日本は妖怪の多い国だ。
妖怪が巻き起こす怪異現象は、いつも人の生活を脅かしてきた。
人は対抗手段を生み出した。
退魔士である。
あらゆる手段を使い、怪異を防ぎ、怪異を退ける。それが退魔士の役割だ。
退魔士は国家資格として政府の管理下に置かれ、優秀な人材の養成は国家の急務となった。現在、政府は全国に専門の養成機関を創設し、若い世代を中心に教育と能力開発を行っている。養成機関は、怪異の研究機関を兼ねることも多い。
その中のひとつが、ここにもある。
国立退魔士養成高等専門学校ヤコージュ学園。
有資格特待生用特別居住施設「散流寮」。
物語はここから始まる。
「――っ、はあ!」
玉石一磨は目を覚ました。ベッドに寝そべったまま、冷や汗をかいた顔をなでる。心臓がバクバクうるさい。
「夢か……」
深く息を吐く。
母親が死んだ日の夢。夢というより、記憶だ。いまだにあの日を見る。一磨は目元を手で覆った。
「若君、起きた?」
「起きた?」
小さな声が、部屋のあちこちから聞こえてくる。
「あー起きてるよ」
一磨は身を起こした。
ふらふらと洗面台へ向かう。トイレも風呂も洗面台も一緒になった三点ユニットだ。
顔を洗う。鏡を見ると、自分の目と目が合った。紺碧の海を思わせる青い瞳だ。
突然、バサバサと本の崩れる音がした。
「こら! 朝から騒ぐんじゃない!」
一磨はあわてて顔をぬぐい、音のした部屋へ急ぐ。
勉強部屋の中で、小物がもきょもきょと動いている。机の上の本や本棚に置いてあったものが床に散らばっていた。
「銅雀! 朝から飛び回るんじゃない! あーもー、証書にはふれるなって……」
一磨は、床に落ちた証書ホルダーを取りあげる。紺色のベルベットでできた二つ折りタイプのホルダーだ。中には、退魔士の国家試験に合格したときの証書が入っている。
「いいじゃない。そんなまだ動かないモノなんて大したことないよ?」
答えたのは、銅製の小さな雀の置物だった。もちろん付喪神だ。金銅色の体がちょこちょこと動きまわる。
「大事な合格証なの! まったく」
血のにじむような努力の末、一磨は退魔士の資格を取得した。学生のうちに資格を取得できる者は滅多にいない。優秀さが認められ、この春からは有資格特待生となった。
「これは、俺が特待生になれた証。お前らを置いてやれるのも、俺が特待生になってこの寮に入れたからなんだぞ!」
「二年間もほっとかれて、さびしかったよ〜」
「ほっとかれたくなかったら、騒がないでくれ!」
一磨は銅雀を捕まえる。ひやりとした金属の感触がした。
「あああちょっと待って、一磨! 悪かったよ! 棚に戻さないで!」
一磨は銅雀を戸棚へ戻した。ガラス張りの戸には札が貼られている。一磨が札を撫でると、とたんに銅雀は動かなくなった。もとの置物に戻ったのだ。
「ふう……」
床に落ちた本を拾う。机に本を積む。
「写真を落とされなかっただけマシか」
机に置かれた写真立てを見つめる。
「母さん……」
古い写真だ。若い女性が、生まれたばかりの赤ん坊を抱いている。女性は、夢の中に出てきた弁才天像と同じ顔だった。
「会いたかったのに……」
「母親は死んだ」と聞かされて育った。それでも会ってみたかった。たった一枚残った写真を見て、母を恋い慕った。
ある日、一磨の父は地下室の鍵を一磨に与えた。そこに安置された弁才天像は、母にそっくりだった。一磨は何度も地下室に通い、美しい木像に母の面影を重ねた。
その木像が、本当に彼の母親だったのだ。
母は付喪神だった。
付喪神は妖怪の一種だ。九十九年使われた道具・器物に魂が宿り、生き物のように動き回るという。九十九の年を経た妖怪であるゆえに、付喪神と呼ばれる。
母もまた、何百年と大切にされた木像に宿った魂だった。
付喪神の母。
人間の父。
それが一磨の両親だ。
会いたいと願った母と再会したとき――母は一磨をかばって、壊された。
あれから十一年になる。一磨は十八歳になっていた。
「必ず仇をとるよ、母さん」
写真に誓う。一磨の日課だ。
「父さん、見守ってて」
あの日から、父親もいなくなった。死体はなかった。だが一磨を引き取った叔父の態度からすると、父も死んだのだろう。
一磨はふう、と息をついた。
写真立ての前に、細い布袋が置いてある。
一磨は袋を手に取った。中身を出す。節のある金属の棒だ。中央は丸く膨らみ、両端は槍のように尖っている。独鈷杵と呼ばれる仏具の一種だ。独鈷杵はもともと武器として使用されていたものが、聖なるアイテムとして仏教に取り入れられた。
独鈷杵を、一磨は本来の目的で使う。退魔士となった彼が最も得意とする武器だ。
「行ってきます」
一磨は静かになった部屋をあとにした。
寮の玄関へ向かうと、管理人が朝の清掃をしているところだった。
「おはようございます」
「おはよう、玉石君。よく眠れたかい?」
いつもニコニコ笑っている老齢の管理人だ。寮生をいつも気遣ってくれる。
「ええ、まあ……」
一磨は言葉を濁す。気遣いがきまずいときもある。
「おーそうだ、岡留先生!」
管理人が管理人室に声をかける。
中から着物姿の女性が出てきた。歳は三十代ぐらいか。落ち着いた雰囲気の美人だ。
「岡留先生! おはようございます。帰ってこられたんですね」
「ええ。昨日、やっと仕事が片付いてね」
女性は岡留美之という。退魔士であり、ヤコージュ学園の教員でもある。
「一磨君、顔色悪いわね。どこか具合が……ううん、違うわね」
見抜かれている。一磨は視線をそらした。
「でも、大丈夫よ」
岡留は優しく一磨の肩を叩いた。
「ありがとうございます」
彼女の気遣いが嬉しかった。
「先生、何かご用が?」
「ええ。学園長からの伝言。午後二時に学園長室へ来てちょうだいって」
「二時ですね、わかりました。ほかには?」
「それだけよ。あとはほかの子と打ち合わせ」
ほかの有資格特待生たちと退魔の話でもするのだろう。
退魔士である教員と特待生が組んで依頼を受けるのは珍しくない。特待生は、退魔士の資格を得たといっても、年齢的には高校生や大学生と変わらない若者たちだ。圧倒的に経験が不足している。そこをベテラン退魔士である教員がフォローし、着実に経験を積ませるのだ。
「今日はどうするの、一磨君?」
「ホームルームに出たあとは、昼までは図書館へ行きます」
「熱心ね。さすがは特待生。根詰めすぎてご飯食べるのを忘れたりしないでね」
「大丈夫です。今日は友達と外に食べに行くんです」
「あら、いいわね。……と、引きとめてごめんなさい。いってらっしゃい」
「いってきます、先生」
「大丈夫、今日はきっといいことがあるわよ」
「それ、当たります?」
「どうかしら」
岡留はいたずらっ子のようにほほえむ。
一磨は軽く会釈して寮を出た。
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