冬枯れの街は、息を吸うと痛い。
公園の空を飾るのは、焦茶色の割れ目――葉のない桜の木。
私の住むアパートからは、その光景がよく見えた。正しく言えば、狭いベランダから、よく見えたのだ。近所の人たちが、小さい犬たちを引き連れて、散歩している。毛糸の帽子たちが、挨拶をしていた。
私は、その寒いベランダで、冬の温度を嘆いていた。冬はきらいだった。寒い。指がかじかむ。書くあるいは描くことを趣味とし、ペンやキーボードが相方の私には、それが何より辛かった。
しかし、たまにはこうして外を見ているのも悪くないか。そう思って、私は寒いベランダに留まっていた。吐く息は、白い。今年は暖冬とかで、息が白くなるのが随分遅かった気がする。だが、やっぱり冬は寒かった。
早く夏になれ、と私は思った。
夏。
故郷の夏――は。
セミの声が、耳の奥によみがえった。セミの、あの夏の日差しのような声。自分たちを震わせてぶれさせて、彼らは残りの命を繋ごうとしていたものだ。
故郷は随分と田舎で、海は絶好の遊び場だった。私は海水浴場よりも、磯辺が好きだった。よく、その方向へ行ったものだ。紺色のサンダルで、帽子も被らず家を飛び出していた。
陽に焼けた港には、トタンの小屋がひとつだけ。港と言うより、単に船が着く場所だ。灰色のコンクリートには、フジツボがびっしりとはりついている。深い緑色の波が、白く泡立って彼らを洗っている。よく目をこらすと、黒い小魚が何匹もいる。
港には、堤防がある。その堤防を越えると、磯がある。あの磯辺を、どんなに上手な詩人も知らないだろう。
――海が美しいなどと、とんでもない。
青い水など、どこにもない。美しい海女など、どこにもいない。海の水は深緑だ。波は不規則だ。水はべたついて、魚の生臭い匂いがして、そして苦い。我がふるさとでは、そうだった。
磯へ出た時を、思い出していた。磯の、象牙色の岩。表面は波にさらされて、丸くなめらかな起伏を保っている。そうかと思えば、裂けたように尖った岩が水をかぶっている。乾いた岩をなぞると、表面に吹いた粉――砂が、手についてくる。夏の日差しをそのままに受けて、焼けた砂だ。それは、手を叩いて払っても、指紋をキラキラと輝かせる。
その乾いた岩を越えて、子供たちはツバメのように軽やかに飛ぶ。硬い岩が、トン、トン、と子供たちを笑う。そして、子供らは遊べそうな岩間を見つけるのだ。
岩のすきまには、得体の知れない面白い生き物たちがいる。カメノテや巻貝はありきたり。わたしは彼らよりも、イソギンチャクが好きだった。水族館にいるような、ふにゃりぬめりひらりとしたものではない。それは、水の失せた岩の表面に、はりついている。身を梅干のように縮込ませて、また潮が満ちてくるのを待っている。
磯をそう知らない人間には、そもそもそれは、イソギンチャクに見えない。小さな砂の塊に見えるだろう。変わった姿で、縮こまっている。ヨロイイソギンチャク、というらしい。細かい砂を、体の表面に貼り付けているのだ。すきまの無いよう、びっしりと。
子供の私には、それを見つけると必ずする遊びがあった。縮みきったイソギンチャクを、指でぎゅっと押す。それだけだ。すると、イソギンチャクは水を噴き出す。糸のような噴水だ。指を離すと、小さい体がさらに小さくなる。
ザラザラした表面に、奇妙な弾力を持った感触。それが好きだった。
ああ、やはり夏だ。夏のあの空気が、吸いたい。
苦い水が、記憶の中で輝いている。それはいつしか幻想となって、私の脳髄を惑わせた。足の裏がもぞもぞする。岩の上にふいた砂を蹴る、あの感覚だ。故郷から遠く離れた地にいるのに、私は思い出していた。
風が、吹いた。なんの匂いもしない、冷たいだけの風。
指先が、震えた。冬枯れの街が、笑っていた。
――そうだ。探しに行こう。あの水を。あの苦い潮を。
この冬枯れの街のどこかにも、あの濁った水があるかもしれない。
そんな幻惑に、私は震えた。ベランダから、部屋に入る。そして紺色のコートを着て、黒い革のブーツを履く。
部屋を出て、アパートを出て――私は、アスファルトの道路へと歩み出した。
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