい。普通はこっちのプロテクターも上に着けるの」
イズルが別のバッグから、スーツと同じ色のプロテクターを取り出す。胸や肩などを保護する防具だ。胸には烏宝印がついている。
「さすがに物理的な打撃はこれで受けないと。ツキちゃんたちはその本質は鬼、もとから体が頑丈だから着けなくても平気だけどね」
「そ、それをはやく言ってください……!」
「防具ったって絶対じゃないんだから、気をつけてよ?」
「肝に銘じます……」
それからは、ストレッチや基本的な体術を教えられた。
「じゃ、体もあったまってきたところでー」
木刀を渡された。
「ホントはホンモノでやった方がいいけど、危ないからね」
たがいに構える。
リョウは落ち着いていた。刀を握った瞬間、すう、と気持ちが鎮まった。目の前に立つイズルがはっきり見える。
「ハァッ!」
イズルが踏み込む。リョウが受ける。
何も考えていないのに、腕は的確に斬撃を受け、足が間合いをはかる。リョウの動きは、熟練の剣士そのものだった。
「君、武術とかしたことないの?」
「はい、全然」
「すごいねぇ。よほど腕のいい武士だったと見える」
ニコリと笑ったイズルが、すかさず下から斬り上げた。
「体は思い出してるんだよ、きっと!」
「うおっ!」
「いずれ、思い出すかもしれないね。前世と因縁を」
イズルは楽しそうに次の一撃を繰り出す。
十数合渡りあっただろうか。イズルが構えを解き、壁の時計を見上げる。
「ふう……時間になったし、そろそろ終わろうか」
「はい……ありがとうございました……」
道場はクーラーが軽く入っていたが、さすがに汗だくだ。
「シャワー使ってくれていいよー」
ありがたい許可をもらえた。
「シャワー浴びたら、下着のまま待っててくれるかな?」
「え? あ、はい」
ホタルに案内されて、リョウはバスルームに入った。
「タオルはそちらのをお使いください。もとの服は、こちらに置いておきますので」
ここへ来るときに着ていた服を、ホタルは丁寧に置いた。
「えっと、このスーツは」
「脱いだらそちらのカゴへ。こちらで預かりますので」
低めの温度のシャワーを浴びる。汗が流れて気持ちがいい。
リョウは全身をトレーニングで強く打ったところが青アザになっている。すりきれているところもある。
「けっこー細かく怪我してるなぁ……」
実戦ではもっと気を引き締めていかないと。
バスルームを出て、バスタオルで体を拭く。
「うわ、いい洗剤使ってる」
タオルからただようフローラルな香りに、思わず驚く。庶民的な自分に気づいて、リョウはため息をついた。
「……下着で待っとけって言われたけど……」
とりあえず、脱衣所にあった籐の椅子に座る。
「はーい、往診でーす」
「うえっ!?」
いきなり、女性が入ってきた。
歳は二十代後半、切れ目とつり上がった眉の美人だ。ピンク色のキャミソールに、赤いホットパンツ。長い腕と脚を惜しげもなくさらしたファッションだ。日焼けした右の太ももには、白のトライバルタトゥーが入っている。こんな街中ではなく、東南アジアのビーチにでもいそうなタイプだ。
女性はリョウを上から下まで、なめるようにジックリ観察する。
「あ、あのー……」
何となく恥ずかしい。リョウはバスタオルを手に取り、体に巻いた。
「ふーん、アンタが新しい戦士なの」
「あ、あなたは?」
「ああ、初対面だっけ。アタシ、華倍美。このウチに居候してる美人薬師」
自分で美人と言い放つ。たしかに、ハイビスカスに似たあざやかな美貌とセクシーさだ。
「トレーニングの治療をするから、そのまま座ってて」
マスミは小さな壺を取り出した。蓋を開けると、ツンとした臭いがする。薄緑色のペーストが入っている。
「こ、これは?」
「河童の傷薬」
「か、河童ぁ?」
「……を再現した万能傷薬」
マスミは無造作にペーストを指ですくうと、いきなりリョウの打ち身にすりこんだ。
「うわっちょっと……え?」
冷たいペーストが塗り広げられると、青黒く変色していた皮膚がもとの色に戻っていく。
「な、治ってる!」
マスミは次々と傷に薬を塗っていく。切り傷、すり傷もあっという間に治癒する。
「その薬、本当に河童の……?」
河童の傷薬とは、民間伝承に登場する薬である。河童を助けたり捕えたりした対価として、河童が人に譲るという。この秘伝の薬で、薬屋として成功した家もあるという。
けれどもそれは伝説であり、身も蓋もない言い方をすれば、ウソである。
――と日本史教師が言っていたのを、リョウは思い出していた。
だが目の前の事実は、それを吹き飛ばした。伝説の万能薬はあったのだ!
「そ、それどうやって手に入れたんですか?」
「ふふん。このアタシの手にかかれば、どんな霊薬妙薬も再現できるわよ」
「あなたは一体……」
「ヒミツを共有してくれるなら、言ってもいいけどぉ?」
マスミは無造作に壺を置くと、リョウの隣に座った。
「若いっていいわねぇ。張りつめてておいしそう……」
「は、華さん」
「マスミ、でいいわよ。ねえ……?」
マスミは、ぐぅっと顔を近づける。ぽってりと厚い唇を舐め、しなを作る。リョウのウェーブのかかった髪をなでる。
「セクシーな髪……。アナタ、恋をしたことはあるぅ?」
「いえ、そ、それは……」
「なら、アタシとどう? 手とり足とり……」
細い手が、リョウの胸に沿う。マスミはリョウのバスタオルに手をかけ、ゆっくり手を滑らせる。白いタオルははらりと落ちる。
「ああ、何てたくましい体……」
「ま、マスミさん……!」
「そう、手とり足とり、ココもとって愛し抜いちゃうわよ?」
両足の間に、軽く軽くふれる。リョウは真っ赤になった。
ガラッ!
「……マスミさん!」
怒鳴り声とともに、ホタルが入ってきた。
「あまりお客様の迷惑になるようなことは……!」
「何よぉ、いいじゃない。うるさい人ねぇ」
ホタルを睨んだその瞳をすぐ笑みに戻し、マスミはホタルを指差す。
「気をつけなさい。あーゆーのは、男を知ると、とんでもない悪女になるのよぉ?」
マスミは意地の悪い笑みを浮かべた。ホタルは反論せず、ただうつむく。
リョウはムッとして、マスミの横を立った。ホタルをかばうように立ちはだかる。
「そういう言い方はないでしょう!」
「木曽路さん……」
「フフッ、ムキになっちゃって」
マスミは小馬鹿にしたように笑う。リョウはカッと頭に血が昇る。
その険悪な空気を割るように、イズルがやってきた。
「はーい、そこまで。マスミさん、あまりリョウ君をからかわないであげてください」
「ふん、つまんないの」
マスミはリョウから興味を失ったようだ。アッサリ立ち上がり、脱衣所を出ていく。
「それと、あまり夜遊びはしないでくださいね」
その背中に、イズルが呼びかける。
「アタシの勝手よ」
「せめて携帯を持ってほしいんですけど」
「えーやだ。操作わかんない」
「連絡がいつでもつくようにしてほしいですけどねぇ」
「大丈夫。アンタらが約束を守るかぎり、アタシだってアンタらを裏切らないわよ」
手をひらひら振って、ホタルは二階へ上がっていった。
「やれやれ……。ごめんね、リョウ君。あの人、いっつもあんな感じで」
「いえ……」
そういえば、治療のお礼を忘れた。
「んじゃ、今日はここまで。これからどうするの?」
「午後からはナベさんと出かける約束があって」
「あそー。じゃ、アズマ君も呼んで、ご飯食べてきなよ」
「え、いいんですか?」
「いーよいーよ。じゃ〜、悪いけどアズマ君とツキちゃん、呼んできてくれるかな?」
そういえば、この時間になっても二人は現れなかった。ナツキは説得に失敗したのだろう。
「えーと、二人は今どこに」
「お隣ー。勝手はわかるよね?」
「あ、はい」
何度か訪ねたことがあるので、
庭を回りこみ、住宅部分の東側に向かう。そこの縁側のある部屋が、アズマの居室だ。
「おーい、ナベさーん……」
呼びかけながら、リョウは植え込みからひょいと様子をうかがう。
「あ――――っ!」
リョウは悲鳴のような叫び声を上げた。
陽がかげり、すこしだけ涼しくなった縁側。どぎついピンクのシロップがわずかに残るガラスの器が置かれている。かき氷でも入れていたのだろう。
アズマがナツキの膝枕で横になっていた。
「ななな何やってんだよー!」
「ん?」
「あ、リョウ君。こんにちは」
二人もリョウに気づいたが、体勢はそのままだ。
ちりん、と風鈴が鳴る。
「何か用か?」
「そう用事、お昼ごはん一緒に……ってそんなことはどうでもいい! 二人、付き合ってないなんてウソだろー! ホントは付き合ってんだろー!」
アズマは怪訝そうに眉をしかめ、体を起こした。
「付き合ってなどおらん、と何度言えばわかるんだ」
「嘘つけっ! 付き合ってないのに膝枕なんかするかっ!」
「これはわたしが好きなので……小さい頃から、ずっとしてますよ?」
「いっそもげろよ!」
「何がだ」
「ナニがだ!」
「落ち着け、リョウ」
「も――! 何なんだよもー! もー結婚しちゃえよ――っ!」
「何をわめいてるんだ。落ち着かんか」
「け、結婚なんて、そんな……まだ早いと思います」
ナツキがぽっと頬を赤らめる。
「駄目だこいつら……」
天然にはかなわない。けれどもここでメゲたら負けのような気がする。
「男女七つにして同席せずといってだなー!」
「あ、それこのあいだ長井先生が話してましたね」
「二十分もしゃべってたな」
「そうそう、長井ってば名前の通り話が長いよね……じゃなくて!」
それからしばし、リョウの説教とアズマらの的外れな返事が繰り返された。
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