龍は吟じて虎は咆え
伍ノ六.軍師と仙女


 数日後――。
「ねぇ、ホントにこんな格好しなきゃいけないの?」
 青玉が、珍しく不満そうに表情を曇らせていた。
 いまの彼女は、瑠璃色(るりいろ)の上着に、白い長衣をまとっている。髪も高く髷に結いあげられ、うなじ近くのひと房だけが垂髪にされている。
 神秘的な恰好を楽しみたい女子に人気の、仙女風の髪型だ。そこに銀色の細長い肩巾を合わせると、絵に描かれた仙女のようだ。
「当たり前だよ。軍師殿にお会いするんだ」
 玉髄はほう、と息をつきながら言った。
 そう、軍師からの書簡には、青玉に会いたい旨が簡潔に書かれていた。青玉が王都にいることは、晃耀から知らせが行っていたのだろう。それを怒っているのかいないのか――数行の書簡からは、わからなかった。
「お似合いですよ、青玉様」
 とり散らかした着物を片付けながら、女茄が笑った。久々に女性を化粧できて、心が晴れたらしい。
 だが、青玉は座り心地の悪い椅子の上にいるような、釈然としない表情だ。
「いつものでいいのに」
 長い袖を持て余しながら、青玉は椅子から立ち上がりもしない。彼女にとっては、相当不自由なようだ。
「駄目。あれは君の普段着だろう?」
「それは違うわ。天であろうと地であろうと、わたしがわたしであれば、それは正装よ」
 この少女は、鮮やかな表情で持論を掲げる。玉髄は頭を抱えた。思わず納得してしまいそうな自分に、めまいを覚えたのだ。
「ともかく! 僕ら人間の感覚で、失礼になるようなことは極力排しておきたいんだ。君はまだ……その、罪人だから」
「それで?」
「だけど、君はこの国にいま必要な人だ。だから僕は、虹家は、君を大切なひとりの客人として、もてなす。誰にも文句は言わせない。そしてこの国のために、軍師殿からのご要望を受け、君と対面する機会を軍師にさしあげる」
「王者に賢者を紹介し、褒美をもらうようなものかしら?」
「まあ……そうだね。」
 青玉は、ジーッと玉髄を見つめた。
「……なに?」
「ううん。意外と、しっかりしてるんだなーって」
「褒めてる?」
「あんまり」
「青玉〜〜!」
 顔を赤くした玉髄を、侍女たちが軽やかに笑った。


「知軍師、本日はわざわざ我が屋敷にお出でくださり、恐縮です」
「急なことで申し訳ありません。承諾していただいて助かります、虹玉髄殿」
 固い雰囲気のまま挨拶を交わし、玉髄は登紀を屋敷に招き入れた。
 青玉を控えさせた客間に案内する。
 青玉はおとなしく椅子に座っていた。しかも、人間の礼儀どおりに、登紀に挨拶をしてくれた。玉髄は驚くとともに、心底ホッとしたのだった。
 登紀はまず、重々しく封をされた書簡を取りだした。その形式は、玉髄には見覚えがあった。国王の詔だった。
「陛下からの勅をいただきました。――跋軍に与した罪は、赦されます」
「よかった……」
 それは、青玉の罪を赦す詔だった。だが青玉よりも、玉髄の方が安心しているのがなんともおかしかった。
「玉髄殿、ここは二人きりで話させてくれませんか?」
 椅子に落ちついた登紀が、そう言ってきた。
「え、ですが……」
「失礼は承知の上ですが……どうしても」
 屋敷の主人をさしおいて、客同士が話す。別にそれはかまわないのだが、玉髄には別の心配事があった。
「玉髄、心配しないで」
 青玉は微笑んで、手を軽く振る。玉髄は不安を隠せなかったが――結局、この女たちに場をまかせることにした。
「わかりました。では、僕は隣室にいますので、いつでもお呼びください」
 少年当主は一礼して、部屋をあとにした。

 もう夏も中ごろだ。部屋の中は、外よりも涼しい――とはいえ、汗ばむほどには暑い。その中で、ふたりの女が対峙する。
 青玉が襟元をゆるめた。白い鎖骨があらわになる。登紀はそれには構わず、青玉の青い瞳をじっと見つめる。彼女の為人を、はかっているのだ。
「また斬首になるのかと思っていたわ」
「死罪にできない方に、刃を振るうような無駄なことはいたしません」
 登紀の答えに、青玉はクスクスと笑った。
「そのかわり、責任は取っていただきますよ」
「玉髄に応龍を与えた責、ね」
「わかっておられるなら話が早い」
 青玉はくつろいでいるが、登紀の態度はどこか固い。緊張している。
「これから、いくつか質問します。それに、偽りなく答えていただきたい」
「それで責任は取れるの?」
「ええ。彼の力を理解できれば、我が策に大いに役立ちます」
「そう」
 青玉の答えは短かった。登紀はそれを半ば強引に肯定と見なすことにした。
「あなたの名は?」
「青玉」
「まことの名ですか?」
「ええ。わたしに近しいものは、みな、わたしを青玉と呼んだ。わたしもこの名が好き」
 登紀は、酸っぱいものを噛んだかのように、唇を歪ませた。彼女には、この少女がわからなくなっていたのだ。
「ならば、青玉殿。あなたは、何者ですか?」
「…………」
 少女は黙った。だが、答える気がないのではなかった。少女の仕草は、考えている者のそれだった。
「軍師殿は、こんな詩を知っていて?」
 青玉は、詩の一節をそらんじた。

  一千の龍を随えて、天の神が天下る。
  白き舟に乗り、銀河の果てより天下る。
  青き天女が舞い踊り、白き龍が神を導く。


「ええ。誰でも知っている詩です」
「この詩、あなたはどう見る?」
「……学者たちのあいだでは、天から神を下す儀式について書いた詩だという解釈が、普通のようですね。ほかにも、いろいろ、注目すべき要素はあります」
「例えば?」
「この地上に、龍という圧倒的な生命が生きるようになった、その由来を語っているのではないのでしょうか」
「そう?」
「騎龍たちはそう解釈するそうです。龍とは本来、地上を生きる者ではない。神と等しい、天から降り来たった者であると……」
「その詩の、青き天女はわたし……と言ったら、あなたはどう思う?」
「天神の先駆けとして、舞い踊る天女だと?」
「ええ」
 青玉はうなずき、登紀が目を細める。
「確かに、あなたの力は大きい。でも、天から来た者にしては――」
「あなたの眼は、そう見るのね」
「私の眼を、おわかりですか」
 登紀の眼には、特別な力があった。それは、気を見る力だ。
 地上に生きるあらゆるものは、その生命が持つ力を、湯気のように体から放っているという。それが気だ。
 登紀の眼は生まれつき、常人には見えないその気を、とらえることができた。戦場では敵軍の数を遠方から把握し、伏兵も見破った。敵軍の数どころか、距離や士気まで見てとることができるというから、すさまじい。そして彼女は、その力と軍略を組み合わせ、いまの地位にまで出世した。
「あなたの力量を、はかることはできます。でも、私にはあなたがわからない」
 その彼女が、ひとりの少女を前にして、白旗を上げていた。
「あなたの目的は、いったいなんですか?」
 漆黒の瞳が、淡青の瞳の奥を探っている。まるで、反射する水面の上から水中をうかがっているようだ。青玉が目を細める。水中がきらめいた。
「単純なこと。琥符(コフ)を壊す」
「琥符とは、いったいなんですか?」
「あれは、遠い過去に、置いてくるべきものだった。それをするべき者たちは、すべてこの世を去ってしまった。だから、残ったわたしが、それをする」
 漠然とした内容の答えだった。登紀は目元を歪ませる。
「だが、わたしのみでは無理なのだ。いまのわたしは、琥符に不意を突かれて咒縛されてしまう程度の力しかない」
「それほどの力でも……琥符というものからは、逃れられないのですか」
「ええ。だから、強き我が眷族の力が必要だった。あらゆるものを破壊する牙の力を持つ、わが眷族の力が」
「あの強大な力に、強大な力をぶつけて対抗しようと?」
「そう。色薄(いろうす)きわが力が及ばぬなら、色濃きわが眷族を当てるまで。単純なこと」
「だから彼に、あの龍の力を与えたと言うのですか」
「ええ」
 登紀は青玉の目的を理解した。
 とても純粋な目的だ。琥符を壊す。ただそのためだけに、この少女のような仙女は、この国を動かそうとしている。この国の人間を動かすために、彼女は力を示した。騎龍たちの心を折り、龍たちを操り、雷を落とした。それを見た人間たちは彼女の正体を悟り、彼女を畏れ、そして危機に際して、おのれの知識と力を頼ってくるだろう。――そう、この少女は踏んでいる。
「あの少年は、琥符に影響されぬ。血と心が、琥符の咒縛を躱すのだ」
 玉髄に、最も色の濃き龍を与えたのも――彼の血にひそむ不思議を見抜いたからなのだ。
「なぜ?」
「さあ? わたしにも、わからないことはある」
 青玉はあっけらかんと「わからない」と言った。登紀には、それが嘘なのか真なのか――情けないことだが、わからなかった。
「では、あの雲のことをお聞きします」
 登紀は、青玉が踏んでいるように、彼女の知識にすがった。
「私はまだ、あの雲を見ておりません。でも、あなたは見た。あなたの眼から見た意見を、私は信じます」
 信じる。その言葉を聞いて、今度は青玉が目を細めた。
「あの中には、生き物がいる。おそらく、琥符に咒縛された何者か。それがここに迫っている」
「対抗する術は?」
「あなたでは駄目」
 登紀は、椅子から立ち上がりかけた。思いがけない言葉に心を乱された。だがその動揺を抑え、尋ねる。
「――なぜです?」
「あなたはわたしの眷族じゃない」
 当然と言えば当然のことに、軍師は深く椅子に座りこんだ。
「そうですね。私は、騎龍ではありませんから」
 思わず笑ってしまう。
 彼女は、やっと青玉という者を理解しかけた。生きている世界の違う者だ。その者がいま、自分の前で、自分たちの世界で騒ぎを起こそうとしている。――ただ、おのれの力のみを信じて。
「でも、ただの人間であっても私は……王都を、この国を、護らねばならないのです」
 登紀は椅子を立ち、そして跪(ひざまず)いた。一国の軍師が拱手して、少女に請う。
「どうか、お導きください。王国軍の指揮権は、私にあります。みなが、私の指示を待っているのです。騎龍たちを、そして普通の兵士たちを、どう使えばいいか――龍の王よ、お教えください」
 まるで神に祈っているようだった。
「この国を、護るために」
 ――図らずも、登紀は、かつて玉髄が青玉に言った言葉を口にしていた。「国を護りたい」という、その願いを叶えるために。
「とても真摯な人」
 そして、青玉は応えた。瞳に、優しい光が宿っている。陽の下の水海のような――あたたかい、青だった。
 二人は再び、椅子に座って向き合った。
「まずは、蜚牛のことを考えましょう」
「蜚牛……私は、それを書物でしか知りません」
「あれは、牛と蟲のあいだを行き来する、古の破壊者。体液に毒がある。牛の形体の時は、突進に注意。弱点は頭。そこを吹き飛ばして、全身を焼いてやれば害はなくなる」
「蟲の時は?」
「肉と見れば、見境なく喰らいつく。焼き払ってしまえば、どうということはない」
「火は――どんな火でも、奴らを焼けるのですか?」
「騎龍の彈で焼き払うのがいちばんいいけれど。多分、騎龍たちは雲の方にかかりきりになると思う」
 青玉は首をかしげながら答える。それはなにかを考えているような仕草だが、人のように唸(うな)ったり言いよどんだりする瞬間がない。まるですべてを見通しているようだった。
「松明や篝火で、対処すればいい。でも、蟲は多いし、強いから。兵が恐慌を起こしたら危ないかも」
「ふむ……」
 いかに精鋭の兵とはいえ、得体の知れない者を相手にすれば、日頃顕(あらわ)れぬ恐怖がわきあがってくるかもしれない。恐慌を起こした味方兵は、戦の大きな障害となる。いかに、兵に冷静さを保たせるか――それは、人である登紀の腕の見せどころだった。
「多分、最後は――玉髄の力が、必要になる」
「彼が、切り札ということですか」
 いまいる熟練の騎龍たちではなく、見習いの、しかもにわかに騎龍となった彼が、命運を握ることになる。
「彼はまだ未熟です。その秋まで、鍛えた方がよいのでしょうか?」
「体力がまだ十分ついていかない。いま無理に鍛えようとすれば、秋が来た時、使えなくなるだろう」
 ギリギリまで体力を温存させ、そして最も重要な局面を迎えた時、戦場に放り込もうというのか。
「それで、大丈夫なのでしょうか。普通の兵士でも、初陣では戸惑うものなのに。まして彼は、にわかに大きな力を得た。力に体と心がついていかず、危機を招くことも考えられるのでは?」
 青玉は、黙ったままうなずいた。
「騎龍は、龍に心を魅入られている」
 魅入られる。それは、龍と人とがひとつになるときに体感することだ。龍の瞳が、人間の瞳をとらえてその色を遷す。そして人間は体に龍の一部――逆鱗を得て、如意珠に封じられた龍を現出させることができるようになる。
「龍が戦う意思を見せれば、騎龍の心はそれに引きずられる。結果、死への怖れは薄れ、空の上でも、強敵の前でも戦えるようになる。わたしは、玉髄のそれに、期待している」
「そう、ですか」
 登紀も、それを経験で知っていた。騎龍の心は死を怖れず、化け物と対峙しても平然と剣を抜く。そして誇り高く、自分たちの掟を守り抜く者――それが騎龍だ。
「将軍たちを見れば、あなたがそれに期待するものわかります」
 四方を護る王国軍の将軍たちもみな、騎龍だ。彼らはその勇猛さをもって戦場を生き抜き、大国の侵攻を退けた。この国の英雄たちの中で、最も強い者たちだ。
「その強い心が、玉髄殿にも起こると――」
「ええ」
「この話、玉髄殿には?」
「していない。玉髄は、状況がよく見えた方が混乱する。なにもわからないままの方が、かえって動けるみたい」
「なにも知らせず、あなたの意のままに動かそうというのですか」
「玉髄が知りたいというなら、すこしずつ教える。いまは、時間がない」
 青玉は、淡々としたものだった。
「賢い人、この国を護りたいなら、わたしの言う通りに」
 宝玉のような眼が、無機質な光を帯びて、軍師に迫る。
「玉髄には、なにも言わないで」
「……はい」
 登紀は、反論できなかった。

 彼女たちが話し終わった頃には、すでに陽が傾きかけていた。
「玉髄殿、本日はどうもありがとうございました」
「いえ、軍師殿。お役に立てたなら幸いです」
 にこやかに応対する玉髄に、登紀はあわれを感じていた。この若すぎる戦士を、あの少女は動乱に放り込もうというのだ。まだ翼の根も、落ちつかぬうちに。
「玉髄殿……」
「はい?」
「どうか、心を強く持ってください。この国のために」
 登紀にできる、精一杯の励ましだった。軍師の言葉を、玉髄は特に不審なものではないと取ったようだ。
「ありがとうございます」
 玉髄が拱手した。登紀も拱手を返し、彼の屋敷を去った。
 軍師が去ると、盛装を脱ぎ捨ていつもの服になった青玉が、玉髄にまとわりついた。
「今日のご飯なにー?」
「あーはいはい、用意させるから」
 本当に子供のようだ、と思いながら、玉髄は苦笑いをする。
「青玉、軍師殿と、なにを話したの?」
「いろいろ」
「どんなこと?」
「雲の城のこととか」
「それって……」
 玉髄はさらに話の内容を聞き出そうとした。青玉はのらりくらりと答えていたが、それに飽きたのか、庭の小石を拾う。
「それよりも、お腹すいた。庭の石食べていい?」
「駄――目――ッ! お願いだからやめて!」
 玉髄が悲鳴のような声を上げ、その日は夜が来たのだった。

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初出:2010年庚寅6月18日