『本朝神社考』 | |
著者 | 林羅山(1583〜1657、儒学者) |
史料概要 | 江戸時代。神社研究の書。神仏混淆を排し、古典によって神社本来の姿を明らかにしようとしたもの。 |
当該個所 | 中巻「熊野」 |
出典書籍 | 『日本庶民生活史料集成 第二十六巻 神社縁起』 (谷川健一ら 編、三一書房、1983年) |
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長く続いていた神仏習合の信仰よりも、『古事記』『日本書紀』の記述を重視する。それとともに、『後漢書』による徐福伝説を挙げ、また僧や天皇、ある婦人の話など、熊野に関するさまざまな伝承が書きとめられている。 それを、エピソードの記載順に10の項目に分けてまとめた。 |
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1. | 「伊弉冊尊」が熊野有馬村に葬られたこと |
まず『日本書紀』の記述を挙げる。火の神に焼かれた伊弉冊尊が死んだのち、有馬村に葬られ、人々が花を以って祭る旨を記す。 次に、「社家者(神主)の伝承では、熊野権現とは天竺から飛来した神となっている」ことを紹介する。 羅山は、『日本書紀』の記述を採用している。 |
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2. | 熊野三所権現の由来 |
『日本書紀』神代巻、『延喜式』神名帳を引く。 これにより羅山は、「速玉之男」「事解之男」「伊弉冊尊」を熊野権現と定めている。 |
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3. | 本宮・新宮が建てられた年について |
『古今皇代図』(未詳)を引用する。(※無論、史実とは思われない) | |
4. | 徐福伝説 |
『後漢書』東夷伝を挙げ、そこの秦の時代に徐福が「夷洲・壇洲」に渡って帰らなかったことを書く。(※『後漢書』に「紀州」「新宮」の記述はない) のち、絶海中津という学僧が明に渡り、明の太祖から徐福について尋ねられたことを書く。 |
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5. | 本地仏について |
・熊野権現証誠殿=阿弥陀 ・両所権現=薬師如来、観音(一説に伊弉諾・伊弉冊) ・若一王子=施無畏の大士 ・飛滝権現=千手観音 |
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6. | 八尺の霊鳥 |
山王院の大師(智証大師か)が、山中で迷い、祈ったところ、八尺の霊鳥が現れて案内したという。(※「八咫烏」や「三本足」の記述はない) | |
7. | 花山法皇のこと |
三年間、那智山で修業された法皇は、法を得ることができた。 神竜が天下り、如意珠・水晶の念珠・海貝を与える。法皇は如意珠を岩屋に、念珠を千手院に納められた。 海貝には九つの穴があり、那智の滝の中に沈んでいるという。この貝を食えば不老を得ることができ、それが沈んでいる滝の水を飲むと、長生きできるという。 白河上皇はこの話を聞いて、滝の中を探らせた。果たして貝はその時もそこにあり、大きさは三尺ばかりあったという。 また、花山院が修業されている時、天狗が多く祟りをなした。そのため、安倍清明に天狗を祭らせた。 那智山で修業する者は、怠けると天狗の祟りを受けるということである。 |
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8. | 歴代天皇の御幸について |
9. | 解脱上人のこと |
解脱上人(貞慶)が、熊野権現の夢告を受けたこと。 | |
10. | ある婦人の話 |
昔、ある婦人が熊野に参詣したところ、先達の行者(案内人)が彼女に淫邪の心を起こす。 困り果てた婦人の様子を察して、彼女の下女が、婦人の身代りになることを提案する。下女は婦人の寝床に臥し、行者は下女だとは気づかずに通じる。 数日後、先達は金と為った。(熊野では「死ぬ」ことを「金に為る」と言った) 婦人と下女は、つつがなく暮らしたという。 |
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初出:2010年庚寅08月30日 |