火曜日の夜、二人は繁華街を歩いていた。
先日、行きそびれた一磨の知人を訪ねるためだ。
「やっと行けるなぁ」
「今夜は何もないといいですね」
先日の事件捜査のため、例の現場付近は封鎖されていた。警官のほか、退魔士や水道局などの関係者とおぼしき人々が出入りしている。現場周辺にはマスコミも押しかけ、野次馬もいる。携帯電話のカメラで撮影しようと、腕を伸ばしている人もいる。
「あ、やべ」
一磨は帽子を深くかぶりなおした。
「……私服で来て良かったですね」
二人とも、今日は制服ではなく私服だ。一磨はハンチング帽、らいはフード付きのワンピースで顔を見えづらくしている。
コソコソしたくはなかったが、正体がバレて騒ぎになるよりはずっといい。学園長からも「捜査の邪魔になるな」と釘を刺されている。
「んじゃ、こっから曲がるから」
裏通りに入り、細い道を曲がる。古い家並みが身を寄せ合うように建っている。
店があった。「十口屋」と書かれている。ガラス戸ごしに、古そうな品が並んでいるのが見える。
「骨董品のお店ですか?」
「どっちかというと、古道具屋って言ったほうがしっくりくるかもな」
一磨は引き戸に手をかけた。薄汚れたガラスがガタガタと音を立てる。
「こんばんはー」
ひんやりとした土間に、黄土色の土壁。木の棚が並び、古道具や置物が所狭しと並んでいる。古道具屋独特の赤茶けた雰囲気とでもいおうか。懐かしいような古めかしいような空気に包まれている。
「その声は一磨じゃな? よう来た、よう来た」
店の奥から老人が出てきた。くすんだ肌に深々と皺が刻まれ、白髪もぼさぼさだ。糸のように細い目元に、伸びた眉がかかっている。
「こんばんは、初めまして」
らいがフードを脱ぐ。
「ぬおっ!? 一磨、この美人のお嬢さんは誰じゃ!?」
老人はらいを見て、土間に降りてきた。
「ああ、こっちは……」
「おっと足がぁ〜」
老人はいきなり足をもつれさせた。らいに倒れかかる。
「だ、大丈夫ですか?」
らいは老人を抱きとめる。
「大丈夫、大丈夫ぞよー。ああ、優しいんじゃのー」
スパーン!
一磨は老人の後頭部にスリッパを効かせた。
「な、何をするんじゃい!」
「ざーとらしいんだよ、介爺! いーやスケベジジイ!」
「人ん店の来客用スリッパで叩くでない!」
「どーせ使わないんだろ! 客いねーもん!」
ギャーギャー応酬する男二人を、らいはポカンと見ていた。
一通り騒いだあと、一磨とらいは応接間に通された。
老人はいそいそと紅茶とクッキーを出し、二人を歓待した。
「ささ、粗茶じゃが」
「……いつもよりいいお茶じゃん」
紅茶を飲んだ一磨がつぶやく。彼だけが訪ねたときより、数倍は高級な茶だ。茶菓子のクッキーも、明らかに高級ブランドのものだ。
「美人には礼儀を尽くさぬとな。口に合うかの、お嬢さん?」
「とてもおいしいです。マスカットみたいな風味がして……」
「よい紅茶はな、自然とそういう風味になるんじゃ」
老人はニコニコニコと笑いながら紅茶の解説をする。
「茶の解説はいいから。自己紹介がまだだろ」
「おお、そうじゃった。失礼したのー」
老人はポンと手を打った。
「店主の端山風介じゃ。皆からは介爺と呼ばれとる。お嬢さんもそう呼んでくれい」
「竜野らいといいます。今年の春、退魔士になりました」
「なんと! お嬢さんも退魔士か!」
介爺は細い目を見開いた。
「いやー、すごい時代じゃのう。一磨が退魔士になったかと思えば、お嬢さんまで。ヤコージュも優秀になったもんじゃ」
「らいは転入生だよ」
「マニ学園から来ました」
「おお、なるほど。マニといえば、西の方の学校じゃのう」
介爺は眉をなでる。
「……で、なんでヤコージュに来たんじゃ?」
「学園長が呼び寄せたらしい。今、ペアを組んでる」
「ほう! あやつのやりそうなことじゃ」
介爺はカラカラ笑った。
「学園長先生のこと……ご存じなんですか?」
らいが尋ねる。
「わしも元は退魔士でのう。ヤコージュの学園長も、一磨の父親も、よーく知っておるよ。皆、優秀な退魔士じゃ」
「で、退魔士を引退してこーゆー怪しげな小道具屋をやってるってわけ」
「うむ、たとえばこんなのがあるぞい」
介爺は応接間に飾ってある細工物を手に取る。トンボを入れた虫籠を模した細工物だった。籠はカラフルな色づけをした金属でできており、トンボはガラス製だ。
介爺は虫籠の窓をゆっくり開く。
「性霊、目覚めよ。出てみよ」
声をかける。
虫籠の中に小さな風が起こった。細工物のトンボの頭がくるくるとせわしなく動きはじめる。本物のようにキョトキョトと大きな目を動かす。ガラスの羽をはばたかせ、飛ぶ。虫籠を飛び出してスイスイと部屋中を舞う。
「付喪神か」
「そうじゃ。売るには惜しかろ?」
「わあ……」
らいが表情を輝かせる。すっと手を伸ばすと、指先にトンボが止まる。
「驚かんのじゃな。さすがは退魔士」
介爺が嬉しそうに笑う。
「じゃが、それだけじゃないのう。お嬢さん、人ではなかろう?」
「――!」
らいの表情が驚きに固まる。
トンボが指から離れ、籠に戻った。
「おわかり……ですか?」
「うむ。霊妙な気配じゃ。よき存在と見える」
介爺はうんうんとうなずく。
「神虫、という一族だそうだ」
一磨がそう紹介した。
「神虫か!」
介爺が目をむいた。
「神虫といえば……ちょっと待てい」
介爺は応接間から出ていく。数分して、一冊の本をテーブルに置いた。現存する古絵巻を撮影し、写真集にしたものだ。
「神虫は……これじゃな」
開いたページには、「辟邪絵神虫」とタイトルがつけられている。
絵には、数行の文章がとともに、鬼を喰らう神虫の姿が描かれている。ダークグレーの甲虫の姿をとる神虫。八本の足には指があり、それで鬼を捕らえてむさぼり喰っている。目は金色に彩色され、捕食者の優位性を示すように爛々と輝く。
(そういえば、こないだも)
神虫を召還したらいの瞳は、金緑色に輝いていた。
「これ、なんて書いてあるんだ?」
「瞻部州南方の山の中に棲みて、ひとつの神虫あり。もろもろの虐鬼を食とす。朝に三千、夕に三百の鬼をとりて喰らふ」
介爺が絵の文章を読み上げる。
「この絵はどういう意図で作られたんだ?」
「辟邪絵とはな、魔除けの絵のことじゃ。神虫とか鍾馗とかを描くんじゃよ」
辟邪とは「邪を避ける」という意味だ。妖怪であったり疫病であったり、人間に災厄をもたらすものが近寄ってこないことを祈って作られた物を指す。
「虐鬼っていうのは?」
「疫鬼――つまり疫病をもたらす鬼のことです。実際は、どんな鬼でも喰べるんですけどね」
らいが答える。
「三千、三百ってのは誇張か? 実数?」
「誇張ですが、喰べようと思えば」
できるらしい。すさまじい食欲だ。
「日本にもおるとは聞いておったが、本物を見るのはさすがのわしも初めてじゃのう」
介爺はらいをじっと見つめた。
「なるほど、一磨の相棒にはこの上ない」
この介爺も、一磨の持つ事情には通じている。彼の理解者のひとりだ。
「ところで、一磨」
「何だよ?」
「この可憐なお嬢さんが、こーゆー風にボリボリムシャムシャ鬼を喰うのか?」
「いや、それは……」
一磨はらいをチラリと見た。介爺の物言いに怒ったりしないだろうか。
「見てもらった方がいいかもしれませんね」
らいはすっと手を床にかざした。手と腕の影ができる。
「神虫、おいで!」
らいの黒い瞳が、金緑色に輝く。
彼女の声に応じるように、影が盛り上がった。ずるりと腕が影から生える。
「おお!」
介爺と一磨が目を見張る。
影から神虫が飛び出した。中型犬ほどの大きさだ。八本足は同じだが、こちらはむしろトカゲと狼を足して二で割ったような姿だ。全体的に短毛だが、顎まわりや上腕は毛が長くフサフサしている。長い尾の先は蜂のトゲのように硬質化している。
「お、おお……」
介爺が目を見張る。一磨も少なからず驚いていた。
「大きさ、自由に変えられるのか?」
「ええ……でもわたしのお腹が空いてると、大きくはできません」
らいは神虫にクッキーを差し出した。
「ほら、神虫。これ、食べてみて」
神虫は明らかにイヤそーな顔をしている。
「いい子だから」
神虫は渋々という様子でクッキーを舌に乗せ、呑みこむ。
「はい、ペッして」
コッと咳に似た音がして、神虫がらいの掌にクッキーを吐き出す。
「さわってみてください」
「……乾いてるな」
神虫が呑んで吐いたクッキーは、何も変化がなかった。唾液で濡れたあともなく、欠けたところもない。
「受けつけないんです、鬼類以外は。消化もできないし」
らいは手元のクッキーをじっと見て、一磨に差し出す。
「食べます?」
「……いらない」
そこは固辞した。
「なるほど、よきものを見せてもろうた」
絵巻の写真集を閉じ、介爺は笑った。
「我ら退魔士は、『百聞して百見す』を信条とせよ」
本来ならば「百聞は一見にしかず」というところだろう。机上でいくら勉強しても、一度の体験におよばないという意味だ。
「……わしの師匠の言葉じゃよ」
だが退魔士は違う。油断せず勉強することと、何百という体験を重ねることで、真に強い退魔士となることができる。
「らいちゃん」
「はい」
「一磨のことは、こやつが小さい頃からいろいろと聞いておる。鬼を寄せる因果を持つ子じゃ。苦労しとるんじゃよ」
介爺は孫を見るような目でらいを見つめた。
「らいちゃん。どうか一磨を支えてやってくれい」
「はい」
らいがほほえむ。
一磨は照れたように首筋に手を当てる。
「あ、そうだ。今日は神虫の話をしにきたんじゃないんだよ」
フッと真面目な顔に戻って、一磨は尋ねる。
「鬼児の刻印に、何か特別な意味のあるやつがあるって知ってるか?」
「ああ、呪印じゃな」
介爺はあっさり答えた。
「普通、鬼児に施される印は、鬼児を見分けるためのマークじゃ。焼印や刺青で入れる。視覚的な効果しかない。家紋とか、シンボルマークのようなものじゃ」
「それは知ってる。じゃあ、呪印は?」
「呪印は、呪術をもって施す印という」
「そのまんまですね」
「どういう術だ?」
「さぁて。そこまではわかっておらん。ただ……呪印を受けた者は、ついには鬼に変じるというぞい」
鬼ならざる者を、鬼に変じさせる刻印。
一磨とらいは顔を見合わせた。あの鬼は、もとは鬼ではなかったということか。
「呪印は、表からは見えない場所に施される。呪印があることに気づいたときは、手遅れということが多かったぞ」
「実際に見たことが?」
「ある。か弱かった人間が鬼に変じ、襲いかかってきたときなぞ……」
介爺は遠い目をして、言葉を濁した。顔の皺がわずかに増える。この飄々とした老人にも、苦い体験があったらしい。
介爺はポンと手を叩いた。
「なんじゃ、こないだの怪異事件、呪印がからんどるのか?」
「な、何でわかったんだよ!?」
「わしもテレビニュースくらい見るわい」
わざとらしくため息をついて、介爺は肩をすくめる。
「街に出たのは鬼類で? それを鎮圧したのは学生退魔士で? んでもってその本人らとおぼしきお前らがわしに話を聞きに来とるんじゃー。すぐわかるわい」
「いや、でも俺らは別に調査とかしないんだよ」
「じゃろーな」
退魔士としてのキャリアは介爺の方がはるかに長い。何があったか、一磨らがどんな立場にいるのかはよくわかっているのだろう。
「で、呪印の話に戻るがの。鬼どもも、呪印を施すことはまれらしいな」
「なぜ?」
「そこまでは知らんよ」
「知らんこと多いなー、もー」
「ブースカ言うでない! 妖怪には妖怪の事情があるわいな」
「それもそうですね」
「そうじゃ。らいちゃんは物わかりがいいのー」
介爺はらいに対してはあくまでにこやかだ。
「で、ほかに聞きたいことはあるか?」
「そうだな……」
一磨は考えこむ。ためらっているようにも見える。
「俺は……」
一瞬、顔を伏せる。そして思い切るように顔を上げた。青い瞳で介爺の糸のような目を見据える。
「なぜ俺は鬼に狙われる? 俺の因果とは何だ?」
「ふむ……」
介爺はヒゲをなでた。
「久遠からは何も聞いておらんのか?」
一磨はうなずいた。
玉石久遠―― 一磨の父である。一磨が七歳のとき、鬼に襲われたのを機に行方不明だ。
介爺も真剣な表情になった。
「お前の因果は、お前の母に起因する」
介爺は、ちらりとらいを見た。彼女にも聞かせていいのか、という意味だ。
「いい。聞かせてくれ」
「お前の母は、希有な付喪神であった。美しく霊妙な弁才天像の付喪神じゃったな。因果はそこにある。まずはそこを調べるがよい」
「どう調べればいい?」
「あれはたしか……もとはどこぞの寺の所有物だったはずじゃ」
どこじゃったかのー、と介爺は白髪頭をバリバリと掻いた。
その時、店の表でドアの開く音がした。
「ごめんください」
「お、お客じゃ」
「珍しいな、俺たち以外に客なんて」
「失敬な! すまんな、ちょいと失礼するよ」
介爺はいそいそと表へ出ていく。
「ちょっと見に行ってみよう」
「いいんですか?」
「影から見てみるだけだって」
二人はそっと応接間を抜け出し、柱の影からそっと表をうかがう。
介爺が上機嫌で対応している。客は三十代、落ち着いた雰囲気の美女で―― 一磨たちには見覚えがあった。
「あれ、岡留先生!」
「あなたたち……? どうしてこのお店に?」
ヤコージュ学園教員の岡留美之だった。
「ま、いろいろと話をしに来とったんですよ」
「そうですか。ご迷惑はおかけしていませんか?」
「なんのなんの」
尋ねる岡留に、介爺はにこやかに応じる。
「岡留先生はどうして?」
「ああ、道具の調達にね。妖怪を解剖するには、特別な道具が必要なこともあるの。ここなら、難しい道具も手に入りやすいし……」
「お得意さんじゃよ」
介爺はほがらかに笑った。
(そりゃ岡留先生は美人だしな)
「なんか言ったか、一磨?」
「なんでもねーよ」
まったくこの女好きめ、と一磨は肩をすくめた。
「そーじゃ、岡留さん。アンタ、土曜の事件の捜査協力やっとるんじゃないか?」
「あら、よくおわかりですね。その件でお知恵を拝借したいことがありまして」
岡留は道具のことだけではなく、介爺の知識もアテにして来たらしい。おそらく呪印のことなどを詳しく訊くだろう。一磨たちから報告することもなくなる。
「らい、俺たち、そろそろ帰ろうか」
きっと話は長くなる。介爺と岡留の邪魔をしては悪いだろう。
「お、もうよいのか?」
「また来るよ」
「らいちゃんもぜひまた来ておくれ」
「はい」
「例のこと、調べておこう。また連絡を入れるでな」
「頼むよ」
一磨とらいは十口屋を出た。
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