×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。



山賤 以鉄砲 殺山猫語 第一
(やまがつ、てつはうをもってやまねこをころしたること、だいいち)



 昔々、西國のとある山の中に、男が住んでいた。
 名を、仙八といった。もっぱら、鉄砲で山の獣を撃つことを生業としている。妻はなく、老いた母も、既に鬼籍の人――つまり、死んでいる。
 しかし、仙八には共に暮らすものがいた。老猫と、その子の猫である。
 一体、いつごろから飼い出したか、よく覚えていない。当然だ。人ひとりきりの生活では、日々が過ぎることも、一年が巡ることも、いつのまにか自分の上を滑っていって、数えたことがない。気が付けば、その季節に合った動物を追い、季節に合った飯を食っている。
 それが、仙八という男の人生だった。


 その日も、仙八は狩りに使う弾を作っていた。
 溶かした鉛を鋳型に入れ、固める。出来た弾は、いつも木の台に並べていた。
「こら、それで遊ぶんじゃない」
 仙八は、老猫に言った。この猫は、いつもそうなのだ。弾が出来ると、その老いた爪先で、玩ぼうとする。全ての弾に軽く触れては、手を引っ込める。いつも、そうしていた。
 子猫に、その癖は無かった。
 仙八は、何とはなしに老猫の頭を撫でた。ごわり、とした感触が返ってくる。
 随分と、歳を取ったと思う。長く、共に暮らしてきたと思う。猫の頭をなで、話しかけるときだけ、仙八は己の生きてきた時間に想いを馳せるのだった。





 ある日、仙八は獲物を里で売りに行った。
 久方ぶりに、山を下りた気がする。顔見知りの里人が、驚いた顔をしていた。しかし、里人は仙八を久しぶりに見た故に驚いたのではなく――何か別のことで驚いていたようだ。
「化物が、近隣の山に出る」
 そう、告げられた。
 俄かには、信じられなかった。自分が猟をする山には、そんな気配は微塵も無かったからだ。
 しかし、里人は興奮気味に語った。猟師や木こりが、もう何人もやられていると。
「お前さんの腕がエエのは、誰でも知っとる。じゃが、いつかは……」
 いつかは、己も喰い殺されるというのか。
 しかし、仙八の帰る場所は、仙八の家しか無い。あの山の中の、傾いた家が、帰る場所だ。
 仙八は里人が止めるのをあしらって、山へと帰っていった。


 随分と、遅くなった気がする。陽が傾いて、あたりは茜色に染まっていた。
 逢魔が時。
 山賤の彼が、そんな言葉を知っていたかはわからない。しかし、この赤い世界は、人に夜の懐かしさと恐ろしさを思い出させる。
 陽が暮れる前に、家に着こう。そう思って、足を速めた。

 ふいに、後ろに気配を感じた。
 振り返る。誰も居ない。赤く染まった木々が、さざめきという無言を返してくる。
「もし……」
 声に、仙八は勢いよく振り返った。耳元で、風の切れる音がした。

 地蔵。苔むした横顔。
 その隣に、女がいた。

 黄昏の中、女は若いように見えた。しかし、そうでもない気がする。しかし、見たことのない顔であるのは確かだった。
「仙八さま、でいらっしゃいますね?」
 確認するようでいながら、確信の籠もった声だった。
 仙八は、警戒しながらも「そうだ」と答えた。
「化物が……あなたさまの首を、狙うとります」
 女の言葉は、単刀直入そのものだった。
 仙八は面食らった。そして、様々な考えが頭の中を駆け巡る。
 この女は誰だ。何故、この女がそんなことを知っているのか。この女こそ、その化物ではないのか。
「化物は、弾の数を知っとりましょう」
 仙八の当惑も知らず、女は告げた。
「隠し弾を、そぅと持ちなさいませ」
 慣れぬ、しかし知っている単語に、仙八は更に怪訝そうな顔をした。
 隠し弾とは、「南無阿弥陀仏」の文字を刻んだ、霊験あらたかな弾丸のことだ。これで倒せぬ化物は無いという。
 しかし、隠し弾を使った時、猟師はそれを最後の弾丸とせねばならない。二度と、鉄砲を握ってはならない。そういう、定めなのだ。
 猟師としての生に、幕引く弾なのである。
「誰にも、誰にも知られんように」
 女は、念を押した。騙そう、謀ろうというような、声では無かった。妙に、迫力があった。

 気が付くと、仙八は地蔵の前で一人立っていた。
 あたりを見回す。しかし、大分濃くなった茜色だけが、視界に入った。
 鉛を流し込まれたような気分で、仙八は家に帰っていった。





 翌日。
 仙八は、山に出ていた。いつもの猟だった。
 前の晩には、いつもの様に、鉛玉を鋳ている。老猫がじゃれついてくるのも、いつものことだった。

 しかし、今日は鹿や兎を撃つ気には、なれなかった。

 化物

 女が告げた単語が、胸の内で渦巻いている。
 里人たちの話は、本当だったのか。俺は襲われるのか。
 恐ろしい考えと共に、自分の中の矜持が浮かんでくる。
 ずっとずっと、腕のいい猟師だと言われてきた。自分でも、時々そう思ってしまうことがある。
 ならば、化物。この鉄砲で、撃ち殺してやる。

 そう、考えていると。

 カサリ、と藪が揺れた。
 胸の痛くなるような、叫び。大鷹の如き爪が、飛び出してきた。

 山猫――!

 まるで、藪の塊だ。大きい。
 山猫は俊敏な動きで地面に降り立つと、仙八に向き直った。仙八もまた、毛のかしらも太る気分を押さえつけ、鉄砲を構えた。
 銃声。一つ、二つ、三つ。当たらない。山猫の動きは、どんな山鳥や猿にも勝った。素早い。
 鋭い牙、爪。ぎょろぎょろした眼に見据えられると、こちらは目を閉じたくなった。
 また、銃声。四つ、五つ。しかし、また躱されてしまう。

 距離を取った山猫が、まるで嗤っているように感じた。
 化物は。
 我が弾の数を、知っている。弾切れを、狙っている。
 だから、今は攻撃してこない。ひたすら、弾を躱すだけなのだ。

 仙八の背中に、ぞくりとした感覚が植え付けられた。胸が高鳴る。不安と恐怖で、今にも心の臓がはち切れそうだ。鉛の弾丸は、残り二つ。この二つを撃ったら、あの山猫は、迷うことなく、この咽喉を引き裂きに来るだろう。
 震える腕を押さえつけ、仙八は引き金を引いた。六つ、そして七つ目の銃声。

 弾は、当たらなかった。
 刹那、勝ち誇ったような咆哮が山中に響き渡る。山猫が、吠えたのだ。仙八は、逃げた。木と藪だらけの斜面を、仙八は転がるように逃げた。
 追い詰められた。山猫は、仙八が恐怖するのを楽しんでいるようだった。仙八は、がっくりと肩を落とした。死を覚悟したように、立ちすくむ。
 山猫は、嘲笑うように仙八を睨むと、ゆっくりと身構え――そして、飛び掛ってきた。

 その瞬間。
 仙八は、鉄砲を構えた。震えは、止まっていた。

「南無阿弥陀仏」
 引き金を引いた瞬間、仙八はそう呟いていた。
 
 銃声。
 次の刹那、山中に山猫の咆哮が響き渡った。思いがけぬ痛みへの、叫びだった。血を撒き散らして、山猫はのたうちまわる。そして、仙八に背を向けて、逃げ出そうとした。藪に飛び込み――そう遠くへ行かないうちに、その気配が消えた。
「やった……」
 仙八は、思わず呟いていた。勝った、ということよりも、呆然とした気分の方が強かった。
 「南無阿弥陀仏」の刻まれた、隠し弾。それを、山猫は受けたのだ。
 本当ならば、今すぐにでも、逃げ帰りたかった。だが、山猫が死んだことを確かめねば、禍いは続く。血の跡が、転々と続く藪に、仙八は足を踏み入れた。


 何歩、歩いただろう。
 ふと、草の途切れた場所が見えた。
 何を見ても驚かない覚悟ではあったが、仙八は目を見張った。

 血溜まり。そして、獣の死骸。
 老猫。
 死んでいたのは、共に暮らしていた、あの老猫だった。胸を確かに撃ち抜かれ、絶命している。しかし、それ以上に、仙八は驚いていた。老猫の死骸を、膝に乗せるものがあったのだ。
 あの女だった。女は、泣いていた。
「哀しや、哀しやなぁ」
 咽喉を引き絞るごとき声で、女は泣いていた。
「悪鬼魍魎に堕落せしといへども、我が母や……」
 涙は、うっすらと女の頬に滲んでいるだけだった。
 しかし、女は胸の張り裂けそうな声で、泣き叫んでいた。
「哀しや……」
 女は、立ち上がった。
 両手に、老猫の死骸を戴く。着物の胸や太股に、べったりと血糊が着いていた。女は、仙八に何も言わず、背を向けた。否、はじめから気が付いていなかったのかもしれない。
 女はそのまま、人の入れぬ藪の中へと消えていった。
 風のように、音も無く。

 仙八は、全てが終わったことを悟った。


 家に、帰り着いた。
 戸を、開けた。いつもと同じ、匂いがした。けれども、命の気配は、自分ひとりだけだった。
 その日、仙八はいつまでも起きていた。猫たちが帰ってくるのを、待っていたのかもしれない。
「…………」
 どうでもいい考えばかりが、浮かんでくる。
 もう、人が襲われることはない。里人が聞いたら、大喜びして自分を勇者と讃えるだろう。
 しかし。
 己が、話しかけるものはもう誰も居ない。鉄砲も、取ることはない。

 気が付くと、仙八は、泣いていた。

 一体、何年ぶりであろう。この胸の痛みは。
 何が悲しくて泣くのか、仙八にはわからなかった。ただただ、眼が干からびるまで、仙八は泣いた。

 仙八の、仙八たる生。
 それが、終わったのかもしれない。
 だから、彼は、泣いていたのかもしれない。





 そののち――。
 隠し弾の定めどおり、仙八が再び鉄砲を取ることは無かった。
 山を下りた男は、今もまだ、息はしている。しかし、それもやがて絶えるだろう。その間、何を思うのか。他人には、わからぬことである。

 この物語は、わたし、筆者が旅の途中で立ち寄った寺で、聞いた話である。
 老いた住職が、寂しそうに話してくれた。
 そのかたわらに、錆びた鉄砲が、一丁、置かれていた。








戻る
初出:2007年丁亥12月01日
修正:2008年戊子02月19日

[十五夜]さまより、背景画像をお借りしました。