朝夫は優子を訪ねた。
優子は驚いたようで、しばらくマンションの玄関先で話していたが――ほかの住人が通りかかると、朝夫を部屋に入れてくれた。
「お腹すいてる?」
ちょうど昼時で、ワンルームの部屋のキッチンからは、よいにおいがしていた。
「ちょっと待ってて」
二人分の食事が運ばれてきた。
炊きたてのご飯と、作りたての豚汁だった。
「ごめんね、ひとりの食事だから」
おかずが少なくても文句言わないでね。
優子はそう言った。
懐かしい味がした。
豚汁はすこし薄味だが、よく炒めた豚肉のうまみが野菜にしみこんで、旨かった。
細切りにしたダイコンとニンジンが山ほど入っている。加えてブロッコリーが入っていた。朝夫にはあまりなじみのない具だった。
昔から、彼女は「片づけ」と称して、汁物やカレーを作ったものだ。冷蔵庫の中身を、何でもぶちこんでしまう。
けれども、不味いものは少なかった。味つけにセンスがあるのか。朝夫は不思議に思いつつ、彼女の料理を食べたものだ。
「ネギ、入れてないんだな」
欠けている具に気がついた。
「好きだったのに」
「たまたま切らしたのよ」
こだわりのない、さっぱりとした返事だった。
ご飯は、かために炊いてあった。優子はもっちりと炊いた米より、こういうしゃっきりしたのが好きなのだ。
「お茶漬けにしても、粥みたいにならなくておいしいでしょ?」
優子はいつもそう言った。
昔のことだった。
「……今は、何してる?」
「あなたと同じ。全国転勤があるの」
「女でも?」
「そうよ」
彼らが出会った頃、朝夫は会社員、優子は大学生だった。
朝夫が転勤になってから、二人は壊れてしまった。朝夫から、連絡を取らなくなった。優子も、しつこく追ってはこなかった。
朝夫が後悔しはじめたとき、優子の携帯はつながらなくなっていた。住んでいた場所にもいなくなっていた。
友人のつてをたどって、ようやく今住んでいるマンションをつきあてたのだ。
「独身だと、人事も都合がいいみたいね」
優子も、社会人になっていた。
「……彼氏は?」
「いないわ。ひとり」
優子の口からこぼれる「ひとり」は、朝夫の中で心臓のように脈打った。
朝夫は、部屋を見回した。
転勤があるからか。余計な物はないように思えた。もちろん、朝夫を思わせる物もなかった。
優子のさっぱりとした気性は、水晶のようだった。時間をかけて、より透明に、より鋭く孤高に成長している。
食事を終えて、他愛のない話をした。
朝夫は帰ることにした。
「今日はごめん。急に訪ねたりして」
「ホントにね」
「次は、さ」
「次、来るときは」
優子が笑う。
「あたし、ここにいないから」
じゃあ、どこにいる。
朝夫は聞けなかった。
「ごめん」
朝夫はそれしか言えなかった。
「さよなら」
優子は笑って、手を振って、見送ってくれた。
しかし朝夫は、二度と振り返ることができなかった。彼女が彼の望みを叶えることはもうないだろう。わかっているから、振り返れなかった。
朝夫はまた迷いながら、駅へ歩いていった。
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