『日本霊異記』下巻、第一縁
編者 景戒(不詳、私度僧か)
史料概要 平安初期。仏教説話集。奈良時代〜弘仁期(810〜824)に至る、因果応報などの説話を漢文で記す。
当該個所 下巻 第一縁「法花経を憶持おぼえたもてる者の舌 れる髑髏の中にきて朽ちざる縁 第一」
所収 『新日本古典文学大系 日本霊異記』(真福寺本)
(岩波書店、)

『今昔物語集』巻第十二の第三十一話に書承。
法華経を受持し、唱え続ける者は、その死後も体の一部(舌や唇)が朽ちずに経を唱え続けるという。経典と、その験徳のあらわれた聖者を尊ぶ説話。
「紀伊国牟婁郡熊野村」を舞台とするが、説話の末尾では、吉野金峯山でも同様の髑髏どくろが見つかったことを記す。

 説話の概要

 帝姫阿倍天皇(孝謙天皇)の時代。

 紀伊国牟婁むろ郡熊野村に、永興禅師という人がいた。彼は海辺の人々に仏法を説き、人々からは「菩薩」、「南菩薩」と呼ばれていた。

 ある時、永興のもとに一人の僧がやってきた。小さい字で書いて一巻にした法華経と、白銅の水瓶、縄床(携帯用の坐臥具)だけを持っていた。
 僧は一年あまり永興のもとにいたが、再び旅に出るという。僧は縄床を永興に奉り、「山をめぐり、伊勢国に参ります」と言って、旅立った。

 それから二年して、熊野川上流で村人が木を切り、船を造っていると、どこからともなく法華経を読む声がする。村人らはそれを尊んで、声の主に施しをしようと山の中を探したが、見つからなかった。
 さらに半年後も、同じ読経の声がする。村人らは、永興にこのことを伝えた。永興も山中にその声の主を尋ねたところ、ひとつの死体が見つかった。山のいわおに縄をかけ、その縄を両足に結んで、身を投げて宙釣りになって死んでいた。死体は白銅の水瓶を持っており、あの旅の僧であったと永興は悟った。死んだ身でありながら、僧は経を読み続けていたのだ。
 (険しい巌から身を投げていたからであろうか)亡骸を回収することもできず、永興は悲しみながら帰るほかはなかった。

 さらに三年後、いまだ読経の声がすることを山人が知らせた。さすがに、あの巌の死体も朽ちているだろう、骨を拾って収めよう、と永興が出かけていくと、髑髏どくろが見つかった。髑髏の中では、舌が朽ちずに残り、ずっと経を唱え続けていた。
 これは不気味なことではなく、大乗不思議の力、経を読み功徳を積んだ結果である。穢れていずれは朽ちる身を持ちながら、経を読む舌だけが残ったのは、この旅僧がひじりであったからだ、というほかはない。

 また、吉野の金峯山でも、同じように経を唱え続ける舌を持った髑髏があった。
 ある僧がそれを見つけ、清い場所に収めて経を唱えると、その髑髏も一緒に経を唱えたという。


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初出:2010年庚寅08月30日