空の青い日だった。
「珍しいですね。カーフェン将軍から、お茶のお誘いなんて」
「いつも酒だったからな。たまにはいいだろう」
「そうですね」
エルヴィーネは小さく笑った。
この一見お堅そうな将軍とは、酒呑み友達なのだ。夜闇にまぎれて酒を呑み、軍人の喜びも憂さも星の光にしてしまう。そのために、友人になった人だった。
それが、今日はどういう吹きまわしか、昼間のティータイムに誘われた。紅茶は、葡萄酒とは異なる赤を湛えている。
「好いですね、このような、静かな時間というのも」
平穏の時代。そう、呼ばれている時間を、紅茶にくゆる湯気としているようだった。
「平穏の時代、か……」
カーフェンはカップを置いた。
「もうすこし、早くこんな時代が来ればよかったのだ」
「あら……帝国随一の斬り込み将軍と呼ばれた、貴殿らしくもない」
エルヴィーネが冗談めかして言うと、カーフェンはわずかに目元をゆがめた。その瞳が、すこし曇っている。夜を見ているようだった。
「最近、夜が静かすぎてね。余計なことまで考えてしまうのだ」
夜が静かすぎる。長く戦場にいた彼には、静かでない夜のほうが珍しいからか。エルヴィーネがそう思った時、カーフェンが言葉をつないだ。
「独り身の夜は……静かすぎる」
「…………」
声の調子も、表情も、ほとんど変わっていない。だが、エルヴィーネには、カーフェンがこの上なく寂しそうであるように、見えた。
(たしか、将軍の奥様は……)
彼の妻は、普通の妻だった。だが、この平穏の時代の訪れる前に、病で亡くなったと聞いている。
やもめの将軍は、寂しそうに笑った。
「戦争、戦争ばかりで、ほとんどかまってやれなかった。それなのに文句のひとつも言わず、家をしっかり守ってくれた。失ってから、感謝しているよ」
戦争のことばかり考えていた彼が、妻を愛していたのかは、わからない。だが、いま、彼は妻を愛している。エルヴィーネには、そう感じられた。
「……わたしも」
エルヴィーネは、ふと自分のことを話したくなった。
「いえ、わたしはひどい妻でした。家も守らず、おたがい遠い戦地で……たまに同じ作戦で戦えることを喜び、国のために戦場に散ることを結婚の誓いとしたような、そんな……夫婦でした」
いまの自分は、どんな顔をしているだろうか。悲しげでも、寂しげでもない。穏やかな顔をしているつもりだった。
「でも、果たせなかった。夫だけが死に、わたしはいま、こうして生きています」
「後悔しているのか?」
「いいえ」
エルヴィーネは、また紅茶をひとくち飲んだ。赤い苦みが、自分を落ち着かせてくれる。
「彼は最後に……わたしに『生きろ』と言い遺したそうです」
「私の妻と同じだな」
カーフェンが、穏やかな顔に戻っていた。
「私の妻も……病床で、私の生存だけを願っていたそうだ」
その言葉を聞いて、エルヴィーネは笑った。
「それでは、おたがい、生きねばなりませんね」
「そうだな」
カーフェンも笑った。目もとの皺が、すこしだけ増える。
「エルヴィーネ、今夜の予定は?」
「独り身ですわ」
「そうか。ならば、また、呑まないか」
「高いお酒ですか?」
「そうだな、おろそかにはしない」
おたがい、長く生きねばならぬ気がする。
だから今宵は、憂さを晴らす酒ではなく、しみじみとした想い出を肴とする酒を呑もう。
そう約束して、二人は別れた。
|