「しっかし、どうすりゃいいんだ。こいつはよ……」
騎龍たちは、巨大な黒雲の周囲を、遠巻きに回る。
相手は巨大な雲の塊のまま、姿を変えていない。厚い雲の中――いったいどのような生物が、どのようにしてそこにいるのか、わからない。
剛鋭は自分が攻撃する、と合図を出した。紅い彈が突っ込む。だがまるで反応がない。剛鋭も手ごたえを感じなかったらしく、次の攻撃の指示を出さなかった。
「おい、龍師!」
剛鋭は青玉を呼んだ。青玉はおのれの白い龍をひるがえし、剛鋭のそばに浮く。
「ありゃ本当に生き物か? 竜巻かなんかの変形じゃねぇだろうな」
「琥符は、生き物を咒縛するもの。大丈夫、鵬はあそこにいる」
「だが、彈が効かねぇ。雲が鎧になっちまってる」
「わたしが雲を破る。彈で雲を吹き飛ばす。多少、向こうから反動があるだろうから、注意して」
「わかった」
剛鋭がうなずく。
そして即座に、雲の城から離れるよう指示が飛ばされた。
騎龍たちは命令どおりに雲から離れ、列をなす。玉髄もほかの騎龍から教えられた通りに、その中に並ぶ。
彼らの視線が、緊張している。騎龍たちは、あの黄金の光を怖れている。剛鋭ですら、あの一撃を受けて失速し、あやうく墜落するところだったのだ。
騎龍たちの準備が整ったのを見て、青玉はおのれの龍をひるがえした。青色のたてがみが、風に流れる。
「青玉、気をつけて!」
玉髄の上げた声に、青玉は軽く手を振って応えた。
青玉の龍は、ぐんぐん高度を上げる。
「間違いない……琥符だわ」
熱っぽい興奮が、言葉にも表情にも混じる。その表情は、敵を見つけたことを、愉悦しているようであった。
雲の上端からやや下で、青玉は龍を止めた。
そしてみずからの龍の上に立ちあがり、しっかと踏ん張る。風が強い。彼女の豊かで長い髪が、吹き上げられるほどだ。しかし青玉は、微塵も揺るがず体勢を保つ。
「来い」
その声に、風が起こって青玉の衣服が消滅する。白い体に長い髪、両足の金環と、左腕の腕輪だけの姿になる。足首の金環は浮きあがって回転し、鈴に似た音を立てる。
目を閉じる。そして体から光が放たれる。その体が、爪先から脚、腰、胸――と順々に、青く光る菱形におおわれていく。全身を鱗に包まれていくようにも見える。
その菱形は、一枚一枚、異なる色に変化していく。白、灰、赤、黄、翠、青、紫――ひとつとて同じものはない。光が織り成す色のすべてを、ここに描いているようだ。雨上がりが起こす、虹のように。
虹色の輝きにその澄んだ美貌まで包まれて、無機質になった彼女は、唱える。
「来い、我が龍たちよ」
言葉が散った瞬間、彼女の体からいっせいに鱗がはがれる。彼女から一定の距離を取って、銀河のごとき輝きが大気に浮かぶ。
「一千の龍たちよ、来い!」
鱗が、孔の開いた玉に変化する。
そして、数百頭の龍が現出する。彼女の言葉を信じるならば、一千頭はいるということだろう。
「みんな、ありがとう」
現出した龍たちに、青玉は短く礼を述べた。
龍たちが応える。彼女の周囲を、薄絹のように舞い踊る。その中央にいる青玉は、まるで無数の星が流れる河の上を、白い舟に乗っているようだ。
「彈で、雲をすべて消滅させてやる。琥符よ、無防備な姿で我が前に晒されよ!」
青玉が手を振り上げる。無造作な仕草だったが、龍たちには特別な意味があるらしい。
それぞれ数十頭に分かれて、陣を組んでいく。ある組は列に、ある組は円と並び、空中に文様を織りいだす。
「さあ、やるわよ」
青玉は、力強く手を振り下ろした。彼女の白い龍が、青色の彈を放つ。
それが、先駆けとなって――彈の乱舞が、始まった。ある彈は球体となり、ある彈は筋状に伸び、ある彈は火花を散らしながら、雲の城に向かってゆく。美しい錦に、花を添えたような光景だった。
文字通り、空気が振動した。ビリ、ビリ、と大きな波動が肌を叩く。
騎龍たちは呆然と、その光景をながめていた。ただひとりの少女が、一千の龍を意のままに操っている。それがどれだけ人間から離れた業であるか。騎龍たちは心に刻んでいた。
「あれが……青玉の、本当の力か……」
「こいつはすさまじいな」
彈を受けた雲は、霧散していく。焼き尽くされていく。消えてゆく。そのもやもやとうつろう霧が薄くなると、中にいたものの影が濃くなってゆく。
「――出るぞ!」
そして、その者は姿を現した。
「こいつが……鵬(ホウ)、なのか」
誰も彼も、息を呑む。
鵬の全身は瑠璃色だった。そしてぬらりと光っている。その体の頭から背、尾にかけてを、白い一筋の縞が貫いている。
円錐型の嘴は鈍い銀色に光っている。炯々と光る眼は、それだけで雷さえも呼び起こしそうだ。
翼は孔雀の尾羽を広げたような形で、六枚ある。うち前方の二枚はひときわ大きい。最も大きい翼は、真横に広がったまま動いていない。だが、そのうしろについている四枚の翼が、細布のはためくようにゆっくりと動いている。
さらに見れば、腹のあたりが蠢いている。見間違いでなければ、それは無数の蜚牛の革袋だ。ぐじゅ、ぐじゅ、と小刻みに膨張と収縮を繰り返している。それが鵬の腹に貼りついているさまは、産みつけられた蟲の卵のようでもあった。
それを見た龍たちが、吟じた。強大な敵を見つけた、生命のうなりだ。倒すべき敵だと、龍たちは鳴いた。
そしてそれに応じるかのように、琥符が――琥符に支配された鵬が、咆える。
「うわっ!」
玉髄は思わず耳を手で塞いだ。その咆哮だけで、暴風が起こった。しかもその風は、肺腑が腐りそうなほどの臭気を帯びている。思わず咳き込んでしまった。そのはずみで体勢を崩しかけてしまう。
(これは……この感じは)
心臓が大きく打っている。琥符の気配だ。玉髄はぐっと口をつぐんだ。
その時、上空からしゅるりと白い龍が下りてきた。青玉だ。
「食べごたえはありそうだけど」
「青玉!」
「でも、わたしの口にはあまる」
「冗談を言ってる場合か、手前」
隣に来ていた剛鋭がうなる。だが嫌悪するような口調ではないようだった。
「青玉、どうすればいい?」
玉髄は尋ねる。
「壊して。彼奴を護っていた雲は取り払った。あとは、あいつを倒し――琥符を破壊するだけ」
青玉の答えは、単純だった。
「いい? こういうの相手にする時は、臆した方が負けるの」
単純な言葉。それが、なにより真っ直ぐに心に染みる。
「あなたたちなら、できるから」
剛鋭も玉髄も、うなずいた。
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