峰国は、大陸の東の果てに位置する、小さな国である。
深大な湖を国土にいだき、川や泉に恵まれ、霊峰青山に見守られた豊かな土地だ。
その峰国、国王峯晃曜の御世、瑞雲二年。
春も終わりの頃――物語は、始まる。
「我が君! 我が君ー!」
ひとりの少年が、花に満ちた庭を駆けてゆく。
彼の名は、虹玉髄。
歳は十八。幼き日から宮廷に出仕し、当時の王太子、すなわち現国王の遊び相手などをつとめてきた。いまはもう元服し、国王の侍従のひとりとなっている。
「あー! もー! どこへ行ったんだ!」
玉髄は、いらだったように前髪をかきあげた。黒褐色の髪が、陽を反射して褐色の艶を作る。陽の光が強い。黒い瞳に光が落ちて、玉髄は目を細めた。
彼は、お仕事の真っ最中だった。それは、執務中にいなくなった若い国王を探し出すことである。
「はぁー……いい陽だからなぁ」
空は、憎らしくなるぐらい青い。そこに白い李の花が、花びらを無邪気に零してゆく。昼寝でもするなら、絶好の日だった。
玉髄は、ため息をついたあと、指を折り始めた。主君が隠れそうな場所の候補を、思い出して照合する。
「あそことあそこにもいなかったから、えーと……あっちか!」
王宮は、広い。そして、複雑な構造だ。しかし、玉髄はそんな場所を、頭の中で即座に整理できる。なぜなら、彼は幼い頃からここを遊び場としてきたからだ。
「ん?」
しばらく走ったのち、玉髄は立ち止まった。明るい黄緑の地面に、赤い色が見える。花ではない。そっと近寄ると、赤い衣が芝生の上に落ちていた。手に取る。国王が常の時に着る、錦の上着だ。まわりを見ると、冠、履まで転がっている。
「わーがーきーみーっ!」
玉髄は木の上に向かって声を張り上げた。
「あー、もう見つかっちゃった」
豊かに茂り始めた木の上に、葉っぱではない影が揺れた。
その影こそ、峰国の王――峯晃曜その人が、人懐っこそうな笑顔で振り返った。
「誰に言われたの? 典侍? 侍中?」
「葉侍中にございます!」
侍中とは、宮廷の奥向きのことをとりしきる官の、長である。門閥家葉氏の出である男がつとめていた。
「侍中も性格悪いなー。お前なら、予の居場所はたいがい分かるから」
晃曜は、素直に、そして器用に木から下りてくる。彼もまた、ここを遊び場として育ってきたのだ。
「それから、我が君っていうのはなんかヤダな。晃曜でいいって、言ってるでしょ?」
「はいはい、ご政務が終わりましたら、そうお呼びしましょ」
言いながら、玉髄は主君に履をはかせた。乱れた晃曜の髪を、さっさとまとめて冠を被せる。上着を着せて、とりあえず見苦しくないようには整えた。
「さーご政務ですよ。まだこの国は、先の大戦の傷が癒えていないんですからね。代がわりもしたばかりなんですから、我が君のお仕事は……」
「玉髄〜、珍しいね。お前が、侍中みたいな説教をするなんて」
「たまにはこうしないといけないと思いましてね!」
そして、二人して、政務の間に戻る。
「我が君をお連れしました」
きっと、中で待っていた侍中が眉間に皺を寄せながら、国王をお諌め申し上げるのだろう。わかりきっていた。
それが日常。彼らの変わらぬ、毎日だ。
ところが――。
「お待ちしておりました、陛下」
その日は侍中ではなく、軍師が国王を待ち受けていた。
日常が、破られた。
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